第22話 獣人と人の間に生まれた子

「それで……ご用件は、何でしょうか?」


 ジョージは、懐から出した眼鏡をかけた。

 どうやら、眼鏡はオンとオフを分けるためのものらしい。


 眼鏡に度は入っているのか、いないのか。

 エディはしょうもないことが気になった。


 少女に見えないのを良いことに、ジョージは剣呑な視線をツキツキと向けてくる。


(うぅぅ……おっかない。あんた、魔獣の恋を応援するのが任務しごとなんだろ。それなのに、そんな態度で良いわけ?)


 エディはたまらず、ジョージを睨み返した。残念なことに、エディの顔が幼いために、そんなに威力はない。子猫が「ニャア」と爪を立てたくらいの、なんでもない攻撃であった。


 ジョージの態度を知ってか知らずか、少女はニコニコと可愛らしい笑みを浮かべながらロキースの頭上を見つめている。

 視線を感じて、ロキースの耳がくすぐったそうにピクピク動いた。


「あなた、くまさんなのね。わたしのおとうさまは、おうまさんだったのよ」


 両手の指を合わせて、コロコロと笑う少女は可愛らしい。

 ジョージが可愛がるのも無理はないと、エディは思った。


(しかも、この子の父親は馬だって言った。つまりこの子は、獣人の子供ってことだよね?)


 獣人だけでも珍しいのに、獣人の子供なんてもっと稀少だ。

 少女には、獣の耳も尾も見当たらない。

 正直言って、顔は中の中くらい。獣人特有の目の眩むような美貌ではない。

 それでも目が惹きつけられるのは、どうしてなのか。


(へぇ。獣人の子供は、獣人みたいな特徴はないんだ? なるほど。じゃあ、もしも僕とロキースがそういうことになったら、こんな子が生まれるってこと?)


 エディはこっそりロキースを盗み見て、それから想像してみた。

 ロキースと同じハニーブラウンの髪と蜂蜜みたいな色をした目をもつ、自分によく似た顔立ちの子供。


 一人だろうか、二人だろうか。熊の子供は二匹のイメージが強い。

 男の子だろうか。女の子だろうか。どちらでも、きっと可愛い。

 背は小さいだろうか。大きいだろうか。元気ならどちらでも。


 ロキースの腕の中で子供たちと一緒に抱きしめられ、楽しげに笑い合うシーンまで想像して、エディは思った。


(もしかして、大丈夫そう……?)


 根拠はないが、なんとなくいけそうな気がした。

 この勢いで、ロキースのことをもっと好きになれたら、万事順調なのにとも思う。


 自分を好いてくれている相手との子供を想像するなんて、どう考えたって友愛よりも限りなく恋に近い。いや、恋だろう。もしかしたら、愛かもしれない。

 だが、恋愛経験皆無の彼女に、それを知る術はなかった。


 これは、非常に勿体無い出来事であった。痛恨のミスである。

 目の前に居たジョージは、その瞬間一体なにをしていたのだと、後に魔獣保護団体所長のマリー・クララベルが彼をなじったほどである。「だが、ニューシャが……」と言い訳したジョージに、マリーは心底呆れたようなため息を吐いたのだけれど。


「ニューシャ」


 嗜めるようなジョージの声に、ニューシャと呼ばれた少女が首を竦める。


「あ……ごめんなさい。おしごと、よね?」


「そうです。あぁ、でも、そんなに悲しい顔をしないでください。怒っていませんから」


「ほんとう? おじさま、ありがとう。だいすきよ」


 そう言って、少女は伸び上がってジョージの顎にキスをした。途端、ジョージの顔が蕩けるようにデロリとやに下がる。


(うっわ。このお姫様、すごすぎ)


 なんという小悪魔だろう。あのジョージを、手のひらの上で転がしている。

 幼いながら、とんでもない手腕を発揮するニューシャ。エディはこのお姫様のことが気になって仕方がなかった。


 引き気味で見つめられていることに気付いたジョージが、「なにか問題でも?」と言いたそうに冷たい目でエディを睨みつけてくる。

 エディは「なにも問題はありませんですっ」と慌てて目を逸らした。


 戸惑うエディに気付いた少女は、思い出したように「ああ、そうだ」と手を打った。

 ジョージの膝からピョンと飛び降りて、スカートの裾を摘んで一礼する。

 可憐な姫に、エディはポゥッと魅入った。だって、とても可愛かったから。


「わたしのなまえは、ニューシャ。オロバスへんきょうはくのむすめでございます」


 小さいながら、その自己紹介はなかなかにしっかりしている。

 自己紹介をしたら満足したのか、ニューシャは再びジョージの膝へと戻っていった。


(いいところのお嬢さんなのだろうとは思ったけど……辺境伯ってことは、かなり偉いよね?)


 辺境伯は、他国との要所を治める人だったとエディは記憶している。ディンビエにはそんな地位がないから、正確な役割までは分からない。


(やっぱり、元獣人が偉い地位を貰えるっていうのは本当なんだなぁ。やったね、リディア。きみはこれで将来安泰だ)


 自分のことを棚に上げて、エディは幼馴染の未来を祝福した。


 一人訳知り顔で頷くエディと、その隣で彼女を見つめてばっかりいるロキースを、ニューシャは不思議そうな顔で見つめる。

 コテンと首を傾げる姿は非常に愛らしい。顔はわりと平凡なのに、どこか小悪魔っぽい色香が漂っているようなないような。


「ねぇ、どうしてくまさんは、おとなりのおねえさんをおひざにのせていないの? おとうさまは、いつもおかあさまをのせているのに」


「へっ⁉︎」


 ニューシャの言葉に、エディの口から変な声が漏れた。


「くまさんは、おねえさんがすきじゃないの?」


「好きだ」


「だいすきなら、くっつかなくちゃだめよ。くっついているとね、そこからきもちがつたわるの。ほら、わたしをみて? ジョージおじさまがだいすきだから、あえるときはいつも、こうやってひざのうえにのせてもらうのよ」


(はぁぁぁぁぁ⁉︎ なにを言っているんだ、このお嬢さんは!)


 慌てふためくエディの隣で、ロキースの低い声が「なるほど」と呟く。


(な、なにが、なるほど⁈)


 ギギギ、と壊れたおもちゃのようにロキースを見たエディは、「ひぐっ」と息を詰まらせた。


(な、ななななな、なん、なんって顔しているんだよぉぉぉ)


 エディの心の声がどもる。

 だってそれもそのはず。

 ロキースの顔は信じられないくらい、大人の色気に満ちていた。

 気のせいか、彼の周辺にピンクや紫のモヤが放出されているように見える。


 齢十五才のエディでは見てはいけない、ましてや、目の前にいるニューシャはもっと見てはいけない顔である。


 慌てて顔を逸らしたエディは、ゼェハァと荒い息を吐きながら自分の胸元を掴んだ。

 だって、こうでもしないと魂が口から飛び出そうだ。

 ここで気絶でもしようものなら、人工呼吸と称してキスされてしまうかもしれない。


(うぉぉぉぉ! それは、それだけは、だめ! 初めてのキスは、ロマンチックに! それだけは、譲れない!)


 心の中で叫ぶエディの脳裏に、眠る姫を王子がキスで起こすお伽噺がぎる。


(だから、違うってぇぇぇ!)


 子供の次はキスシーン。

 もう、エディはいろいろ諦めた方が良い。


「エディ、おいで?」


 とどめを刺すように、ロキースの低い声がエディのお腹をズドンと刺激する。

 熱くなる下腹部を押さえて、エディは「おっふ」と呻いた。


 エディはお腹にパンチを食らったような気分だと思ったが、それは勘違いである。

 一般的な女性に置き換えるなら、「うっ……孕む!」とお腹を押さえていることだろう。

 それくらい、ロキースの声の色気は凄まじかった。


 妄想とお腹を熱くする謎の現象に、エディの思考はプスプスと音を立てた。

 どうやら、機能が停止してしまったらしい。


 機能が停止した理性の代わりに動いたのは、彼女の本能だった。


『エディ、おいで?』


 先程言われた言葉を反芻して、体が勝手にロキースの方へと傾く。


(行かなくては……)


 妙な求心力に身を任せていたら、キラキラとした視線に気がついた。

 その視線は、ジョージの胸元から発せられている。


(ニューシャちゃんだ……ハッ!)


 幼い少女の期待に満ちた視線に、エディの理性が急速に仕事をし始めた。

 慌てて体勢を立て直したエディは、顔を真っ赤にしながら唇をむん! と引き結び、色気を振り撒くロキースから顔を背ける。


(うぅぅ……のぼせそう……)


 火照る頰に、手のひらを押し当てる。ひんやりとした手が心地よい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る