第12話 薄幸の少女

 夜勤明けの睡眠から目を覚ましたエディは、食堂で眠気覚ましのミルクたっぷりなカフェオレを飲むのが習慣である。

 カフェオレボウルを両手で包み込むように持ちながら、フウフウと息を吹く。甘いミルクとほろ苦い珈琲の匂いが、彼女の鼻をくすぐった。


「んん……そろそろかな……」


 この一週間、続いていることがある。

 いつもなら、今くらいの時間にあるのだけれど──とエディが食堂の入り口へ目を向けた時だった。


「エディタ」


 今では呼ばれることが少なくなった本来の名前エディタで呼ばれる。

 聞き慣れたか細い声に、エディはカフェオレを啜りながら視線だけを上げた。


「どうしたの、ミハウ」


 食堂へ入ってきたのは、ぱっと見はエディにそっくりな、でもよく見ると彼女よりも儚げな薄幸の少女だった。

 エディが「ミハウ」と呼んだ少女は、白い頰をほんのりと赤らめて嬉しそうに微笑む。まるで、初恋の君を陰からそっと愛でる、乙女のように。


 少女の名前は、ミハウ・ヴィリニュス。

 ヴィリニュス家の次男坊であり、エディの双子の弟だ。

 エディと同じくすんだ灰茶色の髪は、男装する彼女の代わりかのように長く伸ばされ、リボンで結われている。


「ロスティの大使館から、手紙が届いているよ」


 ミハウの細い手が、エディに手紙を差し出してきた。


 この一週間──ロキースと最後に会ってから、毎日続いていることがある。

 それは、手紙。

 会えない代わりなのか、ロスティ大使館経由で、ロキースから毎日送られてくるのだ。


 毎回、飾り気のない真っ白なカードに気持ちの篭った文章が綴られているのだが、残念なことに、エディはその言葉たちを半分くらいしか読めなかった。

 だって、仕方がない。なにせ、ロキースの書く字は、まるでミミズののたくるような字をしているのだ。


 エディは人生で初めて、壊滅的に字が下手くそな人が身内にいて助かったと思った。

 そうでなければ、せっかく手紙を貰っても、何も感じることが出来なかっただろう。


 ロキースの手紙には、『今日は窓を作った』とか『ベッドが小さかったから作り直した』といった家づくりの進捗と、『早くエディに会いたい』とか『エディのこんなところが好き』というようなことが書かれている、ようだ。


 手紙を読むたびに、綿毛の子グマが「よいしょ、よいしょ」と巣作りする光景が見えるようで、エディは家の完成を待ち遠しく思っていた。


 一緒に書かれた、信じられないような甘い言葉は、寝る前にこっそり見返している。

 だって、読んでいるとジタバタしたくなるのだ。それなら、寝る前のベッドの上が最適である。


 エディはカフェオレボウルをテーブルへ置くと、手紙を受け取るために手を出す。

 だが、手紙を持った手はヒュッと引っ込められてしまった。


「ちょっと、ミハウ?」


 不満げに、エディはミハウを見上げた。

 彼の顔色は、相変わらず良くない。


(手紙を渡しに来るぐらいなら、ベッドで寝ていれば良いのに)


 弟のミハウは、生まれつき体が弱い。

 冗談で両親は「お腹の中でエディタがミハウの分の免疫力を取っちゃったのかもしれないね」なんて言うけれど、実は本当なんじゃないかとエディは思っている。

 幼い頃は、軽い風邪を拗らせて死の淵を彷徨ったことさえあるのだ。


 体が強かったエディは、体の弱いミハウに両親を取られる形になったけれど、優しい祖母がいてくれたおかげで卑屈になることもなかった。

 それどころか、体が弱いせいで過保護な親が部屋から出してくれないと泣くミハウのために、時折『とりかえっこ』してあげたこともある。


 とりかえっこ。

 それは、エディがミハウの格好をして、ミハウがエディの格好をする遊びだ。

 まだ女の子だった頃のエディと、男の子のわりに線が細いミハウは、まるで一卵性双生児のようによく似ていた。


(今も、似ているには似ている……かな?)


 ただ、やはり男女の差というものはある。

 ミハウの手は細いが、エディより大きい。声だって、いつの間にかエディより低くなっていた。


「ねぇ。最近、よくロスティの大使館から手紙とか使いの人が来たりしているけど、どうして?」


 ミハウの言葉に、エディはギクリとした。

 だって、言えない。いや、言ってはいけないような気がした。


「一回目はリディアの付き添いって聞いたけど、二回目は? それから、毎日のように届く、この手紙はなに?」


 まるで、浮気した旦那を問い詰める妻のように、ミハウは問い質してくる。

 だが、残念なことに彼の口から『離婚』の二文字が出ることはない。


 彼はエディの双子の弟であり、弟にしては過剰な愛情を向けてくる男だった。

 曰く、双子とはそういうもの、らしい。エディには分からない感覚だが。


 幼い頃は、「エディタと結婚する」なんて言っていたが、まさか今もそう思っているわけはないだろう。たぶん。


(そうだよね……?)


 残念なことに、今、食堂にいるのはエディとミハウだけ。第三者の意見は聞けそうにない。


「ただの手紙だよ。ミハウが気にするようなものじゃない」


「ただの手紙? なら、今ここで、開けて見せてよ」


「なんで?」


「エディタ。僕を誤魔化すなんて無理なんだから、早く白状して?」


 真っ青な顔で睨まれても、怖くはない。

 だが、このまま誤魔化し続ければ、ミハウはこの場で倒れるまで問い続けるに違いない。


(それは、面倒……)


 エディは観念するように、両手を上げた。


「分かった。話すよ。荒唐無稽な話だけれど、嘘じゃない。それだけは、信じて」


「エディタの嘘なんて、僕にはお見通しだよ」


 そう言って、ミハウは近くにあった椅子をエディのすぐそばへ引き摺ってくると、ドンと座った。


(体は弱いくせに、態度は強気なんだよなぁ)


 エディが手を出すと、ミハウはおとなしく手紙を渡してくれた。

 封を開けると、中からカードが一通出てくる。二つ折りされたそれをゆっくり開くと、解読が難解な文字たちが並んでいた。


 相変わらずの酷い字だ。

 だが、『家が完成した』という文が読み取れて、エディの顔にうっすらと笑みが浮かぶ。


「ちょっと、エディ。なんだよ、この手紙。字、汚すぎ! よく読めるね⁈」


 手紙を覗き込んできたミハウが、「はぁぁ?」と非難の声を上げた。

 正直、エディとしてはミハウがロキースの字を非難出来る立場だとは思えず、スンとした顔で彼を見つめる。


「ミハウの字とあまり変わらないよ」


「同じじゃないよ! 僕の字は、もうちょっと読める字だね」


「僕からしたら、同じにしか見えないよ。まぁ、そのおかげで多少は読めるわけだけど……」


 壊滅的に字が下手くそな身内とは、ミハウのことである。

 彼はわりと頭は良いのだが、文字にすることが効率的ではないと思っているせいで、字が非常に汚い。

 幼い頃は彼からラブレターを頻繁に貰っていたので、エディだけはなんとか解読出来る、というわけなのだ。


「それで? この汚い字を書いたのは、一体どこの馬の骨なのさ。サラサラの髪からいい匂いがする、なんて書いてありますけど。どう考えてもこれ、男だよね⁉︎」


「男だよ。名前は、ロキース。ロスティの大使館経由で紹介された人」


「は? ロスティの大使館は、お見合いまで斡旋しているわけ?」


「そういうわけじゃ……いや、そういうわけか」


 言い得て妙である。

 たしかにその通りだと、エディは思わず納得してしまった。今更ながらに。


 それからエディは、ロキースの正体と、そうなった経緯について話した。

 だけど、説明すればするほど不安になる。だって本当に、こんな話は信じ難い。


 すっかり話し終えた時、淹れたてだったカフェオレはすっかり冷え切っていた。

 乾きを覚えて口にすると、ミルクの甘さがやけに舌に残る。


(まずい……)


 これは、温め直した方がいいだろう。

 そう思って立ち上がろうとしたエディの袖を、ミハウの手が止めた。


「分かった」


 ゆらり、とミハウが伏せていた顔を上げる。

 その顔は珍しく、青くなかった。


「なにが?」


「要は、僕のエディタに恋をしやがった魔獣が、獣人になって口説いてきてるってことなんだよね? それってさ、僕に義兄が出来るかもしれない危機だよ⁈ 一大事さ!」


「一大事かなぁ?」


「一大事に決まっている! いい? 相手はとんでもなく美形で、よりにもよってエディタの好みど真ん中。そんな顔でお願いされたら、さすがのエディタだって警戒心解いちゃうでしょ! 人間って、結構チョロい生き物なんだから」


 エディは「まさか」と笑った。

 どうもミハウはエディのことになると過保護になる。特に、異性関係は必要以上だ。

 好みの顔云々だって、きっと最近読んだ本に影響されてのことだろう。彼は、読書家なのだ。


(きっと、容姿端麗な殺人鬼の話とか、そういう怖いやつを読んでいたのだろうな)


 可愛い顔をしているが、彼が好むのはグロい表現が多いミステリーものである。

 童話の、それもお姫様が幸せになるタイプのものを好むエディとは、全く好みが合わない。


「僕はね、エディタにお願いされたらなんでもしちゃうよ? 結婚したいから法律変えてって言われたら、政治家にだってなる」


「え……」


 ミハウの言葉に、エディは心底引いた顔をした。その顔には「ないわー」と書いてある。


「そんな顔しないでよ! 例え話だからね。僕のエディタはそんなこと、欠片も望まないことを知っている。だから、僕が出来ることはただ一つ!」


 ミハウは椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、力説した。

 その頰は興奮に赤く色づき、病弱さは微塵も感じさせない。


 顔色が良いのは良いことだ。


(だけど、嫌な予感しかしない)


 手を振り切って、カフェオレを温めにいけば良かった。

 そう思うエディの前で、ミハウは拳を握りしめて言った。


「ロキースとやらが、エディタにふさわしい男なのか、僕が見てあげる」


 一体、なんの権利がこいつにあるのだろう。

 エディの心の声は、双子特有の以心伝心テレパシーで届くことはなかった。

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