森守の男装令嬢、魔獣に執愛される

森湖春

序章

第1話 軍事大国の元騎士様

「はじめまして、エディタ・ヴィリニュスさん。それとも……二度目まして、と言うべきかな? 


 ディンビエ国の首都の外れにある、隣国ロスティの大使館。

 通された部屋のソファには、長い足を持て余すように男が一人、座っている。


 収穫時期の麦の穂のような金色の髪に、高貴な青玉サファイアをはめ込んだような目。ほどよく日焼けした、引き締まった体躯には、狼色アントワープブルーの軍服がよくお似合いだ。


 薄い唇が酷薄そうな笑みを浮かべていると小悪魔みたいで魅力的なのよね、と親友のリディアは言っていた。


(魅力的、なのか……? すっごく、すっごく、怖いんだけど)


 その顔は笑んでいるのに、無言の圧力をかけられているみたいだ。

 エディは、小さな体をぶるりと震わせた。


(さすが、軍事大国ロスティの男……笑っているだけでもおっかない……!)


 目の前の男とは、ついこの前──一週間ほど前に会ったばかりである。


 彼の名前は、ジョージ・アリストロ。

 昔は『黄薔薇の騎士』と呼ばれたロスティの元騎士であり、現在は魔獣保護団体とかいう怪しげな団体の所員らしい。


 三十歳になった現在も、未だ独身。その恵まれた容姿から縁談の話が引っ切りなしに舞い込んでいるようだが、「今は仕事に集中したい」と全てお断りしているようだ。

 以前は幼馴染と婚約していたはずだったが、いつのまに破棄したのか……。


(全部、リディアの受け売りだけど)


 確かに、ジョージは綺麗な男だと思う。

 三十歳ということだが、見た目は二十代半ばくらいに見える。

 だが、その落ち着きぶりというかエディに対する態度には、大人の貫禄が見て取れた。


「こんにちは、ジョージ様」


 エディは、少年らしいはつらつとした笑みを浮かべて、ディンビエ流の挨拶をした。


 ディンビエは、どんな時もまずは「こんにちは」である。これが出来ないと、挨拶はきちんとしろと説教されるくらいには大事なことだ。

 会ったらまずは「こんにちは」。相手がどんなに不機嫌であろうと、だ。


(まぁ、ここはロスティの大使館だから、通用しないだろうけどね)


 案の定、能天気そうなエディの挨拶に、ジョージの唇の端がヒクリと引き攣る。

 部屋の隅で揉み手をしながら畏っていた、ディンビエの高官がピャッと肩を跳ねさせた。


「お、おお怒らせるんじゃない! ロスティに歯向かったらどうなるか分からないのだぞ? きちんと、誠意を尽くしてお答えするのだ」


 ヒソヒソと高官が耳打ちしてくる。

 男の生暖かい息が耳に当たり、エディは不愉快そうに眉を寄せた。

 高官が離れたのを見計らって、エディは急いで耳を手で擦る。


(うげぇ……)


 どうにも、この男は好きになれない。

 ジョージは確かに隣国の者だが、そんなに偉い立場でもないと言う。


 だというのに、高官は気持ち悪いくらい媚びへつらっている。こいつには自尊心や誇りはないのだろうかと、エディはまるで草原を飛び回る害虫を見るような目で彼を見ていた。


「も、申し訳ございません。なにぶん、田舎者でして……」


 頭皮が見えかかった薄い頭髪をひけらかすように、高官はヘコヘコとジョージへ頭を下げる。

 吹けば飛ぶような小国のお偉いさんは、隣国がよほど恐ろしいらしい。


(怒らせたいわけじゃないんだけどな……)


 拗ねたように、エディは唇を尖らせる。

 それを見たジョージは、妥協するように「仕方ありませんね」とため息を吐いた。


「さて。ご説明頂けますか? エディくん」


「説明もなにも……もうご存知なのでしょう?」


「こらっ! ジョージ様に向かってなんて口のきき方だ! ……申し訳ございません、ジョージ様。どうか、お許しくださいませ」


「平に、平に!」と頭を下げる高官に、ジョージの形の良い眉が鬱陶しげにしかめられる。


「……はぁ」


「お疲れでございますか⁉︎ では、お茶をお持ちしましょう。ジョージ様は、甘いものはお好きですかな?」


 疲れが滲むため息を吐くジョージに、高官はせっせと世話を焼こうとしている。

 エディにだって分かるのに、どうして分からないのだろう。


(今のため息は、あんたに疲れたって言っているんだと思うよ)


 物言いたげなエディの視線にも、高官は気付かない。

 窓から差し込む光が彼のツヤツヤした頭に反射して、ジョージの目を眩しくさせているなんて、ヘコヘコと頭を下げまくっている彼が気付くはずがないのだ。


(助け舟を出すべきか……って言っても、どうやって? あなたのハゲ頭が光を反射して、ジョージ様を照らしていますよ、なんて言ったらマズイだろうし……むむむ……)


 頭を悩ませるエディの前で、ジョージが二度目のため息を吐いた。


「茶も菓子も結構だ。悪いが、部外者は出て行ってくれないか?」


「部外者だなんて、そんな……」


 婚約破棄されたご令嬢のように悲嘆に暮れる高官に、ジョージもだんだんイラついてきたみたいだ。

 メガネのブリッジをクイッと押し上げた彼の目は、「黙れ」と言っている。


「ひぇっ……ももも申し訳ございません。では、ごゆっくりお話くださいませ。えぇえぇ、もちろんしっかり人払いしておきますので、ご安心ください! しっ、失礼致します」


 背中を見せれば斬られるとでも思っているのか、高官は器用にジョージの方を向いたまま後ろ足で逃げていった。

 扉の隙間から、エディにだけ分かるように目配せするのも忘れない。


(ありゃ、ジョージ様が僕に手を出すつもりだとか思っていそうだな。それだけは、ないと思うけど。どうやったら、そんな勘違いが出来るんだろうなぁ。想像力、逞しすぎるだろ)


 バタンと音を立てて扉が閉じると、室内はとたんに静かになった。


「なんか……すみません」


 高官より立場が下であるエディが言うべき言葉ではないが、沈黙に耐えかねてそう言わざるを得なかった。


 申し訳なさそうに小さな体をさらに縮こませているエディを見ていると、まるで弱い者いじめをしているようである。

 意思の強そうな眉がハの字になると、少年の顔はまるで少女のように見えて、ジョージは余計に罪悪感を覚えた。


 ジョージは気を取り直すように、足を組み換える。


「はぁ……まあ良い。それで……君はどうして、嘘をついていた?」


「それは──」


 はぁぁ、と。

 今度はエディがため息を吐く番だった。

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