第26話 泣き虫令嬢
健康優良児であるエディの知恵熱は、一昼夜もすれば治った。
しかし、相変わらずエディはロキースと会うことに躊躇いを感じている。
ジョージが言っていた一月は、少し過ぎた。
エディのもとには、一通の手紙が届いている。封蝋には、ロスティ国の紋章が押印されていた。
手紙には、エディがヴィリニュスの鍵を取り戻すために何をしても許す、という内容が書かれている。ご丁寧に、国王と司令部のサインまで入っていた。
寝不足と悪夢による泣き過ぎで真っ赤になった目に、冬の日差しが容赦なく突き刺さってくる。
「うぅ……あたま、いたい……」
いつものように屋根の上で日向ぼっこをするつもりだったが、これでは無理そうである。
エディは嘆息し、頭を抱えて
見上げると、冬にしては奇跡的なくらい空は晴れ渡っている。
(僕の心とは、大違い……)
羨ましい、とエディは呟いた。
だってエディの心ときたら、日がな一日雨模様なのだ。男装してからなりを潜めていた、弱っちいエディタが顔を覗かせている。
こういう時は、行動までエディタになるらしい。
気づくと、もう随分と行っていなかった、村はずれにある大きな
ここは、エディが弱虫エディタだった頃、メソメソと泣いていた場所である。
エディは木の下に、座り込んだ。抱えた膝の上に顎を乗せて、ぼんやりとする。
ロキースのことを考えると、心臓が凍えそうになった。
もし、差し出した手を払い退けられたら?
「好きだ」「僕に恋をして」と訴えてくる蜂蜜色の目に、冷たく見下ろされたら?
こんな気持ちになるのなら、好きになろうとしなければ良かったと思う。
(ううん。もう、手遅れ)
行き場のない思いなら気付かなければ良かったと、エディは自分自身を責め立てた。
「今更、気付くなんて」
独り言ちて、エディは苦く笑った。
その時、エディの前に誰かが立ち、濡れたハンカチを差し出してきた。
エディは呆けたようにハンカチを見て、それから目の前に立つ人物を確認するように、視線を上げる。
そこには、リディアが立っていた。
「ちょっと、エディ!」
ずっとそうしてきたように、リディアは遠慮なくエディの隣に腰を下ろす。弟分であるエディになんて、遠慮は無用と言わんばかりである。
だけど、その手はとても優しい。泣き腫らしたエディの瞼に、そっとハンカチを押し当ててくれる。
熱を持っている瞼に、濡れたハンカチの感触はじんわりと染みた。
「エディに恋した魔獣がいるんですって?」
「誰に聞いたの?」
「ミハウよ。私はデート中だっていうのに、お構いなしで愚痴ばかり。嫌になっちゃうわ」
「うちのミハウが、ごめん」
「別に、それは良いのよ。それで? どうしてあなたは、私になんの相談もなしにこんな所でベソベソしているの? おばあちゃんが見つかるまでは、
懐かしい呼び名に、つい唇が尖る。
ムッとするエディに、リディアはケラケラとわざとらしいくらい明るく笑った。
「あなた、恋する乙女って顔をしているわ」
「泣き腫らしているのに?」
「彼のことが、好きなのでしょう? 魔獣の恋は一途なのに、どうして泣くようなことがあるの?」
「だって……僕なんかに、ロキースは勿体ないだろ」
「ねぇ、それってその人に失礼じゃない?」
「……失礼?」
「だって、そうでしょう? 魔獣から獣人になるには、たくさんの制約がある。それでもエディが良い、そばに居たいって、獣人になったのよ? ただ、あなたが好きっていう、その気持ちだけで。そんなに純粋な気持ちを、あなたは『僕なんか』なんて言って。もう、ダメよ、まるでダメ! あなたの大好きなお伽噺、もう一度ちゃんと読み直した方が良いわ。お姫様は、王子様の求愛を断ったりしない。何にも考えずに、ただ、その胸に飛び込めば良いの」
(それもそうだねって言えたら、こんなことにはなってないんだよ、リディア)
そう単純なことじゃないのだと、リディアへ文句を言おうと口を開いた時、急に強烈な怒号が聞こえてきた。
「見つけたぞ……!」
ヴィリニュスの屋敷の方角から、すごい勢いで走り寄ってくる人物が二人。
ロキースと、ルーシスである。
ロキースは何故だか怒ったような顔をしていて、ルーシスはその隣でヘラヘラと笑いながら手を振っている。
(なになになに⁉︎ どういう状況なの、これは!)
「ルーシスぅぅぅ! 今日のデートはどこにするっ?」
愛しのルーシスにキャッキャと手を振るリディアに、エディはますます混乱した。
彼女は見えていないのだろうか、ロキースのあの顔を。気づいていないのだろうか、あの怒気を。
エディは反射的に立ち上がった。
(これは、逃げるしかない……!)
だって、怖すぎる。なんだかとっても、怖くて仕方がない。
本能が逃げろと警鐘を鳴らしている。最大限の音量で。
(さっきまでの、触れられるのが怖いとかそういう次元じゃない!)
熊だ。あれは、まごうことなき熊。
今までずっと、エディの前では可愛らしくておとなしい姿しか見せていなかった彼は、今ようやく、その本性を現したらしい。
隣で平和ボケしていたリディアの腕を取り、エディは彼女を立たせた。
「え?」
キョトンとしている彼女の手を握り、エディは走り出した。手を握られたままのリディアも、引っ張られるようにして走る。
「ちょ、エディ! え、なんで走るのよぉぉぉぉ」
巻き添えを食ったリディアの可哀想な叫び声が、辺りに響いた。
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