第25話 思い悩んだ末に

 ロキースのことは、好きだ。

 その気持ちは、エディの心の奥底で、限りなく恋に近い感情に育ちつつある。


 だが、ロスティの大使館で初めて感じた罪悪感は、日増しに強くなっていく。

 罪悪感が増すごとに、エディの足はロキースの家から遠のいていった。


 大使館へ行く前は二日に一回はお茶をしに行っていたのに、三日に一回、四日に一回と、どんどん間が空いた。

 とうとう一週間空けることになった日の朝、夜勤明けにエディは倒れた。


「知恵熱ですね」


 慌てふためく両親に緊急だと連れてこられた医者は、迷惑そうな顔でそう告げた。


「へ?」


「嘘でしょう?」


 馬で乗り込んで来て「娘が死ぬ!」と騒ぎ立てられたから、さぞ緊急だろうと急いで来てみれば、患者はただの知恵熱。医者がそうなるのも無理はない。


 しかし、両親がそうなるのも無理からぬことなのだ。エディは健康優良児で、風邪だってほとんどひいたことがない。

 そんな彼女が目の前で倒れたのだから、そりゃあ血の気も引く。


「知恵熱は、赤子が発症するものだがね。大人だと、ストレス性高体温症と言う」


 まさか知恵熱だなんて思ってもみなかった両親は、緊張の糸が切れたようにヘナヘナと床に座り込んだ。

 そんな両親に、医者は淡々と答える。


「原因は、強いストレスや極度の緊張状態。又は、長期に渡るストレスや疲れ。ヴィリニュスのお嬢さんなら、思い当たる節など山ほどあるでしょう。風邪ではないので、薬では治せません。とりあえず、しばらくはゆっくり休ませてください」


 ポカンと気の抜けている両親に代わり、ミハウの傍に控えていたエグレが「畏まりました」と医者に答える。

 帰る医者を見送るために両親とエグレが退室すると、部屋にはエディとミハウの二人きりになった。


「大丈夫? エディタ」


「大丈夫。お医者さんだって言っていたでしょう? ただの知恵熱だってさ」


 エディが横になっているベッドの端に、ミハウは腰掛けた。

 今日の彼は体調が良いのか、顔色は悪くない。対するエディはミハウと相反するように顔が赤い。


 いつもと逆の体勢に、エディは「変なの」と笑った。


「知恵熱だって、熱があったら辛いでしょ」


「そうだけど……」


「……ねぇ、エディタ。知恵熱の原因に、思い当たることがあるんでしょう? それは、僕に相談出来ないこと?」


 どうやら、ミハウにはお見通しだったようだ。

 そう。エディのストレスの原因は、夜通しの見張りではない。

 休んだところで、原因を取り除くことは出来ないのだ。


「ミハウ……」


「僕じゃ駄目ならリディアでも良いよ。それでも、言えない?」


「言えないっていうか……言っても仕方のないことなんだよ」


「仕方がないことだとしても! 一人で抱え込んでいたから、こんなことになっているんでしょ⁉︎ だからさ、ね? 話せそうなら話してよ」


 エディは、疲れていた。

 だから、判断力が鈍っていたのだ。


 いつものエディなら、ミハウには言わない。面倒なことにしかならないから。

 しかし、ミハウがそこまで言うのならと、彼女は口を開いた。


「罪悪感で、苦しいんだ……僕は今まで、トルトルニアの人々を守るために、魔獣を仕留めてきた。だけど、言われたんだ。ロスティでは、魔獣を大切にしている。人に恋をして、獣人になるかもしれない存在だからって……それを聞いて、思ったんだ。今まで仕留めてきた魔獣にも、もしかしたら誰かに恋をして獣人になる可能性があったんじゃないか。そんな魔獣を仕留めた僕の手は、汚れているように思えた。だから、こんな手は、ロキースに触れてもらえる資格なんてないんじゃないかって」


 熱で掠れた声で、エディは痛々しげにそう語った。

 熱で緩んだ涙腺から、ハラハラと涙が零れる。

 ミハウは頬を伝う滴を指先で拭いながら、口の中で「クソ熊、殺す」と呟いた。


『ロキースに資格』なんて。

 腹が立つったらない。

 確かに、ミハウはロキースのことを認めたが、まさかこの短期間でここまでエディの心を傾けるとは思いもしなかった。


 それに、エディを泣かせた。

 許すまじ、クソ熊。あとで甘ったるい色をした目ん玉に唐辛子を塗りたくってやる、とミハウは決意する。


「そう……一体、誰がエディにそんなことを言ったの?」


「ロスティの、魔獣保護団体のジョージ様」


 ミハウは慰めるようにエディの頰を撫でながら、口の中で「ジョージ、殺す」と呟いた。

 今、彼の頭の中では、今まで読み漁ってきた本から得た、あらゆる拷問方法が検討されている。グロテスクな展開は、彼の好物なのだ。


 エディに見せられないようなあれやこれやを妄想しつつ、ミハウは少女のように可憐な顔で笑いかけた。

 寝かしつけるようにケットをエディの胸元まで引き上げて、ポンポンと叩く。


「でもさ、エディタ。僕たちが魔獣を狩らなかったら、村がなくなってしまうんだよ? 覚えているだろ、村はずれの家が燃えたのは魔兎が火を噴いたせい。あの家はたまたま空き家だったけれど、そうじゃなかったら、誰か死んでいたかもしれない」


 五年前。祖母のエマを探している間に村へ侵入した魔兎は、村はずれの家を一軒焼失させた。

 それによって、エマの捜索は打ち切られ、ヴィリニュス家は責任を取るように見張りを始めたのだ。


「それにさ、おばあちゃんだって言っていたでしょう? トルトルニアの人々を守るのは、ヴィリニュス家の義務だって」


「そうだよ。だから、言っても仕方のないことなんだ」


 エディは悔しそうに唇を噛んだ。

 乾いた唇がチリリと痛んで血が滲む。口の中に広がる鉄の味に、エディは顔をしかめた。


「僕がどんなに罪の意識を感じたって、村に侵入してくる魔獣を仕留めないという選択肢はない。でも、ロキースに会えば、僕が魔獣を仕留めてきた事実を嫌でも思い出してしまうし、彼に触れられるのが怖いって身構えちゃうんだ。だってね、僕は嫌われたくない。いつも甘やかすみたいに優しく見つめてくれていた目が、僕を冷たく見下ろしてくることを考えるだけで、ここが凍りつきそうになる」


 そう言って、エディはケットの上から心臓の辺りを押さえた。

 そんなエディを見ていたら、ミハウまで苦しくなってくる。


「ロキースがそう言ったの? 魔獣を殺すエディが嫌だって」


「言わないよ。彼は、優しいもの。でも、そう思っているよ、たぶん。彼が魔の森に住むのは、魔獣が村へ侵入しないようにするためだって、前に言っていたもの」


 エディは、ロキースの言葉を全て覚えていなかった。

 もしも全て覚えていたのなら、こんな勘違いはしなかったはずである。

 ロキースはあの時、こう言ったのだ。


『魔獣が近寄らなくなれば、エディの負担が減る。エディの負担が減れば、ロキースとの時間を増やせる』と。


 結局は、自分とエディの時間を得るためである。

 決して、魔獣のことを慮っていたわけではない。


 グジグジと言い続けるエディに、ミハウはなんとなく違和感を覚えていた。

 エディに、というよりもエディが語るロキースという男に。


 だってあの男は、エディのことしか見ていない。

 ミハウのことなんて、ちっとも見ていなかった。だからこそ、ミハウはエディのことを任せたのだ。

 そんな男が、魔獣を気にかけるだろうか。


「いいや。気にするわけがないね」


「……ミハウ?」


「いや、なんでもないよ。それより、もう休みなよ。お喋りはもう、おしまい。エディは大丈夫って言うけどさ、夜勤は女性ホルモンが乱れやすくなるんだよ。今日はレオポルドが夜の見張りするって言っていたし、安心して寝てよね」


「……女性ホルモンってなに?」


「んー……情緒不安定になりやすくなるってこと。ほら、もう寝て寝て。知恵熱でも、熱は熱なんだから!」


 そう言って、ミハウはケットの上に毛布を重ねた。

 ポンポンと胸元を叩いてやると、エディは観念したように目を瞑る。


 彼女の目を閉じた姿を見るのは久しぶりだ。写真に撮りたくなる欲を我慢し、ミハウは部屋を出た。

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