第27話 追いかけっこの結末は

 熊の襲来に恐れをなしたエディは、リディアの手を取って逃げ出した。しかも、よりにもよって魔の森へ。

 これにはリディアも驚いたようで、「ギャァァァ」と叫んだ。


「リディア、お願いだから叫ばないで。場所が特定される……!」


「ムリムリムリ、ムリだから! 私、あんたみたいに弓とか使えないし、あんたより肉付き良いからすぐ食べられちゃう。それなら、大声出してルーシスの助けを待つ方が賢明だもの」


「リディア。僕は今、弓矢を持っていない」


「嘘。じゃあなんで魔の森になんて入ったのよぉぉぉぉ!」


 ギャアギャア騒ぎながらも、リディアはエディの手をしっかり握り返している。

 それは、魔の森が怖すぎて、助けになりそうなのがエディしかいないからだ。


(それでもいい)


 リディアがいてくれるだけで、一人じゃないということが、大事なのだ。


 エディは走った。がむしゃらに。

 何もないところでつまずきそうになるリディアを支える。

 伸びた木の根に足を取られそうになったエディを、リディアが支えた。


 二人は顔を見合わせると、クスクスと笑い合う。


 いつの間にか、この追いかけっこが楽しくなっていた。

 久しぶりに本気で走っているせいか、気分が高揚してきてしまったらしい。


「ねぇ、エディ。昔はよく、こうやって遊んだわね?」


「そうだね、よく遊んだ」


「大人になると、あの頃みたいにずっとずっと走れないのね」


「リディアは、運動不足なだけだろ」


「酷いなぁ。付き合ってあげているのだから、少しくらい話を合わせなさいよ」


 苦しそうに息を弾ませて、それでも二人は走り続ける。


 だけど、体力の差は徐々に距離を縮める。

 突然、木の上から降ってきたルーシスが、リディアに手を伸ばす。

 クン、とルーシスの手に掴まれたリディアの手が、エディの手から離れていった。


「リディア……!」


「あー楽しかった! あなたはまだ走れるのでしょう? 追いかけっこ、楽しんで。私は、ルーシスと休むから」


 早々に戦線離脱したリディアは、ルーシスにお姫様抱っこされながらエディにエールを贈る。

 ヒラヒラと振られる手に振り返す暇もなく、エディは迫る足音に焦燥感を募らせながら、もたつく足を叱咤した。


 リディアに見送られて、エディは走った。

 魔の森の、どの辺りを走っているのかなんて、もう分からない。知っている範囲はとうに過ぎて、見知らぬ場所をひた走る。


 息が苦しい。目の前の景色がかすむ。

 逃げなくちゃと思うのに、足が言うことをきかない。


 ふいに足元の感覚がなくなり、エディはガクリとその場へ膝をついた。


「も、だめ……」


 エディの上半身が、揺れる。そのまま地面に衝突か、と思いきや、そうはならなかった。


「あ……」


 追いついた凶悪な顔つきのロキースが、エディを掬い上げて抱きかかえたからだ。

 見上げると、見たこともないような怖い顔をしたロキースが、ムッスリとしながらエディを見下ろしている。

 怒っているせいなのか、蜂蜜色の目はいつもより緑がかった色に変化していた。


「おろして……!」


 転ばないようにしてくれたのは有り難い。だが、この体勢は恥ずかしすぎる。


(だって、お姫様抱っこ……!)


 女の子なら一度は憧れるであろう、お姫様抱っこ。それを今、されているのである。

 恥ずかしさに身を捩るエディに、しかしロキースは手放すどころか更にしっかりと抱きかかえた。


「なぜ、逃げる?」


「ろ、ロキースが追いかけるから」


「じゃあ、なぜ俺の家へ来なくなった?」


「それ、は……」


 言い淀むエディに、ロキースが深くため息を吐いた。

 それは怒りを鎮めるためのものなのか、それとも呆れているのか。エディには分からない。


「不安なことがあるなら、言ってくれ。他の者から聞かされるのは、ごめんだ」


「へ?」


「弟が俺の家へ乗り込んできた。エディを泣かすなと」


「え、ミハウが?」


 そこでようやく、エディはミハウに告白したことが失策だったと理解した。

 ロキースと会ってからおとなしかったから、失念していたのだ。弟の過剰な愛情は、まだまだ健在だった。


「うちのミハウが、ごめん……」


「謝らなくていい。それよりも、どうして俺の家へ来なくなったのか、エディの言葉で聞かせてくれ」


 真剣な目でジッと見つめられて、エディは観念したように「分かった」と答えた。

 それでも、まだ目を合わせて伝えられるほどにはなっていなくて、目を伏せる。


「ロキースに、触れられることが怖くなったんだ。ジョージ様に、魔獣を殺さなくてはいけなくなった時、どうするのですかって言われただろう? 僕はあの時初めて、今まで仕留めてきた魔獣たちが、ロキースみたいな、人に恋する魔獣だったかもしれない可能性があることに気がついた。それからかな、何回も何回も悪夢をみた。悪夢ではロキースが「愛しているのに、なぜ?」って僕を責めてくる。僕は怖くなった。いつかロキース本人からそんなことを言われるんじゃないか、僕を甘やかすみたいな優しい目が、なくなっちゃうんじゃないかって。だから、行けなく、なった……」


 グス、とエディが鼻を鳴らす。いつの間にか、その目にはじんわりと涙が浮かんでいる。

 両手が塞がっていたロキースは、そんな彼女の額にコツリと自身に額を押し当てて、至近距離から見つめた。


「ロキース?」


 怖いくらい真剣な目が、エディを見据える。

 逸らすことも出来ずに見つめ返していたら、ロキースの目がさらに緑色に染まっていった。


「一つ、言っておく。魔獣の初恋を、舐めちゃいけない。魔獣の恋は、盲目的だ。恋する相手にしか、興味が向かなくなる。つまり、俺の興味はエディにしか向かない。他の魔獣など、知ったことではない」


「え? でも、魔獣がトルトルニアに近寄らないようにするために、ロキースは魔の森に家を建てたんでしょう? それって、魔獣を思ってのことじゃない」


「違う。魔獣狩りに時間を割くくらいなら、俺との時間を作ってもらいたいと言ったはずだ」


 そう言うと、ロキースは「馬鹿だなぁ」と苦く笑って、エディの眦をペロリと舐めた。

 くすぐったさにヒャッと身を竦めるエディに、ロキースはようやく表情を緩める。


 甘やかすような目。包み込むような優しい腕。触れ合ったところから伝わる熱。そのどれもが、エディの凝り固まった気持ちを解していく。


(あぁ、ニューシャちゃんが言っていたことは、本当だった。逃げずに触れ合っていれば、すぐに分かったんだ)


 今更ながらに、小さなお姫様の言葉が思い起こされる。

 恥ずかしいから、怖いから、いろいろ理由をつけては逃げてきたけれど、これからは積極的に触れ合うべきかもしれない。


「ここは俺の縄張りから随分と離れている。一先ずは俺の家へ行こう。それでいいか、エディ?」


「うん」


 素直に頷くエディに、ロキースは「良い子だ」と額にキスを贈る。

 そんなことをされたのは初めてのことで、エディは顔を真っ赤にして額を隠すように手で覆った。

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