第16話 二人きりのお茶会①

 絞り出された生地の真ん中にジャムがのったクッキーは、まるで花のようだ。

 差し出されたミルクティーを受け取りながら、テーブルに置かれた皿に並ぶ綺麗なクッキーに、エディは無意識に「かわいい」と呟いていた。


 自然に出た呟きは、本来の彼女らしい柔らかな音をしている。

 耳をくすぐる可愛らしい声に、ロキースの獣耳がピョコピョコ揺れた。


「気に入ってくれたのなら、良かった。ロスティの菓子屋で買ったのだが、多すぎて選ぶのが大変だったから」


 そう言って恥ずかしそうに鼻を掻くロキースに、エディの口から再び「かわいい」と漏れた。

 言わずもがな、クッキーの感想ではなくロキースに対してである。


 もしもこの場にミハウが居たならば、「エディタ、目は大丈夫か?」と眼科医を紹介したことだろう。聡いジョージが居たならば、「良いぞ、もっとやれ」と生温かく見守っていたに違いない。


 確かに、垂れ気味の蜂蜜色をした目は可愛いと言えなくもない。

 だが、それ以外のどこが可愛いというのか。

 一般的にはカッコイイ、もしくは美しいが妥当である。


 それでもエディが彼のことを可愛いと思ってしまうのは、彼が熊だからだ。

 今現在、彼女の頭の中では籠を持ったヌイグルミのような子グマが、たくさんのお菓子の前でウンウン頭を悩ませている。そんな健気なクマさんを助けてあげたいと、エディは胸をキュンキュンさせていた。


「ロスティのお菓子屋さんには、そんなにたくさんのお菓子が置いてあるんだ?」


「ああ。気に入ったのなら、また、買ってくる」


「ふふ。今度は違うものだと嬉しい」


「そうか」


 そう言って、ロキースは花が咲くように笑った。

 エディは、眩しいものでも見たように目を細める。あまりに綺麗過ぎて、目がシパシパしそうだ。


 可愛らしい子グマの妄想の後に、キラキラの笑顔を向けられる。

 そのギャップに、エディの胸は騒々しく騒ぎ立てた。


(可愛い上に綺麗とか、どうなっているんだ⁈)


 訳がわからない。

 見続けているのも辛くなって、エディは誤魔化すようにクッキーへ手を伸ばした。


 口に運んだクッキーは、思っていた以上に軽い食感だった。ホロホロとあっという間に口の中で溶けてしまう。

 トルトルニアにもクッキーはあるが、かたいものばかりだ。ミルクに浸して食べるのが、エディのお気に入りではあるのだけれど。


 指先についていた甘いイチゴジャムをペロリと舐めとって、エディは頬を緩ませた。


「ん……美味しいね、これ」


 その時、ゴキュリとおかしな音がして、エディは首を傾げた。

 一体何だと見回しても、当たり前だがエディとロキースしかいない。

 じゃあロキースが何かしたのかと彼を見ても、いぶかしげな顔をして、背後の窓を振り向いている。


 もちろん、外には何もない。

 まさか、エディの不意打ちのような色っぽい仕草に発情した熊が、生唾を呑み込んでいたなんて思いもしない彼女は、おかしいなぁと言いつつ二枚目のクッキーに手を伸ばした。


「そうだ。蜂蜜もある。好きなだけ、使え」


 そう言って、ロキースは蜂蜜の瓶を二つ取り出した。一つはエディへ、もう一つは自分へ。

 嬉しそうに鼻歌を口ずさみながら、彼は紅茶に蜂蜜をたっぷり落とす。


 ロキースは、ソワソワしながらこっそりエディを見つめた。

 早く蜂蜜を使ってくれないかな、また指についたりしたら舐めるのだろうか、なんて不埒な思惑が見え隠れしている。


 差し出された蜂蜜の瓶に、エディはそういえばと思い出した。

 彼女はロキースへ、言いそびれていたことがあったと。


「あのさ」と言って顔を上げると、ロキースの蜂蜜色の目とかち合った。

 絡んだ視線の甘さに、体が反射的にぴゃっと後退る。

 後ろはソファの背もたれで、逃げ場はない。

 話しかけてしまった手前、黙っているわけにもいかず、ロキースを見る目に力が入る。


「前に……大使館で出してくれた紅茶、とっても美味しかったよ。あれ飲んだおかげで、緊張が解れたと思う。ありがとう」


 緊張のあまり睨みつけるような目になってしまったエディを、ロキースはそれでも愛おしげに見返すだけだ。

 何をしていたって可愛くて仕方がない。そう、言いたげに。


(あぁ、もう。どうして、そんな顔をするかな)


 これでは、ますます無碍に出来ない。

 知らぬ間に懐いた熊さんを、突き放すことが出来ないではないか。

 困ったように固まるエディにとどめを刺すように、ロキースはクスッと笑った。


「そうか。じゃあ、また淹れよう」


「うん」


 また。

 その言葉に、エディは少しだけ嬉しくなってしまった。

 へへへと照れ臭そうに笑い返して、はたと我に返る。


(こういうの、駄目な気がする)


 会えば会った分だけ、エディはロキースのことを好きになる気がした。

 だって、会うのは今日で三度目なのに、もうヘラヘラと笑っている。


 警戒心、ゼロ。

 エディは、寛ぎきっていた。


(ミハウが言っていた、人間ってチョロいって、こういうこと……?)


 これはいけない。

 どうにか挽回しなくてはいけないだろう。


(でも、挽回って……何から、どうやって?)


 初恋すら未経験の彼女は、混乱した。

 何をどうすればいいんだと視線が動く。


 動いた視線が捉えたのは、ロキースの手元だった。


 ロキースの手は大きい。

 紅茶に蜂蜜を溶かすために持ったティースプーンが、とても小さく見えた。


 くるくる、くるり。

 無骨な指が、器用に回る。


(そういえば……この大きな手が、頭を撫でてくれたんだよなぁ)


 初めて会った時、何故だか分からないけれど、ロキースはエディの頭を撫でた。

 悪意は感じなかったのでおとなしくされるがままになっていたが、あれは一体、どういう意味があったのか。


(頭を撫でられるなんて、いつぶりだったんだろう。くすぐったいけど、なんだかホワホワして気持ち良かったんだよね)


 思い出して、なんだか恥ずかしくなった。

 思い出し笑いならぬ、思い出し恥ずかしといったところだろうか。

 赤くなりそうな頰を誤魔化すように、エディはサイドの髪を耳にかけた。


「あの、さ。この前……頭、撫でてくれただろ?あれ、どうして?」


(──って! 何聞いてるんだ、僕ぅぅ⁉)


 混乱した人というのは、ほかのことに突然興味を示したりすることがある。

 エディはまさにそれだったのだが、別の興味もまたロキースのことだったので墓穴を掘る形となった。


 今更後悔したって遅い。

 きっと、カードにあったような『愛しさが募って』とか『可愛らしいからつい』とかそんな甘い言葉が飛び出すのだろう。


 そう思って、エディは身構えた。

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