第9話 苦手なシナモンティー

 森守の仕事に休みはない。

 開け放たれたままの防護柵の扉から、いつ何時なんどき魔獣が侵入するか分からないからだ。


 魔獣が侵入すると警鐘が鳴る仕組みになっているが、寝ていてはすぐに対処できない。

 そのため、ヴィリニュス家の人々は、二十四時間、必ず誰かが見張りに立つきまりになっている。


 夜の見張りは、もっぱらエディの担当だ。

 たまに兄のレオポルドが立つこともあるが、彼には可愛い妻がいるのである。毎夜というわけにはいかない。

 両親は夜に活動出来るほど若くはないし、病弱な弟は論外である。

 必然的に、夜の見張りが出来るのはエディだけということになる。


 トルトルニアの人々を守るという使命感に燃えるエディは、たとえ夜勤になろうと文句はない。

 祖母が愛するこの村の人々の安眠を守れるならばと、進んで見張り台に立っていた。


 秋の夜ともなれば、冬ほどではないものの寒い。

 夜の闇に溶け込むような深い紺色の毛布を羽織って、エディはいつものように見張り台に立っていた。


「エディ、お疲れ様。今夜はいつもより寒いでしょう? 温かい紅茶を持ってきたのだけれど、どうかしら?」


 入って来たのは、ブロンドヘアと真っ白で透き通るような肌をした美女だった。

 その手には、ティーセットが乗ったトレーがある。


 エディは美女を見て、「ねえさん」と呼んだ。

 彼女の名前は、ルタ。エディの兄、レオポルドの妻であり、エディの義姉にあたる。


 高い身長に小さな顔、スタイルの良さはトルトルニアの女性にはないものである。

 それもそのはず。ルタは、トルトルニアの出身ではない。ディンビエの首都で生まれ育った、お嬢様なのである。


 淡い金色の髪に翠玉エメラルドのような目。猫を思わせるちょっときつめな顔立ちをしているが、幼い顔立ちをしているトルトルニアの女性にはない、大人の色気が漂っている。


 正直言って、レオポルドなんかには勿体無い女性だ。

 何を隠そう、【お嫁さんにしたいトルトルニアの女性】ナンバーワンとは、彼女のことである。

 数少ない独身女性を押しのけて、堂々一位が既婚女性。だが、納得の美しさである。


(それに加えて器量よしとくれば、ますます納得……)


 茶器を扱う手は白く、ほっそりとしている。ずっと前の、エディの手のように。

 肌からは甘い香水の匂いがほんのりと香っていた。いかにもお嬢様というような、上品な香りである。


「温まるように、スパイスも入れてみたのよ。お口に合うと、良いのだけれど」


 そう言って差し出されたティーカップからは、シナモンの甘い香りが漂っている。

 実は、エディはシナモンが大嫌いだったが、せっかくの兄嫁からの好意を無碍にもできず、おとなしく受け取って飲んだ。


「美味しいよ」


 ぎこちなくなりそうな顔に笑みを浮かべ、エディはルタを見た。

 レオポルドと結婚して、もうそろそろ三年になるだろうか。

 彼女は相変わらず、美しい。一分の隙もなく化粧をし、武装するように煌びやかな衣装を身に纏う。


「そう。良かったわ」


 そう言って嬉しそうに笑う唇は、蠱惑的な赤色をしている。

 薄暗い見張り台の中だと、真っ赤な唇が浮き上がって見えた。


(僕は、ちょっと苦手)


 とても、既婚女性とは思えない。

 レオポルドや村の男たちは「ルタはいくつになっても女を感じさせてくれるいい女だ」なんて言っていたけれど、エディからしてみたら少しくらい落ち着けよと思う。


 詳しくは知らないが、どうやら彼女とレオポルドはお見合い結婚らしい。

 なんでも、失踪した祖母の部屋に、彼女のお見合い写真が置いてあったのだとか。


(おばあちゃんのことだから、きっと慎重に事を進めようとしていたんだろうな……けどなぁ……よりにもよって、うちのお気楽両親が見つけちゃったから……)


 お見合い写真を見つけた両親は、すぐさまルタの実家であるマルゴーリス家に連絡を取って、お見合いをセッティングした。

 当主不在だというのに、いや、当主不在だからこそ、チャンスとばかりに二人は即行動したのだろう。こんな良縁、二度と巡ってこないから。


 ヴィリニュス家は、森守の一族としてディンビエの中でも重要な家である。

 とはいえ、事情を知らない者からすれば、トルトルニアの中では有名な家、くらいにしか周知されていない。


 対するマルゴーリス家は、ここ数代に渡って政治家や外交官を輩出している名家である。

 歴史ある一族ではないが、国内では名の知れた家だ。


 田舎の大した家柄でもないヴィリニュス家に嫁ぐには、マルゴーリス家はあまりにも良家だった。

 だが、レオポルドを見て一目で気に入ったルタは、両親を説得してこの家に嫁いできたらしい。


(そこまで好いてくれているってことだよね。だから、いつも兄さんのために着飾っているんだろうなぁ)


 好きな男の前では、いつだって可愛くありたいものよ、とリディアは言っていた。

 あいにく、エディには好きな男なんていなかったし、可愛くありたいなんて思いもしなかった。

 だから、それを聞いたエディは、「何を言っているんだか」と一笑に付したのだ。


(そう。僕は何を言っているんだって笑ったんだ……だけど……)


 エディの脳裏にふと、先日の一件がよぎった。

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