第14話 亀裂と告白

 中間テストまでの二週間、放課後はなるべく五人で勉強会を開くことが決まった俺達は、さっそく学校終わりに近くのファミレスに寄ることになった。

 奇遇にも店内では既に勉強を教え合っている他校のグループが幾つもあり、割と混み合っている。

 やはり何処の学校もテスト期間は大体同じタイミングなのだろうか。


「うげぇ〜……さっき六限が終わったばっかりなのになんで数学の問題集開かなくちゃならないのぉ〜」


 机に頭を打ち付けながら、現実を受け入れることを拒んでいる様子の美由紀の肩を咲優が両手で起こし上げる。


「ネガティブな事言わない。ほら美由紀、そこの公式間違ってるわよ。正しいのはこっち」


 すぐ隣では三谷が直人の科学を教えている中、咲優は隣に座る美由紀と、正面に座る俺の二人を相手にしている状態。これでは自分の勉強などまるではかどるはずが無いのに、嫌な顔ひとつせずに俺達に分かりやすく指導してくれて、本当に彼女は面倒見が良くて優しい。


「ほら頼人もよそ見してないで、手と頭を動かす」


「お……おう」


 せっかくここまで面倒見てくれてるんだし、それなりに良い結果を示す為にも、俺は授業中殆ど目に映らない現代文の教科書をまじまじと見詰める。


「いや、さっぱり解らん。文章が頭に入らん」


「も〜頼人ってば、珍しくやる気満々の顔だと思ったら全然だめじゃん」


「長文読解は昔から苦手なんだよ。文章を読む事がまず嫌いなのに……、こんなの完全にセンスないと解けないだろ」


「確かに現文はセンスが問われる時も多いけど、解く必要はないわよ。全部いま頼人が見てる文章の中に答えは載っているの。そこから適切な一文を掘り出すだけの、“宝探し”だと思えばいい」


「宝探し……?」


「そう、数学や物理みたいに自力で計算して答えを導き出す必要なんてない。ただ提示された問題と本文を示し合わせるだけで、次第に答えに辿り着ける宝探しゲームよ」


 宝探しゲーム。そう言われただけで、なんだか冷静に文章を見つめ直せる気がして、


「おぉー! そういう事か、分かってきたよ咲優!」


「やれば出来るじゃん!」と微笑みながら俺の問題集に赤丸をつける咲優は、まるで自分の事かのように喜んでいて、なんだか恥ずかしくなってくる。

 その後も順調に文章読解に夢中になっていると、気づけば午後19時を回っていて、窓の外は真っ暗な夜道が広がっていた。

 途中で集中力の底が尽きてしまった美由紀の肩を揺らし、俺達は勉強道具を鞄に詰め込んで店を後にする。


「ねぇねぇ頼人っち、結局中間って二週間後の何曜日から始まるわけ?」


「今日が4月の15日の月曜日だから、29日の月曜日から4日間だな」


「えぇ、殆ど一週間丸々テストじゃん……」


「でもまぁ、一日三時間テストやって即帰宅出来るんだし、事前に勉強してれば余裕も出てくるだろ」


 さっき知ったばかりの情報を美由紀に伝えているだけなのにも関わらず、背後から直人がクスクスと笑っていてしゃくさわる。


「まさか頼人の口から“余裕”とかいう言葉が出てくるなんてな。今からテストの結果が楽しみだわ」


「覚えとけよ直人、今のセリフが二週間後にも言えてるのか俺も楽しみだぜ」


 言うまでもなく直人は俺と張り合う程の大バカで、中学の頃から一緒に補習を受けることも多かった。しかし何故だか毎回テストの結果は俺が僅かに負けていて、こうして幾度となく煽られ続けているというわけだ。

 そろそろ一矢報いてやりたいところだが、


「それなら今回も五教科の合計点で勝負するか?」


「もちろんオレは構わんぜ? 負けた方がラーメン一杯奢りのやつな」


「おう、上等だよ」


「やれやれ……」とレベルが低い者同士のいがみ合いを見詰める三谷は、重い溜息を零す。


「二人ともやめときなよ、赤点さえ回避出来ればそれで平和に収まるってのに……馬鹿なの?」


「何言ってんのさ三谷っち、馬鹿に決まってるじゃん。ねぇ咲優っち?」


「美由紀も人の事言えるような成績じゃないでしょ」


「「いや、ほんとだわ」」


 無言で火花を散らしていた俺と直人の声が重なる。

 美由紀の中学の時の成績は直人より少し高いくらいで、別に威張れるような点数では無い。むしろテスト当日まで俺や直人よりもまったりくつろいでいる癖に、いつも必ず俺達より点数が高いのが不思議でしょうがない。


「わたしは本気でやってないだけだも〜ん。本気出したら頼人っちと直っちの馬鹿仲間が居なくなっちゃうから仕方なく付き合って上げてるんだよ?」


「お前なぁ……」


 呆れた態度をとっていると、直に分かれ道が見えてきた。左に進めば駅のホームへと続く道、右へ進めば住宅街へと繋がる道。

 直人と三谷、美由紀の三人は自宅が学校からは少し離れた隣町にある為、ここから先は電車に乗らなければならないが、逆に俺と咲優の家はこの先の住宅街に位置する為、もう少し歩き続ける必要がある。

 つまり必然的にここでお別れという形に。


「ほなじゃあ、オレ達はこっちだから。また明日な二人とも」


「じゃあね〜頼人っち、咲優っち。頼人っちは帰ってからも勉強しなよ〜?」


「だからおまえには言われたくないってば。バイバイ二人ともっ」


「はぁ!? 三谷っちうっざ〜」


「なんだよ? ボクは一度も間違ったことは言ってないはずだけど?」


 最後までいがみ合いながら駅の方へと歩き出す二人と、呆れ笑いを浮かべる親友を見送って、俺と咲優は手を振る。


「直人にあんま迷惑かけんなよー」


「特に美由紀に言ってるんだからね〜?」


 咲優の一言が余計だったのか、美由紀は一瞬だけ振り返り、小さな舌を見せつけてきた。


「べ〜〜〜〜ッ!!」


 最後まで可愛げがない彼女の背中を見送って、俺と咲優は苦笑する。


「じゃあ俺らもそろそろ行きますか」


「うん」


 住宅街へと続く道は照明も少なく、薄気味悪い空間が続いていた。

 一人だったら余計怖かったかもな……っと身体をこわばらせていると、ドンッ、と俺の左腕と咲優の右腕が重なった。


「キャッ……」っと、咄嗟に腕を引く咲優、


「ビックリさせて悪い、痛くなかったか?」


「うん。ちょっとだけビックリしたけど大丈夫。頼人の方こそ腕、腫れてない?」


「あ〜……、俺はもちろん大丈夫、なんせ男だからな」


 まさか自分も心配されるとは思っていなかったので、少しだけ腫れた手の甲をポケットの中に突っ込む。


「頼人の嘘つき――。今隠した手、ちゃんと私に見せて」


「いやいやいや。少し肌寒くなってきたから入れてるだけでな?」


「つべこべ言わないッ!」


 そう言うと無理やり俺の左腕を引っ張り上げようとする咲優、俺も負けじと腕を引っ込めようと試みるが、あんまり力を加え過ぎると制服が破れる可能性まで出てくるだろう。

 流石にまだ一ヶ月も着ていない制服を破ったとなれば両親に殺されるので、仕方なく彼女の腕力に屈することに。


「ばかッ! 全然腫れてるじゃない……! 嘘つきっ! ばかッ!」


「二回もばかって言わなくて良くない……!?」


「言われる方に原因があるから仕方ないでしょ?」


「はい……俺が悪かったです。すいません」


 怒った咲優ほど怖いものはないので、むやみに反論したり、間違っても逆ギレしてはいけない。

 俺には今まで幾度となく選択を間違えて後悔してきた過去があるので、日々それを教訓にして美由紀や三谷のようにくだらない喧嘩に乗らないように、自制を心掛けている。


「謝るなら最初から素直に言いなさいよね、私嘘つきは嫌い」


「なんていうか、やっぱ男って生き物はさ、女には余計な心配掛けたくないんだよ。うん」


「ふーん、女には余計な心配掛けたくないねぇ?」


「なんだよ?」


「別に? ただ今の発言、矛盾してるなぁって思っただけ」


「矛盾……? 俺が? どの辺がだよ?」


 胸の奥まで覗き込むかのように、彼女は細めた視線を俺に向けてきた。


「そもそも頼人、一度たりとも私を女として見たことなんてない癖に、女には心配掛けたくないって、どう考えても矛盾でしょ」


「はぁ? それは無いだろ。俺はいつどんな女子にだって、時には嫌いな奴すらも丁重に扱ってきた自信があるぞ? 咲優を女だと思ってない訳がないだろ」


「だからそういうことじゃない、私が言ってるのはもっと……特別な気持ちの事を言ってるの」


「特別な気持ち……?」


 彼女がいま何について話しているのかは正直分からない。だけど段々と表情は曇ってきているようにも見えるので、やはり俺の何かが不満なのは確かだろう。

 だがその“何か”が分からない限り、俺にも改善のしようがないわけで。

 特別な気持ちとは一体なんのことを指しているんだよ……。


「ううん、やっぱりいい。今のは忘れて――」


「良くないだろ。俺がお前の何か大事な事に気づけていないなら、改善するから教えてくれよ。そうしたらきっと、俺上手くやるから」


 返答は帰ってこず、沈黙のまま足取りだけが速くなっていく彼女の右腕を掴む。


「おい咲優――」


「やめて、離して……」


 五人で居たさっきまでとは打って変わって、今にも泣き出しそうな顔で咲優は掴んだ俺の手を振り払った。

 思えば近頃、彼女の様子が以前までと変化している事に違和感は覚えていたが、まさかそれと何か関係があるのだろうか。


「最近……いや、高校に上がってからお前の様子が少し変わった事と関係があるのか?」


「うるさい……関係ない」


「関係ないならその涙はなんだよ……? 俺は馬鹿だから言われなきゃ分からない。それは一番付き合いが長いお前がよく知ってることだろ?」


「だからうるさいッてば!! 一番長い付き合いだとか、人の気も知らないで自分に都合のいい事ばっかり言わないでよ……!」


 静まり返った夜の住宅街に、悲鳴のような声が轟いた。

 俺はその迫力に圧倒されて、言葉を失う。


「……え?」


「最近の頼人はあの子……星宮さんの事ばっかり気にして、目で追って、楽しそうに笑って。

 そういうのを“特別”だって言ってるの!」


「いや、アイツとは別にそんなんじゃ――」


「否定してなんて言ってない。くだらない噂も学年中に広まってるけど、なるべく気にしないようにもしてる。なのに今の頼人は同じ場所にいても一緒に居る気がまるでしないから、くだらない噂すら本気に思えてきて、私胸が痛いの」


「それって……」


「だからあの子と付き合ってるなら正直に言って欲しいし、そうでないなら――」


 溢れ出す大粒の涙を拭って、咲優は真っ正面から俺の胸に飛び込んできた。


……」


「……ッ!?」


 それはあまりにも突然で、現実さえ疑ってしまう程の告白だった。

 いま彼女に包まれている全身が本当に自分の身体なのか疑ってしまいたくなる程に、柔らかくて暖かい温もりが俺を包み込んでいて、誘惑する。

 もしかしたら、もしかしなくても。この状況はかなりやばい事になるかもしれない。


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