1章

第2話 男装令嬢

 大陸の北西に、吹けば飛ぶようなちっぽけな国、ディンビエはある。

 隣には、周辺諸国から軍事大国と恐れられるロスティがあるが、彼の国との国境を覆うように魔獣が棲む魔の森があるおかげで、争いになるようなことはない。


 ディンビエは、草原と騎馬民族の国だ。国土の殆どが草原であり、町とも呼べないような小さな村があちこちに形成されている。

 それは、それぞれの部族が、それぞれの地に根付いたからだと言われている。


 魔の森からほど近い村、トルトルニア。

 こちらも例に漏れず、トルトルと呼ばれる部族が作った村である。


 トルトルとは、昔の言葉で『小さき人』を意味する。

 その意味のとおり、トルトルニアの人々はみな、小柄だ。

 他所の村からは『子どもの村』なんてバカにされたりもするが、その弓の腕前は一級品である。

 かつては魔の森を馬に乗って駆け回り、魔獣を狩っていた部族だ。気付けば胸に矢が刺さっていた、なんてことが嫌だったら、口をつぐむべきだろう。


 トルトルニアの中でも最も魔の森に近い場所に、他の家よりも立派な家が建っていた。

 朱色の屋根に真っ白な壁は、ディンビエではよくあるデザインである。

 その朱色の屋根の上で日向ぼっこをする少年に、村娘のリディア・シャウレイは叫んだ。


「助けて、エディ! 私、このままじゃ隣国の醜男ぶおとこのお嫁さんにされちゃうかもしれない!」


「はぁ?」


 エディと呼ばれた少年は、不機嫌そうに眉をひそめてムクリと起き上がった。


 くすんだ灰茶色ミルクティー色をしたサラサラの髪は、清潔そうに切り揃えられている。お洒落にはまだ興味がない年頃なのか、前髪は潔く一文字に切られた状態だ。


 華奢なその身に纏うのは、白いシャツに黒いベスト。トルトルニアの伝統的な男性の格好である。

 目が覚めるような鮮やかな真紅の刺繍が刺されたキュロットからは、しなやかな脚が伸びていた。


 相変わらず良い脚してるじゃない。


 リディアは羨ましく思ったが、今はそれどころではない。

 彼女は、涙を浮かべてさらに叫んだ。


「さっき、ロスティから使者がきて……恋人はいるのかとか、結婚の予定はあるのかとか聞かれたの! どっちもいませんって答えたら、そりゃあ良かったって……ロスティでお嫁さんを見つけられなかった醜男が、ディンビエの田舎娘なら逆らわないだろうって、私に目をつけたに違いないわ!」


「リディアの勘違いじゃないの?」


 声変わり前の軽やかな声で、エディは答えた。

 昼寝の邪魔をされたせいか、その顔は不機嫌そうである。可愛らしい小さな鼻に、シワを寄せていた。


 素っ気ない返答に、リディアはにんじんみたいな橙色の髪を振り乱してわぁわぁ騒いだ。


「醜男と結婚なんて、嫌よ。私は美形としか結婚しないんだから!」


「ねぇ。僕の声、聞いている?」


 いつか、トルトルニアを旅立って世界各国の美男子イケメンを探し歩き、コレと決めた美男子と結婚するのがリディアの野望である。

 たとえ彼女が、田舎娘丸出しの泥にんじんのような見た目でも、磨けばなんとやらになると本人は心から思っていた。


(まぁ、可愛いか可愛くないかだったら、可愛いの部類には入るか)


 トルトルニアの男たちがこっそり作っている、【お嫁さんにしたいトルトルニアの女性】ベスト10くらいには入るだろう。

 残念ながら、この小さな村に結婚適齢期の独身女性は10人もいないのだけれど。


 幼なじみの欲目を総動員して、エディはリディアが可愛いということにした。

 肌は畑のカブみたいに白いし、鼻の上のソバカスもなかなかに可愛らしい。トルトルニアの女性にしてはノッポなところも、他と違って良いと思う。


 つい先日、野良猫に餌をやっていたのを見たときは、思わず足を止めるくらい優しい顔をしていた。いつか彼女がお母さんになったら、あんな顔をするのだろうかと思ったものだ。


(美醜に拘らなければ、良い嫁になりそうなものを)


 エディが一人納得したように頷いていると、喚き疲れたリディアが何かを閃いたようにパッと表情を明るくした。


「エディ! 私、いいこと思いついたわ!」


 きらきらきらりん。

 涙に濡れたリディアの瞳が、煌めいた。


(あぁ、なんだろう、この感じ……嫌な予感しかしないなぁ)


 だけど、リディアの幼なじみで彼女の弟的ポジションであるエディに、拒否なんて選択肢はない。求められているのは、承諾だけなのである。

 エディはふぅと、諦めのため息を吐いた。


「いいことって?」


「エディが私の恋人になればいいのよ」


「リディア。きみは、ロスティの使者に、恋人はいませんって言ったんだろ?」


「言ったけど……本当はいましたっていうことにするの」


「無理があると思うけど」


「ええ? なんで? なにも、本当の恋人になってとは言わないわ。大使館で行われる顔合わせの時だけ、恋人のふりをしてくれたらいいの。ね? 名案でしょう?」


「名案でしょうって……」


 エディは開いた口が塞がらなかった。

 だって、色々無理がある。


「相手は軍事大国ロスティの人なんだよ? もしも嘘がバレたら、規律違反だとか言われて処罰されそうじゃないか」


「会うのは、ディンビエの首都にあるロスティの大使館よ? ディンビエの中にあるのだから、ディンビエの法に則るべきだわ」


「いや、大使館の敷地内はロスティの領地みたいなものだから。ディンビエではなく、ロスティの法律が適用されるからね……?」


 エディは、哀れみの目でリディアを見た。その顔には、こいつは何を言っているのだろうと書いてあるようだ。


(世界中を旅して美男子を探すのが夢のくせに、無知すぎやしないか……? リディアを一人で旅立たせるのは危険かもしれないな)


「あら、そうなの? エディは物知りねぇ」


「リディアが知らなすぎるんだ」


「そうかしら?」


 おっとりほわわんと笑むリディアに、エディは頭が痛くなる思いだった。

 昔から、彼女はどうも頭が足りない。そのくせ、美男子には滅法弱いものだから、騙されそうになることが何度もあった。


 エディはその度にリディアを助けていたのだが、離れていてはどうにも出来ない。


(美男子探しの旅は、なんとしてでも阻止しなくては)


 まさかエディがそんな決意を固めているとも知らず、リディアは「困ったわねぇ」と呟いた。

 だが、それから考えるように小首を傾げて、彼女は言った。


「バレなければ良いのよ」


「バレなければって……そもそも僕は、女だよ?」


 そうなのである。

 少年のような短い髪であろうと、十五歳にしては胸の膨らみが少なかろうと、伝統的な男性の服を着ていようと、一人称が僕であろうと、エディことエディタ・ヴィリニュスは女性なのだ。


「ねぇ、もしかして忘れてる?」


「忘れるものですか。性別さえ男だったら、あなたと結婚できたのに。どうしてあなたは男じゃないのよ、エディ」


 恨みがましく見られても、困る。

 エディだって、出来ることなら男として生まれたかったのだから。

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