第23話 救いの手

「ほら、起きて――」


 そう言われた気がして重いまぶたを上げる。

 ボヤけた視界にはさっきまで俺が解いていた問題集を眺めている金髪の少女の姿がある。

 思えば最近はあんまり話していたかったので、その蒼く透き通ったビー玉のような瞳に懐かしささえ感じてしまう。その懐かしさは一週間や一ヶ月とかでなく、五年、いやもっと前――


「シャル……」


「この数時間で一体どんな夢を見ていたのかな? まるでファンタジー世界のお姫様みたいな名前が出てきたけど」


「……っ、ごめん。星宮」


「そう、星宮さんだぞっ? おはよ頼人。そして久しぶりっ」


「久しぶり……って、まだ5日ぶりくらいな気がするけどな」


「へへっ、そうだっけ?」


 舌を出しながら目を逸らす辺り、おそらく最後に会ったのが5日前なのを忘れている様子だ。


「てか、なんでここに星宮が?」


「本当にたまたまだったんだけど、七限目が終わって直ぐに借りてた本を返却しに来てたの。そしたら君がぐっすりお眠りしてるのが見えたから、荷物とかが盗られないように私も隣で勉強しようと思ってね」


 確かに眠りにつく直前、彼女らしき姿が見えた気もしたが、疲れたせいで幻覚を見ているのだと思っていた。まさか本当に彼女だったとは。


「……まじか、こんな所で足止めさせてごめん。直ぐに叩き起こしてくれてよかったのに」


「だって君の顔が「寝かせて下さいぃ〜」って懇願してたし、起こすのは可哀想に思えたんだもん」


 どうやら俺は彼女に気を使わせてしまったらしい。ただでさえ過酷な七限授業を終えたばかりで疲弊していると言うのに、一体俺はどれくらいの時間彼女を足止めしていたのだろうか。

 スマホに表示された現時刻は午後18時40分。俺が眠ったのが確か17時前後だったので、二時間近くも彼女を足止めしていたことになる。


「せめてなにかお礼させてくれよ、流石に申し訳ない」


「そんなのいいよ、私が進んでここに居たんだし、君が気にすることじゃない。それにほら――」っと、雑に書き殴られた俺の問題集を指して、


「こんなに頑張ったんだから少しくらい休憩しなきゃ駄目だよ」


 ――俺の汚い問題集を見て、彼女はそう言った。


「そんなの汚く描き殴っただけだよ、進学クラスの星宮からしたら頑張った内にも入らないだろ」


「ううん。頑張った人の文字は嘘をつかない。これは眠る直前まで書き殴ってでも必死になって答えを導き出そうとしてた人の文字だよ。それに努力のさじ加減は人それぞれ違う」


 彼女はそう言うと俺の問題集を静かに閉じて、差し出してきた。


「お疲れ様。もうすぐ閉館だし、帰ろっか」


「お、おう……ありがと」


 外は既に真っ暗になっている。

 俺のせいでこんな時間まで彼女を足止めしてしまったので、せめて彼女を送らなければならない。


「……もう暗いし、流石に家の近くまで送るよ」


「じゃあお言葉に甘えようかなっ」


 ゆっくりと机に広がった荷物を片付けて、俺と星宮は図書室を後にする。

 廊下に出ると殆どの電気は既に消えていて、足元すら見えない暗闇は続いていた。


「星宮……前、見える?」


「ほぼ見えないかな、真っ暗闇」


「俺が前歩くから、腕、捕まれるか?」


「わかった」


 ガシッと俺の右腕を彼女が掴むまで待ってから、一歩一歩前に歩き出す。


「星宮はもう、テスト勉強してるのか?」


「まだだよ。私は結構マイペースな方だから、一週間前とかに始める事が多いの」


「え、確か星宮、入学試験首席だったんだよな……?」


「うん、一応ね」


 正直以外だった。入学試験で首席を取るような優等生は、テストの一二週間前はおろか、一ヶ月以前から勉強を始めているような存在だと勝手に決めつけていた。


「じゃあやっぱり、塾とか通ってるのか?」


「通ってないよ? うちのクラスメイトには通ってる子多いみたいだけど」


「まじか。進学クラスに首席で入って、テスト一週間前に勉強を始めてるとか……、勉強ってやっぱ生まれ持っての才能なのかな、、」


 気づいた時には無意識でそう呟いてしまっていて、直ぐにそれが軽率な発言だった事に気がつく。


「あ……っ、ごめん。失礼なこと言うつもりじゃなかったんだ」


「ふふっ、いいよ別に。実際両親は二人とも公務員だし、勉強は得意な方だったらしいから。私も少なからず遺伝は影響してると思ってる。君は勉強どう? 好き?」


「いいや、好きどころか大嫌いだよ。テストの度に学校を辞めたくなるくらい嫌いだ。それなら辞めればいいじゃないかって言われるかもしれないけど……」


が居るから辞められる訳無いよね」


「……?」


「友達と会えるから毎日通ってるようなもんだよ、学校なんて。私もいつもそう思ってる」


「……あぁ、まさにその通りなんだ。俺、中学の頃の成績が最悪だったから教師にはこの高校には絶対に合格出来ないって断言されてたんだ。けれど友達四人が一緒に合格する為に毎日苦手教科教えてくれて、なんとか今こうしてここに通えてる」


「その友達って、この前の?」


「え? あぁ」


 そういえば彼女も食堂や合同体育でもう何度か四人とは顔を合わせているんだった。覚えていても不思議ではない。


「にしても、よくわかったな」


「だって、とっても仲良さそうだよ? 君たち。いつも羨ましいくらい輝いてみえる」


「……そうなの?」


 自分自身の視点からでは決して感じ得ないことを彼女は教えてくれた。


「うん。だから眠っている君を見つけた時、どうして勉強してるんだろうな〜って疑問に思ったもん」


「ははっ、やっぱりそうだよな……」


「もしかして、何かあったの――?」


「いや、別に大したことじゃないんだ」


「今の君の顔、人の顔じゃないよ?」


「…………ッ」


 余計な心配はかけたくないので、一応自分なりのすました顔を浮かべて見たのだが、彼女にはバレバレのようだった。


「ごめん……今嘘ついたよ、おれ」


「いいよ、そんなこと。だけど私に話してみる気はない? 誰かに打ち明ける事で救われる時もあると思うんだ。もちろん君が良ければだけど」


「あー……でも、少しだけ長くなるかもしれないし、今日は流石にこんな時間だし――」


「じゃあ、に行こっか」


「へ……?」


「すぐ近くのハンバーガーショップだけど、もしかして君、行ったことない?」


「いや、もちろんあるけど……」


 直人や三谷と何度か入店したことがある店の名前だった。名物は牛100パーセントのハンバーグが十枚重なった特大バーガーだが、正直顎が破壊された記憶しかない。


「星宮時間は大丈夫なのか?」


「うん。丁度今日はお父さんもお母さんも帰りが遅くなるらしいから、何か買って帰るつもりだったから」


「そっか。それなら俺は全然構わないけど」


 下駄箱で靴を履き替えて校庭に出ると、肌寒い風が俺と彼女を襲った。まだ四月なので夜になればそれなりに寒い。


「めっちゃ風強いけど、大丈夫かー?」


「全然平気〜! むしろ気持ちいいくらいだよ」


 彼女は楽しそうに両手を広げて微笑んでいた。


「ねぇ、見て!」っと上空を指した先には、これ以上ないほどに美しい満月が手に届きそうなくらい低く浮かんでいて、風に靡く彼女の金髪を神々しく照らしていた。


(やばい、、星宮が綺麗過ぎる……)


 ついつい見惚れていると、少し先まで歩く彼女は振り返り、大きく手を振ってきた。


「早く来ないと置いてくよ〜っ」


「あぁ、すぐ行くよ!」


 その背中にどこか懐かしさを感じながら、俺は駆け足で彼女の元まで向かった。

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