第28話 魔獣とは

 家へ向かいがてら、ロキースは改めて魔獣について話した。

 これ以上エディに無駄な心配をかけたくないということもあったし、なにより、彼自身のことを知ってもらいたかったのかもしれない。


 魔獣は、人に惹かれる性質を持っている。

 その性質があるために、理性のある魔獣は人に恋をして、理性のない魔獣は恋情をすっ飛ばして「人を食べたい」という食欲に繋がってしまうのだ。


 食欲のままに、理性のない魔獣が人を襲う。

 それによって、人は魔獣を警戒する。

 人からしてみたら、目の前にいる魔獣に理性があるのか無いのかなんて分からない。


 結果として、本能のままに人を喰らおうとする理性のない魔獣のせいで人は魔獣を恐れ、忌み嫌い、時に討伐し、稀に恋を実らせるという歴史が続いてきた。


「ロスティの魔獣研究者が『魔獣の初恋』という論文を発表してからは、以前よりやりやすくなったらしい」


「なるほど」


 人が魔獣を忌み嫌っていることを、理性のある魔獣は理解している。

 だから、基本的には近づかないようにしているそうだ。


「だから、理性のある魔獣は安易に村へ行ったりしない。人を怯えさせてしまうからな。稀に恋する相手を探しに行ったりもするが、人にやられるほど弱くはない。エディが普段相手にしていた魔獣は理性のない魔獣で、見た目は同じ魔獣に見えるだろうが、そこには明確な差がある。だがまぁ、基本は同じだ。奴らも、一応は人に惹かれる性質を持っている。理性がない故に、恋を自覚する前に食べようとするのだが」


 そこで言葉を切ったロキースは、キッと鋭い視線を近くの枝の上へ向けた。

 つられるようにエディがそこを見上げれば、アーンと今にもエディへ齧り付こうとしている魔栗鼠りすの前歯がギランと光る。


「うわっ!」


「ギュッ!」


 ロキースの射るような視線を受けて、魔栗鼠はピューッと逃げていく。

「油断ならん」と呟くロキースの足が、少しスピードを上げた。


(まさに説明の最中に襲われかけるとか、タイムリーすぎじゃないか)


 ここが魔の森の中だということを、エディは忘れるところだった。

 ロキースの匂いと温もりに包まれてすっかり呆けていたと、彼女は慌てて気を引き締める。


「このように、理性のない魔獣は気に入った人を食おうとするわけだ」


「つまり、僕が今まで仕留めてきた魔獣は理性がない魔獣で、ロキースの仲間ではないということ?」


「そういうことだ。だから、エディが気にかける必要は一切ない。トルトルニアの民のために、存分に力をふるってくれ。だが、たとえ理性がある魔獣をエディが仕留めたとしても、俺は何とも思わない。俺にとって、エディ以外はどうでもいいんだ」


 臆面もなく「エディ以外はどうでもいい」と言い切るロキースに、エディは恥ずかしくてたまらない。

 だけど、同時に嬉しくてしょうがないという気持ちもあって、モニョモニョと小さな声で「ありがとう」とだけ告げた。


 重すぎる愛に臆することなく恥ずかしいと頰を染めるあたり、エディはロキースという沼に落ちているのだろう。それはもう、ズブズブに。


 まろい頰を林檎みたいに赤く染めて、エディはチラチラとロキースを見上げてくる。

 今までにないくらい可愛らしい顔を日々更新し続ける彼女に、ロキースは内心、身悶えていた。彼女を抱っこしていなかったら、その辺の木の幹に額をゴスゴス叩きつけたいくらいには、煩悩が暴れている。


『エディ、今夜は帰したくない』


 そんな言葉が、喉まで出かかっていた。


 だが、ロキースの健気な我慢も知らず、エディは「へへ」と恥ずかしさを誤魔化すように笑う。

 ロキースの煩悩を抑える理性が、悲鳴をあげた。


 かわいい。かわいすぎる。こんなにかわいくて、どうしよう。どうやったら、嫁に出来る?


 これ以上エディを見つめていたらどうにかなってしまいそうで、ロキースは天を仰いだ。

 絡み合った枝の合間から、冬の弱々しく柔らかな陽ざしが差し込む。


 陽ざしに誘われるように腕の中を見下ろしたら、天使がいた。陽ざしを浴びたミルクティーブラウンの髪が、冷たい風に吹かれてフワフワと揺れる。


 もう限界だ。神様なんて信じていないけれど、いたらどうか助けて。この子を襲いそうなんです。


 ロキースはどこかにいるであろう神様に願った。信じていないけれど助けて、と。

 当然、そんな不信心な男を助ける神などいやしない。


 気をそらすために、ロキースは頭を切り替えることにした。

 今はエディに魔獣のことを教える時間だと言い聞かせ、無理に真面目な表情を取り繕う。


「理性のある魔獣が、全て恋をするわけではない。獣人になることが大人の証ではあるが、運命の相手を見つけられず、魔獣のまま息絶えることがほとんどだ」


 世界中を旅しても運命の相手を見つけられず、魔の森へ帰ってくるものは多い。

 中には恋をしないという選択をして、望んで魔獣のままでいるものもいる。


「運命の相手を見つけることって、そんなに大変なことなの?」


「見つけられるかというより、おのれの覚悟の問題だろう。消滅しても構わない、そう思えるくらいの気概がないと獣人にはなれない」


 恋が実れば人間に、実らなければ消滅する。

 残酷なお伽噺のようだが、ロキースにとってはこれが現実だ。

 エディがロキースの想いに応えられなければ、彼は消える。


「獣人になるって、痛いの?」


「正直言って、痛い。どの程度かと言い表せないくらいには、痛かった」


 思い出したのか、ロキースの体がブルリと震える。

 可哀想に、頭上の丸い耳はプルプルと震えて伏せられていた。


「じゃあさ、獣人から人になるのも痛いの? 耳とか尻尾がポロって取れちゃったりするの?」


 ロキースの耳や尾がポロリと取れるのを想像して、エディは怖くなった。

 昔、ミハウから借りた本に耳を切り落とす拷問が書かれていたのを思い出したからだ。


「取れたりはしない。作り変えられるだけだ。元獣人たちが言うには、魔素が体を覆うらしい。どういう原理かは分からないそうだ。痛みは……獣人になった時ほどはないと言っていた」


「そうなんだ。やっぱりちょっとは痛いんだね」


「だが、そんな痛みなど些細なものだ。得難いものが手に入るためならば、それくらいどうということはない」


 そう言って愛しげに笑いかけてくるものだから、エディの胸がキュウッと締め付けられる。

 せっかく熱が引いていた頰に、また熱が戻ってきた。


「ロキース」


「なんだ?」


「痛かったね、頑張ったね」


 エディの小さな手が、ロキースの頬を優しく撫でる。

 ロキースの足取りが、また早くなった。


 ゆらゆら、ゆらゆら。

 ゆらゆら、ゆらゆら。


 揺れる温かな腕の中は気持ちがよく、寝不足がたたっていたエディは、いつの間にか眠ってしまったのだった。

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