第14話 初デートの試練

『家が完成したから、招待したい』


 その旨の手紙を出したら、エディからすぐに返事がかえってきた。


 答えは、イエス。

 すぐに返事がきたこと、それから以前の期待に満ちた彼女の目を思い出して、ロキースは密かにガッツポーズをした。


 エディからの手紙には、出来れば迎えに来てくれると嬉しいと書いてあった。

 魔の森からトルトルニアを守る彼女も、実際に森へ入ることは怖いらしい。

 そんなところも可愛いと、ロキースはルンルンで彼女を迎えに行った。


 ヴィリニュスの屋敷の場所は、よく知っている。

 魔の森からでもよく見える高い塔のような見張り台があったし、なにより、その台で見張りに立つ彼女を見つめるのは、ロキースの日課でもあったからだ。


「だが、ここへ来るのは初めてだな」


 遠くからは、数えきれないくらい見てきた。

 しかし、こうしていざ訪問するとなると緊張する。


 目の前の扉はロキースの背よりも小さいはずなのに、大きく感じた。

 まるで、ロキースの訪れを拒んでいるようにも見えて、つい怖気付く。


 何度も深呼吸して、それでも落ち着かなくて。何度も身支度をチェックしては帰ろうと踵を返してみたり。

 なかなかに不審者めいた行動をしていたロキースだったが、やっぱり約束しているのだからと思い切ってドアノッカーを叩いた。


 コンコンコンッ。


 軽く叩いたつもりだったのに、やけに耳につく。

 もっと軽く叩けば良かったかと心配していたら、中から少女が出てきた。

 エディより拳一つ分くらい背が高く、栗色の髪は後頭部で綺麗にまとめられている。黒いワンピースに白いエプロンという格好は、ロスティの大使館で見たことがあった。メイドだ。


 メイドは、ロキースを見るなり、ほんの少し驚いたような顔をした。

 それを見たロキースは、もしかして怖がらせてしまっただろうかと思った。


 実のところ、メイドは彼の優れた容姿と背の高さに目を見張っただけなのだが、元は魔熊な彼には思い至らないらしい。

 ヴィリニュス家のメイドを怖がらせてしまったと、帽子の中の耳はションボリと伏せっていた。


「ロキース様ですね。お待ちしておりました。ご案内致します」


「ありがとうございます」


 ロキースが礼を言うと、メイドはペコリと頭を下げた。

 怖がらせてしまったのに、応対はきちんとしている。エディの家は、しっかりとしたメイドを雇っているのだなとロキースは自分のことのように嬉しくなった。


 出迎えてくれたメイドに案内されて、どこかの部屋へと通される。

 応接間らしいその部屋には、重厚感のある革張りのソファと赤茶色をしたテーブルが置かれていた。


「こちらで少々、お待ち下さいませ。お嬢様を、呼んで参ります」


「分かりました」


 ロキースがソファへ腰掛けるのを見届けてから、メイドは静かに退室していった。

 彼は、ソワソワと落ち着きなく室内を見回す。

 初めて、好きな子の家に来たのである。なにもかもが新鮮で、なにもかもが気になって仕方がない。


 花瓶が置かれたテーブルの下の壁の隅っこに、小さな落書きを見つけた。

 たくさんの丸が連なったようなおかしな落書きだが、よく見るとクマのように見えなくもない。

 その小さな落書きのすぐ下に、グチャッとした字で『エデタ』と書いてあったものだから、ロキースは湧き上がる愛しさで死にそうになった。

 だって、随分前とはいえ、エディがクマの絵を描いていたのだ。嬉しくないわけがない。


 しばらくして、ノックの音がした。


「こんにちは、ロキース」


 そう言って現れたのは、くすんだ灰茶色の髪にくりくりとした目を持つ少年──エディだった。

 今日の為なのか、その顔にはうっすらと化粧が施されている。


 ロキースはしばらくエディを見つめて、困惑したように眉を下げた。


「耳が、いつもより大きいな」


 ロキースの問いに、エディは答える。


「あなたの声をよく聞くためだよ」


 再び、ロキースは問いかけた。


「どうして、いつもより目が小さい?」


 ロキースの問いに、エディは少しムッとしたようだった。

 小さな唇を尖らせて、目尻が少しだけつり上がる。


「これでも女の子なんだけど。それ、失礼だよ?」


「そうか。それは、すまない。ところで、エディはまだか?」


『エディはまだか?』


 その言葉を聞いて、エディは「ああもう!」と被っていた帽子を外して床に投げつけた。

 帽子の中に入れ込んでいた長い髪が、ハラハラと肩の上に落ちてくる。


 エディに似ていて、髪が長い人──それは、彼女の双子の弟ミハウに他ならない。


 早々に看破されたことに、ミハウは不満なようである。

 彼は唸りながら、地団駄を踏んでいた。


「なんで分かっちゃったの? 僕たちの取り替えっこは完璧なのに。今日は念入りに化粧までして似せたのに、どうして?」


「取り替えっこ……? よく分からないが、きみがエディでないことだけは分かるな」


 ケロリと答えられて、ミハウは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。それから思い出したように、唇をへの字にして眦を吊り上げる。


「なにそれ……」


 ミハウは「えぇぇ」と不満げな声を上げながらも、どこか嬉しそうに唇を緩ませた。


「僕たちを見分けるとか、完璧すぎでしょ」


 ミハウの口から、そんな言葉が漏れ出た。


 どうやって看破したのか、定かではない。

 だが少なくとも、ロキースにとってエディという存在は、彼女が好むお伽噺のような、唯一無二のものだということなのだろう。


「魔獣の初恋、舐めてた。文献読んだ時はそんな馬鹿なって思っていたけれど……やっと納得した。そりゃあ、ほとんどの人がクラッといっちゃうわけだよね。美形だからっていうのもあるのだろうけれど、何より、こんなに一途なんだからさ」


 これは秘密だが、ミハウがエディのフリをしたのは何も今回が初めてではない。

 可愛らしい見た目と類稀な弓の腕を持つエディは、男女問わずモテるのだ。

 少年だと思われているから、主な相手は女性になるのだが、中には玉砕覚悟で告白してくる男性もチラホラ。


 長年ミハウの世話係をしてきた、メイドのエグレと結託して、エディが寝ている午前中に告白をお断りしたのは何件だったか。


 双子の姉であるエディが、祖母のために女を捨てて頑張っているのをミハウは知っている。

 彼女がどんなに祖母を愛していたかも知っていたから、ミハウは陰ながら応援していたのだ。

 それは決して、褒められるようなやり方ではなかったけれど、彼に後悔はない。


「ミハウ様」


「エグレ……」


 いつの間に入ってきていたのか、応接間の扉の前で、ロキースをこの部屋へ案内したメイドが静かに佇んでいた。

 ミハウの名を呼ぶ声には、まるで覚悟を決めろと言っているような厳しさが滲んでいる。


 ミハウはしばし反抗するようにエグレを睨んだが、彼女は素知らぬ顔をするばかり。

 諦めたようにため息を吐くと、ミハウは「分かったよ」と拗ねたように呟いた。


「あーあ。完敗だよ。誰も分からなかったのにさ。分かる人が出てきたら諦めるって決めていたし、仕方がない。諦めてあげる」


 そう言ってロキースからツンと顔を背けたミハウを、エグレはたしなめるように「ミハウ様」と呼んだ。


「もう。分かっているってば。……改めまして、僕の名前は、ミハウ・ヴィリニュス。エディタの双子の弟だよ。僕が大事にしてきたエディタを、泣かせないでよね。ちゃんと、大事にすること。それから……」


 ガミガミと娘を嫁に出す過保護な父親のように、ミハウは彼女の取り扱いについて説明しだした。

 エグレは呆れたようにため息を吐いてから、一オクターブ低い声で「ミハウ様」と呼ぶ。


 ミハウとしてはこれ以上ないくらいの譲歩だというのに、中断されて面白くない。

 せっかくの可愛い顔を不細工に歪めて、彼はエグレをギロリと睨みつけた。


「まだ、言いたいことがあるんだけど?」


「廊下で、お嬢様をお待たせしているのです」


「それ、早く言ってよ。廊下で待たせるなんて、酷い。エディタ、もう大丈夫だから入っておいで」


 エグレの言葉に、ミハウは猫なで声で扉の向こうへと声をかける。

 そろりと入ってきたエディに、応接間にいた二人の男たちがホゥと感嘆のため息を吐いた。

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