第10話 良く見せたい、それは恋のはじまり?
エディは不意に、先日の、ロキースとの一件を思い出した。
自分では金メダルのように誇らしかった傷だらけの手が、まるでメッキが剥がれるようにみすぼらしく思えたあの時。エディは、ロキースの目から隠すように、拳を握った。
(あれは、もしかして、そういうことだったのか……?)
好きな男の前では、いつだって可愛くありたいもの。
それはつまり、ロキースの前では可愛くありたいと、エディが思ったということなのだろうか……。
「……って、オイオイオイ、ちょっと待て。たった一回会ったくらいで、グラグラしているんじゃない」
僕にはトルトルニアを守るという使命が、とエディはすぐさま考えていたことを消し去った。
そう。ロキースには悪いが、エディには恋にうつつを抜かしている暇なんてないのである。
おばあちゃんが見つかるまでは、女を捨ててトルトルニアを守る。
それは、彼女が決めた道なのだから。
「エディ?」
考え事に夢中になって、すっかりルタの存在を忘れていたらしい。
ルタの声に、エディはパチパチと瞬きした。
「えっと、なんでもない。ただの、独り言」
「あら。
赤い唇が、ニィっと笑う。
獲物を見つけた猫のように、意地悪そうな笑みだ。
エディは得体の知れない怖さを感じて、ブルリと背中を震わせた。
ルタは悪い人ではなさそうだが、たまに怖く感じる時がある。
エディはそれを、彼女が高貴な家柄ゆえに醸し出される雰囲気のせいだろうと結論づけていた。
「ねえさんだからって、わけじゃない。だって、リディアにも話していないし」
「親友のリディアにも話せないこと……? もしかして、この前来ていた男の人のことかしら?」
ルタはいつ、彼を見たのだろうか。
思い当たるとしたら、大使館からの帰り道を送ってもらった時だけだ。
それ以降、エディはロキースとまだ会っていない。
「随分と綺麗な顔をした方だったわよねぇ」
「え……?」
エディはまさか彼女がロキースのことを知っているとは思わなかったので、弾かれたように魔の森から彼女へ視線を向けた。
赤い唇を、舌がチロリと舐める。まるで、獲物を前にした肉食獣みたいな仕草だ。
人妻とは思えない妖艶な仕草に、エディは眉間に皺を寄せる。
(気のせい、だよね? まさかねえさんが、ロキースを好きになるなんてこと、あるわけないんだから)
そう思いながらも、まさかという疑念が浮かぶ。
だって、ロキースはとても素敵な男性なのだ。
ふわふわの髪も、垂れ気味の目も、包容力のありそうな大きな体も、どこもかしこもエディなんかには勿体ない。
それに対して、目の前のルタは、スタイルも顔も家柄だって素晴らしい。
ルタがロキースの隣に立つ光景を思い浮かべて、エディは苦い気持ちになった。
(お似合い、だけど……いくら僕が駄目だからといって、僕以外の、それも人妻を獣人に差し出すなんて……ないない。だって、ねえさんは兄さんにべた惚れなんだから。そもそも、ロキースは僕に恋をして、獣人になったんだから、僕が責任を負って然るべきなんだ)
エディは、思い直すように頭を軽く振る。馬鹿な考えだと振り落とすように。
それから「これは仕方のないことなんだ」と呟いた。
ロキースがエディに恋をしたのは彼の勝手だ。
エディにはエディの決めた道があり、その中にロキースなんて存在は無かった。
(そう、言い切れたら良かったんだけど……)
残念ながら、エディは言い切れるほど冷たくなかった。
だって、好きだと言ってくれたら誰だって嬉しくなるだろう。
いつか誰かの唯一無二になりたいと願っている彼女には、その想いを無碍にすることなんて出来ない。
それが何を意味するのか、少し突き詰めれば答えがすぐに出ることは、なんとなく分かっていた。
だからエディは、努めて考えないようにしていた。
彼女の決めた道に、その道は有り得なかったからだ。
頭を振ったエディを、ルタは不思議そうに見つめている。
エディは「なんでもない」と呟いて、好きでもない紅茶を飲み干した。
「話せないわけじゃない。話す機会がないだけ」
「ふふ。もしかして、誤魔化そうとしている?」
リディアに話す機会がないのは、間違いではない。
だってリディアときたら、ほぼ毎日のようにルーシスと出掛けているのだ。
おかげで、エディはすっかり放置されている。まぁ、弟的ポジションなんてそんなものだと、エディも理解しているのだが。
話す時間がないだけだ。他意なんてない。
もしも前のように頻繁に会っていたら、エディはすぐにでも話していただろう。
エディの言い訳めいた言葉に、ニヤニヤとルタは笑う。
面白いものを見つけたと、喜んでいるのだろう。
ルタは、結婚するまでは上流階級にいた女性だ。
毎日、お洒落なサロンで優雅にお茶をしながら、噂話に花を咲かせていたと聞いている。
そんな彼女にとって、トルトルニアはつまらない場所だろう。
ここにはお茶会を開けるような素敵な庭も、毎日噂してもし足りないような話もない。
魔獣の件を除けば、欠伸が出るほど暇な村なのだ。
だからだろうか。
ルタは、こういう噂話に敏感だ。
村の誰と誰が付き合っているとか、今日はどの村から若い人が来ていたとか。
おかげでリディアがどんな男に騙されそうになっているのか分かって良かったけれど、今は嫌な予感しかしない。
(ここだけの話、って言ってもすぐに話しそうだ)
女性の言う『ここだけの話』ほど信用ならないものはない、とエディは思っている。
ここだけの話と言いながら、数日後には村中に伝わっているのだから。
もしもルタに言ったら、今夜中にはレオポルドにバレてしまうに違いない。
(そうなると、面倒だなぁ)
男装を面白がってくれた兄だけれど、エディが結婚適齢期に入ろうとしているせいか、ここ最近は両親と一緒になって諭してくる。
曰く、女の子らしく化粧をしろ、とか。
曰く、女の子らしくスカートを履け、とか。
曰く、女の子らしい所作を身につけ……ではなく、前みたいに戻せ、とか。
(化粧もスカートも女らしい所作も、トルトルニアを守るためには必要ない。おばあちゃんが見つかるまで、僕は決して、結婚したりしない)
「滅多に見ない美形だったから、私、ビックリして声をかけられなかったのよ。隠したいのって、あの人でしょう? リディアに話したら取られちゃうかもって、そう思っているから言えないのかしら? 彼女、美形が大好物だものね」
ルタの言葉に、エディはおやっと思った。
だって、おかしい。
(ルタは知らないのかな? リディアにはルーシスがいるのに……って、あぁ、なるほど、そういうことか)
隠したいのは、エディじゃない。リディアの方だ。
リディアが毎日ルーシスと出かけている理由。
それは、ルタやその他の女性からルーシスを隠しているせいだ。
(リディアは可愛いなぁ)
彼女なりに、ルーシスを大事にしているのだろう。
誰かに取られまいと、もしかしたらエディからも遠ざけているのかもしれない。
(それはそれで寂しいことではあるけれど……まぁ、上手くいっているのなら、それでいいや)
無事に両思いになって、ルーシスが獣人から人へと変化すれば、安心するだろう。
そうなれば、リディアは堂々と彼のことを両親に伝えるに違いない。
エディは、その時にロキースのことを紹介すればいいやと考えた。
「僕の話はどうでもいいじゃないか。それより、僕は仕事中だから。ごめんね。お茶、ありがとう。ご馳走さまでした」
物言いたげなルタにティーカップを返して、エディは毛布をかぶり直した。
蓑虫みたいになって魔の森の監視に戻ってしまった彼女に、ルタは「つまらないの」と言って戻って行った。
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