第3話 大使館にて

 結局、エディはリディアの命令おねがいを断りきれなかった。

 断ったつもりでいつものように屋根で日向ぼっこをしていたら、外に見知らぬ馬車が到着していたのだ。


 晴れ渡った空の下、金模様が施された馬車は輝いているように見える。

 まるで、舞踏会へ行くお姫様のための馬車のようだ。

 御者は人間に見えるけれど、実は魔女が変身させた動物かもしれない、なんて思うくらいには、その馬車は豪奢だった。


 明らかに、ディンビエのものではない。

 よく見れば、馬車にはロスティの紋が刻まれていた。


(ロスティからの馬車……ということは)


 嫌な予感がして、エディの背中を冷や汗が流れていく。

 口の端をヒクヒクさせながら、エディがじっとしていると、馬車の窓が唐突に開いた。


 残念ながら、その馬車に乗っていたのは可憐なお姫様ではなかった。


「さぁ、エディ。行くわよぉぉ」


 馬車の窓から、リディアがブンブンと腕を振っていた。

 ニコニコと無邪気に、彼女は笑っている。

 心なしか、いつもより可愛らしいワンピースを着ているようだ。


(醜男だって決めつけていたわりに、着飾っているじゃないか……)


 いつもは飾り気のないワンピースを着ているのだが、今日は首都に行くということもあってか、伝統衣装を着ている。白地に色とりどりの刺繍があしらわれたそれは、遠目からでも目立ちそうだ。

 朝から念入りに手入れしたのか、長い髪はしっとりツヤツヤしている。

 まるで別人──とまではいかないが、いいところのお嬢様くらいに見えなくもない。


「ほら、早く! 急いで降りてきてちょうだい」


 断られるなんて、リディアは微塵も思っていないようだ。

 お気楽な頭で考えた、エディ恋人作戦が上手くいくと本気で思っているのだろうか。


 しかし、幼馴染として捨て置けないくらいには、エディはリディアが好きだった。


 せめて彼女と一緒に怒られるくらいで済めばいい。


 そう願いながら、エディは渋々屋根から降りて、馬車に乗り込んだのだった。






 ロスティの大使館は、首都の外れにある。

 ガタゴトと舗装も満足にされていない畦道あぜみちのような道を、美しい馬車が走っていく。


 そうして訪れたロスティの大使館は、外観は軍事大国らしい無機質な印象を受ける建物だった。だが、意外にも中に入ると、そこは王宮のように絢爛豪華だったのである。


 床に敷かれた絨毯は、ベッドかと思うくらいフカフカしている。

 革張りのソファはツヤツヤとしていて、座って汚さないか心配になった。リディアは慣れないヒールの靴なんて履いてきたものだから、早々に根を上げて座っていたけれど。


 ようやく覚悟を決めて座ったのは、リディアの隣の席だ。

 だって、今日のエディはリディアの恋人なのである。離れて座る方がおかしい。


 子ネズミのように体を縮こませてソファへ座るエディに、リディアは内緒話をするようにヒソヒソと話しかけた。


「なんか、すごいね?」


「ここ、大使館だよね? 僕、お城に来たような気分だよ」


「エディは、お姫様が出てくるお伽噺が大好きだものね」


「昔の話だよ」


「今も好きなくせに」


 ウヒヒと変な声で笑うリディアを、エディは肘で小突いた。

 こういう時、なんでも知っている幼馴染は困る。

 でも確かに、エディは今でもお姫様が出てくるお伽噺が大好きだ。


 いつか王子様が迎えに来てくれないかな、なんて憧れはない。だけど、誰かたった一人の特別になることには、憧れている。


 王子様じゃなくていい。庭師とか、門番とか、村人Aだって構わない。誰か一人の特別になれたら、それはとても幸せなことだろうと思うのだ。


 ニヨニヨと物言いたげに笑い続けるリディアを無視するように、エディは目の前にあったティーカップに手を伸ばす。

 良い香りがするお茶を飲もうとしたところで、不意にドアがノックされた。


「失礼します」


 そう言って入ってきたのは、一人の男性だった。

 金色の髪に、狼色アントワープブルーの軍服。理知的な印象を受ける眼鏡の奥は、綺麗な青の目だ。


 エディの隣で、リディアがヒュッと息を飲む音が聞こえた。

 無理もない。目の前の男はエディからして見ても、文句なしの美形イケメンなのだから。


 目の前の男の死角で、リディアはバシバシとエディの背中を叩いた。


「あ、あの方は……! 黄薔薇の騎士、アルストロ様じゃないの」


「おや、私のことをご存知でしたか。はじめまして、リディア・シャウレイさん。私の名前はジョージ・アルストロ。現在は騎士ではなく、魔獣保護団体に籍を置いています」


 ジョージと名乗ったその男は、優雅に一礼した。

 なんというか、いかにも騎士といった風の気取った礼である。

 トドメとばかりに眼鏡男子の必殺技『眼鏡クイッ』を繰り出されて、リディアは「はぅ」と声を漏らした。


(おいおいおーい、リディアー? 今日は僕が恋人なんだから、ジョージ様に惚れ惚れしている場合じゃないぞー?)


 訴えるような視線を送るが、ジョージの顔面にときめいているリディアは気付かない。

 エディはこっそり、ため息を吐いた。


「ところで……そちらの方はどなたでしょうか? 今日、ご招待したのはリディアさんだけの予定でしたが」


 不審者を見るような目で、ジョージはエディを見下ろした。

 光の加減で眼鏡のレンズがギラリと光って、まるで威嚇されているようだ。

 エディは思わず、肩をぶるりと震わせた。


(まぁ、そうだよね。僕、呼ばれていないし)


 ジョージの態度は当然である。

 とはいえ、ここまで来たら作戦の実行あるのみだ。

 エディは挑戦的な笑みを浮かべると、精一杯胸を張ってこう言った。


「はじめまして、アルストロ様。僕の名前は、エディ・ヴィリニュス。リディアの恋人で──」


 その瞬間、大使館の窓ガラスが派手な音を立てて割れた。


「すぅぅぅぅ⁉︎」


 叫びながらも反射的にリディアに伸ばした手が、空を切る。

 バランスを崩して倒れそうになるエディの背後で、リディアが小さな悲鳴を上げた。


「リディアは俺のものだ! 残念だが、彼女のことは諦めてもらおう!」


 慌てて振り返った先には、ジョージが霞むくらいの超美形な青年が、リディアをお姫様抱っこして立っていた。

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