第15話 久々の女装

(うぅぅ……恥ずかしいぃぃ)


 真紅のロングケープのフードを目深に被り、エディは顔を真っ赤に染めていた。

 だって、それもそのはず。数年ぶりの女装は、顔から火が出るほど恥ずかしかった。


 ロングケープと同じ真紅の短めのドレスは、ない胸を隠すように黒いリボンが編み上げられている。キュッと引き締まった細い腰には、真っ白なエプロン。トドメとばかりにしなやかな足を強調するような黒の長い靴下を穿かされて、鏡で見た瞬間に気を失うかと思った。


 気合いで失神だけはしなかったが、「良い出来です!」と喜ぶミハウの世話係・エグレの目を掻い潜って、ペチパンツを履くことに成功したことだけは褒めて然るべきだろう。


(グッジョブ、僕! しかし、このペチパンツも罠だったに違いない……だって、こんなレースヒラヒラのやつ、僕は持っていなかった……!)


 エディは心の中で、ガックリと四つん這いで項垂れた。


 ふんわりヒラヒラしたボリュームのあるペチパンツは、ドレスの裾を広げて可愛らしさが助長されている気がしてならない。

 まさかそれで更に腰の細さが強調されて、ロキースの庇護欲に火をつけているなんて知らないエディは、久々の女装にただただ恥ずかしいと身を縮こませた。


 さすがエグレと、言わざるを得ない。

 長年、あの面倒な弟の世話をしているだけはある。

 エディがどんな行動をするかなんて、ミハウから散々聞かされていたのだろう。


(僕なんかよりもずっと、ミハウのことをよく分かっていらっしゃる)


 応接間に入っていった時の、喜色満面な笑みときたら。


(気持ち悪いったらない)


 ミハウは、女の子の格好をしたエディが大好きなのだ。

 幼い頃、彼を助けたのが女の子エディタだったから。

 だから彼は、女の子のエディを神聖化していて、殊更大事に思っている、のだと思う。


 そのことを、エグレはよく分かっているのだろう。

 着替えてから何枚か撮られた写真は、きっとミハウとの交渉材料にされるのだ。


 ミハウのデレデレとした顔を思い出して、エディはチッと舌打ちした。

 途端、ビクリと揺らいだ右手に、彼女は「ごめん」と呟いて右を見上げる。


「俺は、なにかしてしまっただろうか?」


「違うよ。ミハウに怒っただけ」


 不安そうな声に、罪悪感が募る。

 どうにも、この大きな男の人は優しすぎる。

 エディのどんな些細なことも拾い上げて、宝物みたいに大事にしようとしている気がするのだ。


(僕は壊れ物なんかじゃないのに)


 久々に女の子扱いをされているからだろうか。

 エディは気恥ずかしくなって、余っていた左手でフードをさらに下げた。

 右手は現在、ロキースの大きな手が握っている。


「そうか」


 安心したような声が降ってきて、エディはホッとした。

 どうしてなのかはわからないけれど、ロキースが不安そうな声を出すと悲しくなるようだ。そして、嬉しそうだとエディの心もポッと明るくなる。


(変なの)


 ロキースの手は、温かい。

 もっと強く握ってくれてもいいのに、とエディは思ったが、言うのは恥ずかしいので黙ったままギュッと手を握り返した。


 魔の森の中を漂う薄紫のモヤのような魔素は、まるで濃い霧のようだ。

 上を見れば、皺だらけの老人の手のような枝が、天を隠すように伸びている。

 枝の合間から差し込む光が、魔素を通過して地面を照らす。

 それはまるで足元を照らすランタンのように、点々と続いていた。


 ロキースの足取りに、迷いはない。

 人を惑わせるこの森は、獣人には効果がないらしい。


「この川を渡れば、俺の家だ」


 ロキースの声に、地面ばかり見つめていたエディは顔を上げた。

 そうして見た光景に、思わず感嘆の息が漏れる。


 すぐ先に、飛んで渡れるくらいの幅の小川が流れていた。

 小川の上には橋のような丸太が置かれていて、その先はまるでぽっかりと空を切り取ったみたいに青空が見えている。


(ここは、本当に魔の森なのか……?)


 驚くくらい、綺麗な光景だ。

 まるでそこだけが、別世界のようである。


 丸太を渡ったその先に、とんでもなく大きな木が生えていた。

 樹齢は一体何年くらいなのだろうと呆けたようにエディが見上げていたら、ロキースがその木へと歩いていく。

 キィ、という音に視線を戻すと、木の真ん中に扉があって、それをロキースが開けたところだった。


「どうぞ、入ってくれ」


 ロキースに促されるまま、エディは「おじゃまします」と大きな木の家に入った。


「わぁ……!」


 ロキースの家は、想像していた以上にお伽噺に出てくる家のようだった。

 木のうろを利用したというこの家は、ちょっと歪な円形をしている。


 最初に目に入ったのは、柔らかそうなソファと木彫りのテーブル。黄色のチェック柄をしたソファは、ロキースが座るのにちょうど良さそうな大きなものと、まるでエディのためにしつらえたような小さめのものが置かれている。


 奥には暖炉、左側には小さなキッチン、右側には二階へと続く階段があった。

 緩やかな螺旋を描く階段の先は、カーテンで仕切られているようだ。

 ロキースが言っていた通りなら、あの部屋は寝室なのだろう。


 エディは二階へ行ってみたくてたまらなかったが、さすがにそう親しくもない相手に言い出すのは気が引けて、おとなしく小さい方のソファへ腰掛けた。


 ロキースは小さなソファに収まるエディを見つめて、深く満足げなため息を漏らした。

 垂れ気味の目がますます下がって、甘く色っぽい雰囲気になる。

 エディはそれを見て、居心地悪そうに唇をモニョモニョと動かした。


 頰を赤らめるエディが、ロキースは愛しくてたまらない。

 ロキースのささやかなアピールに、彼女は戸惑っているようだ。

 明らかに、なにかを意識している。それも、たぶん、良い意味で。


 ロキースは今すぐにでもエディを寝室へ連れ込みたくなったが、ジョージからキツく「焦るな」と言われていたのを思い出して、慌てて階段から目を背けた。


「お茶を、淹れよう」


「う、うん。ありがとう」


 どことなくぎこちない雰囲気が漂う。

 それを居心地悪く感じながらも、エディは帰ろうという気にはならなかった。

 ずっと来たかった、お伽噺のような家に来られたのだから探検してみたいという気持ちもある。けれど、それ以上にロキースともっと話してみたいと思っていた。

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