第7話 森守

 隠しているわけではないが、エディことエディタ・ヴィリニュスは、ヴィリニュス家のだ。


 色気のないパッツン前髪や、男の子のような短い髪、柔らかさよりもしなやかさが目立つ少年のような体にまとうのは、トルトルニアの伝統的な男性の衣装である。そして、一人称が僕となれば、大抵の人はエディを少年だと思うだろう。


 トルトルニアの人々はみな小さく、わりと幼い顔立ちをしている。

 エディのように小さな男性がいても、何の不思議もないのだ。


 エディが男装をするようになったのは、よくあるような跡継ぎがいないせいだとか、そういうわけではない。彼女には兄と義姉、それからちょっと病弱な双子の弟がいるのである。


 トルトルニアのヴィリニュス家といえば、森守として一部の地域では有名だ。

 森守と聞くと大概の人は『森を守る者』だと思うだろう。


 だが、そうではない。

 トルトルニアの森守は、『森から守る者』なのだ。


 トルトルニアのすぐ近くには、魔獣の生息地である魔の森がある。

 昼間でも黄昏時のように薄暗い森は、深い霧と濃い魔素に覆われていて、神秘的でもあり不気味でもあった。


 フラフラと興味本位で近づいてはならない。

 魔の森は恐ろしい魔獣の生息地であり、魔素が満ちた場所である。魔力耐性のない者が入ればあっさりと迷い、惑わされてしまう。


 かつて魔の森で魔獣を狩って生活していたトルトルの民たちは、この森の怖さを十分理解していた。

 だから彼らは村を作る時、魔獣に襲われないように防護柵を作ったのだ。

 偉大な魔術師が魔力を練り上げて作ったとされるその柵は、何人たりとも侵入を許さない。


 防護柵には扉が一つ。鍵が一つ。

 その鍵を守る一族こそが森守であり、ヴィリニュス家なのである。


 防護柵の鍵はヴィリニュスの鍵と呼ばれ、ヴィリニュス家の当主が肌身離さず持ち歩くのがしきたりだった。


 だが、五年前。

 事件は、起きた。


 ヴィリニュス家の当主でありエディの祖母であったエマ・ヴィリニュスが、鍵を持ったまま行方不明になったのだ。それも、防護柵の扉を開け放ったまま──。


 トルトルニアの精鋭たちが魔の森を駆け回ったが、エマの痕跡は全く見つからなかった。

 もちろん、鍵の行方も分からないままである。


 エマの生死も分からず、鍵も見つからない。

 それでも、ヴィリニュス家の人々は泣いてばかりもいられなかった。

 開け放たれたままの扉から、魔獣がやって来るからだ。


 魔獣は小さなものでも甚大な被害を及ぼす。

 たかがウサギの一匹くらいと侮ってはいけない。そのウサギ一匹で、家一軒が焼失するのだから。


 ヴィリニュス家が魔獣からトルトルニアを守ることは義務である。

 子供の頃から厳しく弓の稽古をつけられるのも、他の家より少しだけ立派な家も、全ては魔獣からトルトルニアの人々を守るためなのだ。


 当時十歳だったエディは、覚悟を決めた。


(大好きなおばあちゃんが見つかるまで、私はおばあちゃんの分も、トルトルニアの人々を守る)


 エマはよく、暖炉の前に置いた揺り椅子にゆったりと腰掛けて、小さなエディを膝の上に抱っこして話してくれた。大きくなってからは、暖炉の前の絨毯の上で二人で肩を並べて話した。


「ねぇ、エディタ。あなたはいつか、このヴィリニュスの家を出てお嫁にいっていまうのでしょうけれど。でもね、いつか来るその日まで、覚えていてちょうだい。トルトルニアの人々を守ることは、ヴィリニュス家の義務。そのために努力することを倦厭けんえんしてはいけないわ。あなたの両親は女の子らしくあれと言うでしょうけれど、弓の稽古だけは忘れちゃいけない。それは、この家に生まれた誰もがしなくてはいけないことなのだから」


 エディの長い髪を撫でながら、エマはそう言った。


「おばあちゃん。けんえん、ってなぁに?」


「倦厭っていうのはね、飽きて嫌だと思うことだよ」


「でもわたし、ゆみのおけいこ、きらぁい」


「そうだね。でも、エディタはまだ始めたばかりだもの。当たるようになったら、きっと違う世界が見えてくるよ」


 エマとの優しい時間が、エディは大好きだった。

 今だって、大好きだ。


(もう五年も経ってしまったけれど、会えたら、また肩を並べてお話ししたい)


 優しい思い出と一緒に、村人の心無い一言も頭をよぎる。


「ヴィリニュスのばあちゃん、結構な歳だったし、耄碌もうろくして魔の森に入って食われちまったんじゃねぇか?」


 エマは確かに高齢ではあったけれど、足腰はしっかりしていたし、弓の腕前だって一族で一番だった。


(耄碌なんて、するはずがない。おばあちゃんは、きっと何かに巻き込まれたんだ)


 だけど、当時十歳の少女でしか無かったエディには、何も出来なかった。

 心無い一言に、反論することも出来なかったのだ。


 女の子らしくあれ。

 その教えが、エディから反論のための言葉を奪ったのである。


 エディは、女の子だからと他の兄弟より甘やかされて育ってきた。

 いずれは誰かと結婚して、子供を生む。

 だからエディは、女の子らしくあることが求められた。


(だから、私は……ううん。僕は、こんな長い髪、いらない)


 エマが見つかるまで、トルトルニアの人々を守る。

 そのためには、女であることなど不要だ。


 覚悟の証として、彼女はまず、祖母が愛してくれたミルクティーブラウンの髪を、自ら切り落とした。


「え、エディタの髪が……!」


 バッサリと髪を切り落とした酷い頭になった双子の姉を見て、病弱な弟は卒倒した。


「あーあ」


 兄は呆れた顔をしていたけれど、「どうせやるなら服装も」と小さくなった服をくれた。


「エディタちゃん⁈」


「ど、どうしたのだ、その格好は!」


 すっかり少年らしくなったエディタに、両親は頭を抱えた。


 これでは嫁に貰ってもらえないと両親はカンカンに怒ったが、日々男らしくなっていく彼女にいつしか諦めがついたようだ。兄が結婚したせいもあるだろうけれど。


 そのうちにエディはエディタと名乗ることをやめた。

 代わりに、エディと名乗るようになった。


 エディ・ヴィリニュス。

 それが、彼女の名前ではないと知っている者は、今じゃそう多くない。


 深窓の令嬢として育てられているのがエディタで、最近外に出てくるようになったのは双子の弟のエディ。そう思っている村人は大勢いる。

 実際のところ、屋敷の部屋で寝ているのは双子の弟であるミハウなのだが、ちょうどいいからとエディはそのままにしていた。


 この五年で弓の名手へと成長した彼女は、その容姿の可愛らしさから『小さな天使』と呼ばれている。

 確実に急所を仕留める、獲物に優しい手腕からきている名前なのだが、人によっては恋のキューピッドと勘違いする者も多く、エディは傍迷惑な呼び名だと思っていた。

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