第24話 悪夢

「いやぁぁっ!」


 自分の叫び声で目覚めるなんて、最悪な昼である。

 エディは起きるなり、しげしげと自身の手を眺めた。

 傷だらけの手。いつもの手。悪夢でみた、血で真っ赤に染まる手はどこにもない。


「……っ、はぁ」


 ドキドキと胸が早鐘を打っている。

 首元を伝う嫌な汗を、寝巻きの袖で雑に拭う。

 こんな嫌な夢をみたのは、初めて魔獣を仕留めた時以来だった。


「ひどい、夢……」


 夢の中のエディは、人に恋をして、恋した相手に会いに行こうと村へ侵入した魔獣を見つけた。

 いつものように見張り台から矢を放ち、確認しに行くと、ロキースが血塗れで倒れている。


 慌てて抱き起こすと、ロキースは言った。「俺はきみを愛しているだけなのに、どうして?」と。


 それきり、ロキースは事切れた。

 あとに残ったのは、血で汚れた自分の手。


「……引き摺られている」


(ジョージ様の言葉に)


 エディはずっと、考えていた。ロスティの大使館から帰ってから、ずっと。


『ロスティは魔獣を大切にしています。いつか獣人になるかもしれませんから。殺さなくてはいけなくなった場合、あなたはどうするのですか?』


 ジョージはただ、事実を述べただけだ。そこに悪意なんてない。

 だって、彼は魔獣の恋を応援する立場の人間なのだ。エディが彼の言葉でこんな悪夢をみるようになるなんて、分かるわけがない。


『もちろん、苦しまないように細心の注意を払って仕留めるつもりだ』


 前のエディなら、そう答えたはずだ。

 だけど、今は違う。


(どんな顔をして、ロキースに会えばいい? 今まで僕は、どんな顔でロキースに会っていたっけ?)


 わからない、わからない、わからない。

 会いたくないのに会いたいし、会わせる顔がないのに、顔を見て安心したい。


 グチャグチャの気持ちを隠すように、エディは膝を抱えて丸くなる。

 だけど無情にも、扉の向こうでエグレが告げてくる。


「お嬢様、ロキース様がいらしてますよ」







 ロスティで買ってきたお菓子を、ロキースが皿に並べる。その隣で、エディはお茶を淹れる。それが、いつものお茶会の準備だ。


 今日のお菓子はマカロンだ。色とりどりで綺麗だが、エディの気は晴れない。


 いつものように、大きなソファへロキースが座り、小さなソファへエディが座る。

 座って早々にため息を吐くエディに、ロキースは心配しているのかソワソワとしていた。


「何か心配事でも?」


「そういうわけじゃないよ」


「じゃあどうして、そんな顔をしている?」


「そんな顔?」


「難しい顔をしている」


「難しい、顔……」


 エディは思わず、窓に映った自分の顔を確かめた。


「ああ。複雑な感情が絡まっているような、そんな顔をしている」


 窓に映った顔は、ぼんやりとしていて不明瞭だ。だが、ロキースが言うのだから、そんな顔をしているのだろう。


(そういう自覚が、ないわけじゃないし)


 ふぅ、と無自覚にため息を吐いて、摘んだマカロンを口に放り込む。

 サクサクとした食感の甘いマカロンは美味しいはずなのに、前に食べた時よりも美味しく思えない。


「お祖母様のことか?」


「え?」


「ジョージなら何とかしてくれるかと思ったのだが、思った以上に時間がかかるようで、申し訳ない」


 そう言って、ロキースは深々と頭を下げた。


「嫌だなぁ、ロキースは何も悪くないでしょ。ジョージ様だって、頑張って一月なんだから仕方がないよ」


「だが……」


「ロキース、頭を上げてよ」


「……」


 一向に頭を上げないロキースに、エディはどうしたものかと困惑した。


 しばらく考えるようにロキースの頭を眺めていたエディの脳裏に、ふとリディアのしょうもない言葉が思い起こされる。


『背の高い男の人は、頭を撫で慣れていないのよ! だから、背の高い男の人の頭を撫でると……すぐに仲良くなれるんですって!』


 キュピーンと効果音が付きそうな勢いで、リディアは言っていた。

 そのあと、「残念ながら、トルトルニアには私より大きい男性がいないのだけれどね。フッ」と黄昏ていたので、エディが撫でてあげたのだ。


(これは、チャンスなのでは?)


 悪夢のせいで、ロキースに対して少しばかり後ろ向きな気持ちになっている。それなら、スキンシップで回復できないかと、エディは考えたのだ。


 エディはそっと、ロキースの頭に手を伸ばした。

 彼女のしようとしていることに気が付いたのか、ロキースの丸い耳が撫でるのを待っているみたいに伏せられる。


 ふわり。


 エディの小さな手が、ロキースの頭に乗る。

 恐る恐る触れた彼の頭は、思っていた以上に触り心地が良い。

 柔らかなハニーブラウンの髪は、撫ですくとフヨフヨして可愛らしかった。


 一通りワシャワシャとかき回して、それから整えるために髪を撫でる。「おしまい」と手を離したら、それまで視界の端にピコピコと揺れていた尻尾がダランとなった。


「〜〜っ!」


 ちょこんと控えめな尻尾だが、獣耳同様、持ち主の感情を健気に伝えてくる。それは、たまらなくエディの母性本能を刺激した。


 悶絶しているエディの手が、戻るべきか引っ込めるべきか、悩むように宙で止まる。

 ロキースはチラリと目だけを上げて、エディを見た。


「もう、おしまいか……? それなら今度は、俺がエディの頭を撫でても良いだろうか?」


 どうやら彼は、撫でられるのも撫でるのも好きらしい。


「いいけど……」


 ロキースを撫でることが出来たのだから、撫でられるのも平気だろう。

 そんな軽い気持ちからの返事だった。

 だが……。


 伸びてきた大きな手に、エディの肩が跳ね上がる。ビクッと明らかに首を竦めた彼女に、ロキースは慌てて手を引っ込めた。


 和やかな雰囲気が一変する。


「エディ……?」


 戸惑いの滲む声が、名前を呼ぶ。

 エディは、弾かれたように口を開いた。


「あ、えっと、ごめん……その、そう! 静電気が! バチってしたからビックリしちゃったの!」


 あからさまな嘘。

 だが、優しいロキースはエディの嘘を黙って受け入れる。


「そうか。冬だから、仕方がないな」


 苦く笑いながらそう言うロキースに、エディは泣きたくなった。


(どうして……どうして、触れられるのがこんなに怖いの……?)

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