第17話 二人きりのお茶会②

 エディの言葉に、ロキースは静かにティーカップをテーブルへ置いた。

 それから何かを思い出すかのように、自身の手のひらをじっと見つめる。


「そうだな……あれは、労いの気持ちからだった。いや、労いとも違うか……。すまない、どういう言葉が妥当なのか、思いつかない。だが俺は、エディはよく頑張っていると、褒めてあげたかった」


 二人きりの部屋で、ロキースの低い声が訥々とつとつと話す。

 飾り気のない言葉は、エディの心に一つ、二つと降り積もっていく。


「エディが頑張ってきたのを、俺は見てきた。俺は魔獣だったから、全部を見られたわけじゃない。けれど、弓の練習をするきみは、誰よりも見てきたよ。弓を支える親指の付け根に肉刺まめをつくって、それが破れても諦めず。弓の弦が腕を叩いて痣をたくさんつくっても、諦めず。でも俺は、そんなきみを見て、どんなに痛いだろう、もうやめればいいのに、と思っていた。だって、大好きなきみが傷つく姿は、見ていて気持ちが良いものじゃなかったから。いっそ、獣人になってきみを守ろうかとも思った。だけど、少しずつ弓の腕前が上達していって、魔獣のあしらい方もどんどん上手くなっていって……トルトルニアのみんなを守れるようになったきみが誇らしげにしていると、俺まで嬉しくなった。そんなエディだから、俺は恋をし続けているのだろう」


 親指の肉刺も、腕の痣も、エディは誰にも言っていない。それどころか、必死になって隠していた。

 弓の稽古をしている姿さえ誰にも見せないように、人が来ない、魔の森に近いところでやっていたのだ。


(たぶん、ロキースはそれを見ていたんだろうな)


 あの頃はリディアさえも突き放して、毎日毎日弓の稽古ばかりしていた。淑女になるために必要な時間を、全て放り出して。

 トルトルニアを守る森守になろうと、その一心だった。


「誰にでも出来ることじゃない。ただ見ていただけの俺が褒めたって、どうということはないだろうけれど。それでも俺は、きみを褒めてあげたかった。頑張ったな、偉いなって、褒めてあげたかったんだ」


 ロキースの喋り方は、ゆっくりとしている。声色は違うはずなのに、喋るテンポが似ているせいなのか、祖母エマが喋っているような錯覚を覚える。


 エディはふっと吐息を漏らした。

 それからスンッと鼻を鳴らす。


 鼻の奥がツンと痛んでいた。

 目から何かが溢れ出しそうになって、我慢するように唇を引き結ぶ。


 ロキースは、そんなエディを抱きしめたくて堪らなくなった。

 どうしてこの子はこんなにも我慢し続けるのか。泣いてしまえばいいのに、と思う。


 ロキースはエディを怯えさせないように、慎重に動いた。

 そんな彼を、エディは潤みそうになる目で見上げる。


 なにをするのだろうと見ていたら、ソファの背もたれごと抱きしめられた。

 恐々と伸びてきた腕は、エディに嫌がる素振りがないと分かると、ゆっくりと抱きしめてくる。

 エディは、まさか抱きしめられるなんて思いもしなくて、ビックリしすぎて涙が引っ込んだ。


「んえぇ⁉︎」


 ぎゅっとロキースの大きな体がエディの小さな体を抱き込む。

 思いがけず、しっくりとくる腕の中に、エディはうっかりこう思っていた。


(包容力、半端ない……)


 ソファの背もたれごとでこれである。直に抱かれたら、どんな感じなのか。

 エディはちょっとだけ、期待した。


「すまない。でも、俺の前では我慢しないで欲しい。俺は、そのためにここに居るから」


「我慢って……」


(いや、そうは言っても、涙引っ込んじゃいましたけどね⁉︎)


「遠慮しないでくれ」


 不思議と、抱きしめる手が嫌だとは思わなかった。

 ジワリと服越しに感じる自分より高めの体温に、嫌悪どころか安堵する。


(そっ、それよりも! み、耳! 耳元で囁くなぁぁぁ)


 ゾワゾワする。

 悪寒とも違う、知らない感覚だった。まるで蛇が這い上がるように腰から背中を走っていって、エディは怯える。


「ろ、ロキース……あの、お願いだから離れて」


 か細い声で訴えれば、背後からションボリとした気配がする。

 エディは慌てて「違うから!」と訴えた。


「嫌だからとかじゃなくて……ちゃんと話をしたいから……このままだと、目を見て話せないでしょう?」


 嫌じゃないのは確かだ。

 目を見て話したいのも、本当。


 ゾワゾワした件については、黙っていることにした。

 無意識に、それが恥ずかしいものだと理解していたからかもしれない。


 ロキースが離れていって、エディは騒ぐ胸を落ち着かせるようにクッキーを頬張った。


 ギ、と音がして、ロキースがソファに腰を下ろす。その腕には、先ほどはなかったクッションが抱きかかえられている。


 なんだか、抱っこし足りないと言われているようで心苦しい。エディは「そんなわけない」とまた一枚クッキーを頬張った。


 胸は騒々しいまま。治る気配もない。


(一体なにがどうなって、こうなった?)


 ほんの数分前の出来事なのに、抱きしめられたのが衝撃的で吹っ飛んでしまっている。

 サクサクと、ドングリを頬袋に詰め込むリスのようにクッキーを咀嚼しながら、エディは「うーん」と唸った。

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