第18話 二人きりのお茶会③

(それで、えっと、なんだっけ?)


 ロキースが、エディの頭を撫でた理由。

 それは、一人で頑張るエディを褒めたかったからだった。


(あぁ、そうそう。そうだった)


 弱くちっぽけな少女だったエディは、倒れるほど努力しないと強くなれなかった。

 心無い村人の一言に、言い返すことさえ出来ない女の子のままではいたくなかったから、必死に頑張った。


 おばあちゃんがいないから。その代わりに。

 周囲にはそう言っていたけれど、本当はそんな自分を変えたかっただけだ。手っ取り早い方法が、男装だったというだけ。


 だから、誰かに褒められたいとか、そういう気持ちはなかったはずだった。


(なのに、どうして──?)


 どうして、こんなに嬉しいのか。

 誰にも知られないようにしてきた、エディの中では恥ずかしい歴史なのに、嬉しくてたまらない。


 勝手に赤らむ頬を隠したくて、エディは持っていたクッキーを口に詰め込むと、ソファの上で膝を抱えて、顔をうずめた。


(あぁ、もう。本当に困る。この人はどうして、人の弱いところを付け入ってくるのだろう)


「好きになっちゃいそうじゃないか……」


 困り果てて思わずポロリと呟けば、「え⁉︎」と声が返される。

 そろりと視線を上げてみると、ロキースが期待に満ちた目でチラチラと見ていた。

 その姿に、恐ろしい熊という印象は全くない。相変わらず、メルヘンなイメージのクマさんである。


(あぁ、くそぅ。かわいいじゃないか)


 彼の腕の中で、クッションがグンニャリと歪んでいる。

 エディのことは、あんなに恐々抱きしめていたというのに。


「ふはっ。ロキース、なんて顔しているのさ?」


 せっかくの美形が台無し、とまではいかないが、少々残念な感じにはなっている。

 エディはクスクスと笑いながら、抱えていた膝を元に戻した。


「僕はさ、前は小さくて弱くて、守られるような女の子だった。大好きなおばあちゃんが馬鹿にされても、言い返せないような子だったんだ。僕はそれが嫌で、自分が許せないと思った。だから、大嫌いだった弓の稽古も必死でやったし、今までの自分を捨てるように女の子らしくするのもやめた。まさか、ロキースに見られているとは知らなかったから、驚いたよ。でも、なんだろうな……初めて頭を撫でられた時、心がホワホワしたんだ。それって、たぶん、ロキースの気持ちが、手から伝わったんだろうなって、今は思うよ。だから……ありがとうね?」


 エディの努力は、トルトルニアの人々にとっては当たり前のことだった。

 そして、彼女の両親からしてみたら、その努力は不必要なものだった。


(こんな特別、ある?)


 誰にも褒めてもらえなかったのに、ロキースだけが褒めてくれた。


(これって、僕が求めていたものじゃないの?)


 王子様じゃなくていい。庭師とか、門番とか、村人Aだって構わない。誰か一人の特別になれたら、それは幸せなことだろう。


 どうやったら、そんな存在になれるのだろうと思っていた。

 守りたくなるような、か弱い女の子?

 眉目秀麗な、気品のある女の子?

 それとも、才色兼備な女の子?


 降って湧いたようなロキースという存在に、エディは今更ながらに困惑した。


(どうして、この人は僕に恋をしてくれたのだろう?)


 話を聞く限り、少なくとも五年前には既にエディが好きだったようだ。

 だって彼は、『好きな子が傷付く姿は見ていて気持ちがいいものじゃない』と言っていた。


(じゃあ、一体、いつから好きだったっていうの……?)


 いつ?

 どこで?

 どのように?


 エディの頭は、疑問でいっぱいだ。


 だって、お伽噺のお姫様には、必ず好かれる要因がある。

 薔薇色の唇だとか、魅惑の声だとか、小鳥さえ味方する健気さとか。

 エディのどこに、惹かれるものがあったのだろう。


「エディ?」


 熱心に考え事をしていたら、知らずロキースを見つめていたらしい。

 おずおずと「どうした?」と問いかけてくるロキースに、エディはなんでもないと顔を背けた。


 恋なんて、ずっとずっと先のことだと思っていた。

 あと一年で十六歳。そうしたら結婚出来る年齢になるけれど、やっぱりそれも、ずっと先だと思っていた。


(あぁ、もう、どうしよう)


 エディはもう、好きになっちゃいそう、なんて言えなかった。

 なっちゃいそう、なんてものじゃない。


 こんな特別扱いを受けて、好きにならないなんてことがあるだろうか。


(あるわけない)


 少なくともエディは、ロキースのその気持ちが嬉しくてたまらなかった。


(これは、好き……なんだろうな)


 心に宿ったこの気持ちが、どういう意味の好きなのかはまだ分からない。

 友愛のようでもあるし、限りなく恋に近いような気もする。


(友情と恋の線引きは、どこにあるんだ?)


 お伽噺に、そんなことは書いていない。

 王子様はお姫様に恋をして、めでたしめでたしなのだから。


(さぁ、どうしたものか……)


 森守の仕事は大事だ。

 だけど、そのために、ロキースを遠ざけることはしたくない。


 エディはギュッと拳を握った。


(両立できる方法は、あるはずだ)


 覚悟を決めて、ロキースを見る。

 甘そうな蜂蜜色の目が、甘ったるい視線をエディに向けていた。


(こんなに、甘かった……?)


 エディの感じ方が変わったのか。

 それとも、ロキースの視線に変化があったのか。


 どちらのせいかは分からない。

 エディは、むせ返りそうなくらい甘い視線に耐えかねたのを誤魔化すように、ティーカップへ手を伸ばした。

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