第8話 勝負の行方

 互いのチームの代表によるジャンケンの結果、最初のサーブ権は一組のものとなった。

 サーブエリアに立ったのは当然南雲。

 ボールの硬さを確かめるように地面にバウンドさせながら後方に後ずさる。先程の星宮さん同様ジャンプサーブの構えのようだが、ぶっつけ本番で行った彼女のソレとは纏うオーラが違いすぎる……。なんというか、奴の風格。


「みんな、まずは落ち着いて一本行こう」


「おう、アイツのサーブくらい拾ってやらぁ」


「現役バレー部だろうが、ボクには関係ないね」


 勢いだけは誰にも負けない二人は置いておいて、


「大西くんと有田くん、佐藤君と岡田君も準備はどう?」


「バッチリだよ。なるべく打ちやすい球を上げてみせる」


「俺はサッカー部だけどバレーも出来るとこを女子たちに魅せるぜ!」


「僕は足引っ張らないように努力します


「自分は最初ベンチスタートだから途中からになるけど、精一杯頑張るよ」


 ついさっき完成したばかりのほぼ素人チームではあるが、全員程よい緊張で臨んでくれるみたいで少しだけ安堵する。

 もはやチームに対する心配は不要、ここから先心配すべきは南雲とボールの行方のみ……。


《ピッピ――ッ!》


 今日何度も耳にした笛の音と共に火蓋が切って落とされた。


「フン……。行くぞ」


 当然のように後方から助走を付けて、3m近くもの高さに飛び立つ南雲。全くと言っていいほどブレのない綺麗すぎるフォームに、敵ながら一瞬見惚れそうになりながら、


 ――バチンッ――!


「……ッ!」


 放たれたボールは鉄を砕く弾丸のような音をたてて、次の瞬間には自陣コート内のど真ん中に叩き落ちていた。


 ボトンッ――……


《ピッ――! 1対0》


「は……?」


 転がるボールを眺めて、俺は想像以上に自分の考えが甘かったことを悟る。


「おい頼人……なんだよ今の、お前見えたか?」


「あぁ、見えたよ。見えただけだったけど」


 本当にタダ見えただけだった。

 バレー部なのは分かっていたし、大西くんからの助言のおかげでジャンプサーブを使うことも容易に想像出来ていた。それなのに気づいた時にはボールは地面に転がっていて、底知れない無力感と共に全身が鳥肌に包まれていた。


「何ぼーっとよそ見してるのさ。ほら、次行くよ?」


 沈黙に包まれる俺達にご満悦な様子の南雲は、既に先程と同じようにジャンプサーブの構えに入っている。


 ――来る……! そう思った時にはもう、ボールは俺の頬を掠って落下していて、


《ピッ――! 2対0》


「まだまだここから……」


 そう、まだ一点。たかが一点。ポジティブ思考さえ怠らなければ飲まれない……と、俺は内心高を括っていたのかもしれない。


 ※※※

 

 そこから先はただただ一方的な猛攻が続き、試合開始から約五分が経過する頃には《18対7》という絶望的な点差のみが得点板に表示されていた。


「……ハァ……ハァ……まだまだ」


「あれだけ大口叩いておいて結局このザマか……。つまんないな」


 ネット越しから軽蔑した眼差しで南雲が語りかけて来た。


「結局、君らみたいな馬鹿が僕に勝てるところなんて喧嘩ぐらいしかないんだからさ、最初から気が済むまで殴っとけばよかったんだよ」


「おい……? てめぇ何処まで性格腐ってんだこら?」


「おい待て、直人」


 試合中なのにも関わらず相手コートに乗り込もうとする直人の二の腕をがっちりと掴み取る。


「もういい頼人、離せ。アイツをぶん殴ってオレはここで退場でいいから――」


「退場なんかじゃ済まないから止めてんだよ、本当に退学になるぞ」


「……うるせぇ」


 これは相当やばい。腕はがっしりと握っているが、少しでも握る力を弱めたら今にも試合を放棄して南雲を殴りかねない。マジで俺がなんとかしないと……。


「いっその事一発殴ってスカッとした気持ちで退学するのもありなんじゃない? どうせなんてこの先進級出来るかも危ういだろうし」


 ……ピキッ――


 その瞬間、俺の中で何かが切れたような音がした。まるで細い糸がプチンッとちぎれたように。全身が熱を帯びて、熱い。俺は怒っているのか……。

 安い挑発に反応するほど俺の器は小さくないはずなのに、今は無性にアイツを――南雲を殴りたくて、殺してしまいたくて腸が煮えくり返りそうだ。


「……すぞ」


「は? なんて?」


「もう一度同じ事言ったら――そのクソメガネかち割ってぶち殺すぞって言ったんだッ!」


「……ッ!」


 体育館中が静まり返り、コート内は勿論、周囲の壁に持たれている女子生徒達の視線が俺に集まる。


「は……?」


 急変した俺の状態に驚きを隠せない様子の南雲は放っておくとして、リードを掴んでいた親友すらも口を半開きにして黙り込んだまま。


「頼人……? お前いきなりどうし――」


「いいから、続けるぞ。まだ終わってない」


 冷めきった様子の親友の肩に拳を置いて、俺は体育館端まで転がったボールを拾いに歩き出す。


 確かに南雲の言ってる事はあながち間違っちゃいない。今俺がこうして運良く公立高校に入学出来たのも、ぶっちゃけ直人や咲優、美由紀や三谷と同じ場所に行きくて、同じ日々を過ごしたくて一時的に勉強を頑張ったからであって、正直今のままの学力じゃ来年度俺だけが二年に上がれない事も分かっている。

 けれどそんな事はどうでもいいと思える程に、さっきのアイツの一言――と一括りにされた事が許せない……。

 アイツが言うお前ら――に俺と直人以外の何人が含まれてるかは分からないが、有田君や岡田君、佐藤君や大西君のようにまだ殆ど関わってもいないクラスメイト達を同様に軽蔑されて、黙っていられる訳がない。

 とはいえその場の怒りに身を任せ、アイツを殴るような形でこの場が終わればそれこそアイツが望む結果となり、もう俺はこの学校には居られなくなる。故に取るべき行動は一つだけ。

 まだ終わっていないこの試合に勝利して、アイツ――南雲を黙らせる。


「えっと、ボールボール……」


 その為にも先ずは次のサーブで良い流れを創り出したい。そんなことを考えながら、転がっているボールに手を伸ばそすと、パン――ッと真横から現れた別の腕と被さってしまう。


「あ……ごめ――」


「はいっ、これ」


 そう言ってボロボロになったボールを両手で差し出してきたのは、金髪碧眼の彼女――星宮さんだった。


「あ、その……ありがと」


「いえいえどういたしまして。それよりほら――」っと得点板を指差す彼女は、へへっ、と笑みを浮かべて、


「勝負はまだ、終わっていないよっ?」


「え……――?」


「今君の顔、って書いてある」


「……っ!」


「そんな顔してたら、勝てる試合も勝てなくなるよ。きっと――」


「……うん。君の言う通りだ。まだ終わってないし、終われない」


 そうだ、俺は何を弱気になっていたんだろう。まだ、まだ終わった訳じゃない。アイツを殴るのも、絶望するのも、負けた後でいい。


「そう――その意気だよっ」


 クラスは違うけど横で応援してるね――? っと言い残して友人達の方へと戻っていく彼女の背中を見送って、俺はサーブエリアに立つ。


(やっぱ彼女は後ろ姿だけでもすげぇ華がある……)


 というより、なんで他クラスの俺の背中を押してくれたのだろう……。いや、今はそれよりもやることがある。


「直人、それにみんな」


「頼人……?」


「残りの時間、全てのチャンスを、全部のボールを、俺に集めてくれ」


「……!? お前……まだ勝つ気なのか?」


「終わってもない試合を放棄して、武力行使なんて一番ダサいやり方だ」


「…………ッ」


「でも、気が済まないなら殴ればいい。退学になればいい。だけどそれは負けた後に考えようぜ? 親友――?」


「お前……。いや、分かった。着いていくぜ。親友」


 よく言った――。そう呟いて俺はゆっくりと後ろに後ずさる。体育館の天井を見渡して、前方にスッ――とボールを投げる。

 後は降下してくるボールに合わせて一歩一歩前進し、五歩目で大きく踏み込んで、飛ぶ――。


「そして打つ――」


 ……ボンッ――!!


 軌道もブレブレで、それでいてやや力でゴリ押しな気もするが、アドリブで放った俺のジャンプサーブは相手コートのエンドラインギリギリに落下した。


《ピッ――! 18対8 》


「頼人……お前――」


 直人を筆頭に驚愕した様子のチームメイト全員を見渡して、俺は拳を向ける。


「言ったろ? 全部に持ってこい」


「「「「「――おうッ!」」」」」


 チームの息が吹き返った所で、もう一度俺のサーブだが、俺も自分の身の程くらいは知っているので、そう何度もジャンプサーブが成功しないことは分かっている。

 リスクは最低限に抑え、一般的なエンドラインからのサーブに切り替える。

 当然の如く相手チームには拾われるが、向こうが得点を入れるには必ずにトスを上げる必要があるので、そこに合わせてブロックの人数を最大限に増やす。


「直人、三谷、あれを止めるぞッ!」


「おう!」


「……分かった!」


 案の定最後のトスは南雲へと上がり、後はそこにタイミングを合わせて、飛び上がるのみ。


「せ〜……のっ!」


 三人同時にシンクロを果たし、南雲の強烈なスパイクに腕を伸ばす。


 バシン――ッ!


《ピッ――! 18対9》


「チッ……クソッ!」


 弾かれたボールはそのまま南雲の真後ろへこぼれ落ち、今日初の俺たちの連続得点となった。


「「「……しゃぁぁぁッ!」」」


 そこから先は、ブロックは同じように南雲を抑え続け、攻撃は直人と大西君を筆頭に俺にトスを回し、絶望的な点差がみるみる縮んでいった。


 ――ねぇ、あの点差から追いつきちゃったよ?


 ――なんか七組勢い乗ってない!?」


 ――うんうん! あの黒髪の子、最初乱暴そうにみえたけど、なんかチームを纏めてるし、スパイクも決めまくってて結構カッコイイよね!


 ――確か西島君だよね。私、後で連絡先貰っちゃおうかなぁ!


 想像もしなかった展開にザワ付き出す周囲の女子生徒達。今はそっちを見ている余裕は無いけれど、星宮さんも俺の活躍を見てくれてるかな……っと少し期待しつつ、俺は着実に勝利への勝ち筋を見出そうとしていた。


 そして試合開始から約二十分、遂に得点は《23対23》と並んだ。

 本来のルールでは二点差がつくまでまで永遠に延長が続くらしいが、今回は時間が押してきてしまっているので、「先に25点に達したチームの勝利とする」と小島先生がルールを付け足した。

 つまりもう、これ以上は一点も落としたない状況になるのだが、それは相手チームも同じことだろう。


「有り得ない……君たち素人集団が、この授業中だけでここまで上達するなんて、有り得ない」


 次のサーブは三谷なのだが、彼がボールをバウンドさせている間に、ネット越しで南雲が語りかけてきた。


「おい。どんなイカサマをした? 正直に言え!」


「イカサマなんてする訳ねぇだろ、たかが体育でも、これが現実だ」


「……なわけがあるかぁッ! ならどうしてお前たち下手くそ素人集団が僕に追いつける!? そんな事があっては行けないッ!」


「それだよ――南雲」


「……はぁ?」


「お前らお前らって……勝手に決めつけて、自分と同じバレー部員の西君すらも俺たち素人と同じように扱って。何処まで救いようがないんだ」


「救いようがない……だと? 僕はただ本当の事を告げているだけじゃないか! それの何が悪いッ!」


 三谷が放ったボールを自らがレシーブし、彼は叫んだ。


「おいっ! 僕に上げろ! この試合を終わらせてやるから早く上げろ!」


 そんな命令口調にビクビクと怯えながら、必死に彼のチームメイト達はトスを上げ続ける。

 しかしここまで殆どのトスを一人で打ってきた南雲に、もうさっきまでのキレはなく、直人一人にあっさりとブロックを決められ、そのままボールは跳ね返される。

 南雲はチッ……! っと膝を床に着けた。


《ピッ――! 23対24。七組マッチポイント!》


「おいお前ら! もっといいトス上げろ! ずっと黙っていたが、お前らも下手すぎなんだよ」


「この期に及んで仲間のせいか?」


「うるさい……うるさいうるさいうるさい!

 いいから早く、俺に上げろッ!」


「もう、本当は分かってるんじゃないのか? いつまでもこんな事続けてたら、誰も周りから居なくなる事くらい。その出来の良い頭なら分かるだろッ!」


「…………」


「頼人、終わらせるぞ!」


 そう言ってサーブを打ち込む直人の顔に、さっきまでの怒りや憎しみの表情はない。

 彼自身も当然南雲の事を許したつもりは無いだろうが、本心では拳じゃなく、このバレー対決で白黒つけたいと思っているのだろう。

 だからこの攻撃をブロックして、終わらせる。


「……げろ。僕に上げろ……上げてくれ」


「うん……」


 あんなに滅茶苦茶なアイツにも、最後までトスを上げ続けてくれるクラスメイトがいるなんて、正直驚きを隠せない。


「どれだけ恵まれてんだよ。お前――」


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッ!」


 俺と直人、三谷の三枚ブロックのド真ん中を、ボコンッ――! っと張り裂けるような音を立てた強烈なスパイクが貫いた。


《ピッ――! 24対24。一組もマッチポイント!》


 床にお尻を着けて、直人と三谷と見つめ合う。


「いよいよ次で最後……」


「負けねぇ」


「勝とう」


 泣いても笑っても次が最後の一点なのは間違いないが、相手のサーブはここに来てやはり南雲。彼のジャンプサーブを拾わない事には始まらない。


「フンッ……馬鹿なりの奇跡で粘ってはいたけど、僕のこのサーブで終わりだな」


「そうか? 本当に勝てそうか?」


「なに? 当然だ。強者のプライドというものを見せてやるよ」


「確かにプライドを持つことは悪い事じゃないさ。けどな、下を見ればキリがないこの世界で、自分より劣る人間を下に見るアンタに、プライドを語る資格はねぇよ……」


「…………」


 南雲の纏う空気が変わり、一歩一歩ゆっくりと助走距離を確保して、この試合で最も天井に近い所にまでボールを投げる。


「来いッ!」


「ぐぉぉぉぉッ!」


 ブチン――ッ! っと放たれた強烈な球は、速すぎてレシーブが間に合わず、俺の胸に直撃する。

 その威力に吹き飛ばされたものの、ボールは無事に浮き上がった。


「頼人……!」


「いいッ! それよりも、上げてくれ! 直人!」


「よしわかったッ!」


 直人が素早くボールを上げて、俺も両脚に今日一番の力を込めて飛び上がる。


「行けっ!」


 ドンッ――! っと強く打ち込んだボールを、今度は南雲が両腕で受け止めてみせた。


「よし、最後のトスを僕に上げろッ! これで終わらせてやるッ!」


 勝利を確信した顔で、南雲は指示を出す。何かから逃げているようなその表情は、怯えているようにも見えた。


「おい、南雲」


「今更言い訳でもするつもりかい? 馬鹿どもッ!」


「お前は今、それで本当に?」


「うるさい……! 黙れ――ッ!」


 怒り狂った形相で飛び立ち、大きく右腕を振りかざしす南雲の前に、立ち塞がったのは直人と三谷、そして大西君の三枚ブロック。


「「「来い!」」」


「……クソがぁぁぁッ!」


 ブロックを打ち砕くのは不可能だと悟ったのか、ギリギリで僅かに体勢を変えて、サイドラインからサイドラインにかけたキレキレのクロス(真横)を打ち込もうとする南雲……しかしその威力は強すぎて、コート外にアウトになる事が予想された。


 ボールにさえ勝てる……!? そう誰もが確信した刹那――放たれたボールが向かう先には、友人達と共に試合を観戦しているの彼女――さんの姿が見えた。

 このままでは彼女の小さな顔に……――


「……ッ!」


 絶対にボールに触れるな……! そう言い聞かせたばかりの身体に少しでも早く……早く動け……! と信号を送り直し、固まった様子の彼女の前に、一か八か頭から飛び込んだ。



 頼む……届いてくれッ――!



 そう願った瞬間、顔面に大きな衝撃が加わると共に、視界が真っ暗に染まった。


「おい……頼人!? しっかりしろ頼人ッ!」


「頼人! ボクだよ!? わかる!?」


「ねぇ頼人ってば! 返事してッ!」


「らいとっち! ほら起きてっ!」


 朦朧とする意識の中で微かに耳に届いたのは、聞き慣れた複数の声だった。






























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