第55話 二人のラインハルト

『ーーーライディオスお兄様!お会いしとうございました!』


そう言ってフィリアナがラインハルトの広い胸に飛び込んだ。ーーーと、思ったんだけど。


べシャン?ビシャン?そんな擬音を立てて、フィリアナは見えない壁に阻まれている。

まるで壁に激突した蛙のようだ。


薔薇のアーチの向こう側のラインハルトは微動だにしていない。首をコテッと傾けて、多分無言?だし、仮面の奥の表情は見えないけど、態度そのものが『何だコイツ?』って言ってる。


コントの様な事態に、思わず唖然と口が開いたままになってしまったけど、彼女の影からズルッ、コポリとドス黒い塊が這い出るのが見えて、喉の奥で息が細く悲鳴を上げた。

粘着質を持っていそうなトロリとしたそれは、アーチの向こう側ヘ、溢した墨汁染みの様に広がり、やがてラインハルトの足元へジワジワと迫る。

探っているようにも見えたそれは、ラインハルトに後数センチの所で阻まれた。


ヘドロの波が硝子の板に押し返されているみたいだ。

そうやって押し返された影は数本の腕を作りラインハルトヘと伸ばす。ニョロニョロとしていて、触手と言えばいいのだろうか。

ビタン、ビタンと、ラインハルトを求めてなのか、触手は見えない壁を叩く。良くできたパントマイムを見ている気分だが、悍ましさに吐き気が強くなる。


その時、アーチで阻まれていたフィリアナが『うっ•••』と呻いた。

途端に、禍々しく黒いドロドロが、一瞬で波が引く様にフィリアナの影に戻った。


ディオンストムにこっそりと、『姫様、今のうちにアーチを潜りますよ。あの影に見付かってはいけません、絶対に』って言われた私は、慌ててディオンストムの袖に隠れながら、そそくさと神域に入った。


すれ違いざまにチラッと見えたのは透明な硝子のような壁に潰されたフィリアナの顔だった。勢い良くいったからなぁ。痛そうではある。


でも同情はしませんが。


こっちのエリアに入ってこれない仕掛けってーーー強化するって言ってたけど、実際、物理的に功を奏する所を見てしまうと中々えげつない。


ディオンストムがアーチの方を向き、私を背に隠すと、ラインハルトもフィリアナの視線から壁になるように私を庇う。床に届く長いローブが肩から流れる様に落ちて、それが私の視界を覆う。


長身の二人が並ぶとまさに壁で、肩の向こう側の景色どころか、背中しか見えません。覗き見もできなので、真剣にエツコ様スキルを磨こうかと考えました。


ここからは先は音声のみでお楽しみ下さい的なアレでしょうか?


そびえ立つ壁をどうにかーーー隙間、ないかな?気になってしまう。だって、実際のフィリアナを見た事が無いんだよね、私。



するとラインハルトが肩越しに振り返って、『ダメ』って言ってくる。

なんか今の声、私の頭の中に直接聞こえたんだけどーーー耳から音として聞こえた訳じゃないのは確かだ。



「痛ぁい!何、この、壁!?」


ゴソって気配のあとに甘ったるい声が、今度はちゃんと耳から聞こえた。どうやら私の耳か頭がおかしくなった訳では無さそうだ。

フィリアナは透明な壁をベシベシドンドンと叩いていて、その振動がこちら側にまで伝わってくる。


「おにいさま!え、ちょっと、ねぇ、なんで!?なんなのよ、この壁みたいなのは!」


どんだけ勢い良く叩いているの!?お兄様って何!?

気になってそわそわしてしまうけど、ラインハルトにまた『ダメ』って脳内に直接言われてしまった。


この頭に届く声は、音として入ってくるのでは無いのかも知れない。言葉として、脳内に送られてくるんだと思う。あの深くて艶のある声じゃないのはちょっと残念な気もする。


それにしても、この脳内に不思議に響く声は仮面の所為なのだろうか。どうして仮面なんか付けているのかな、なんて考えてたら、アーチの向こう側がにわかに騒がしくなった。


「フィリアナ様、また貴女ですか!申し訳ございません、わたくしの監督不行届でございます。処罰は如何ようにも、お受けする所存でござりますればーーー」


ディオンストムが呼んだ尼僧長の声だろうか。可哀想に、そのしわがれた声は震えている。


ディオンストムが横目でチラッとラインハルトを見る。

それに軽く頷くと、ラインハルト

は任せる、とあの謎現象で返した。


ディオンストムは尼僧長の処罰はしないと言ってホッとしたけど、フィリアナは反省室行きになるらしく、監視の目も増やすそうだ。

反省するかな?逆恨みされないと良いのだけど。

懲りずにまた来そうではある。諦める性格はしていないと思うんだよね。

それを考えると、何となくモヤっとする。



フィリアナは喚きかけて、ディオンストムが軽く指を振った瞬間、音声がオフになったみたいに『なっーーーー!?』の後が聞こえなかった。


「前代未聞の舞姫として不名誉な記録には残るでしょう。アレでも聖霊に選ばれているのだから、剥奪も出来ませんし。カラクリが分かってはいても、今の神殿には証明する術が無いのが痛いですね」


そう言って、ディオンストムがスッと身体の向きを変える。

私の視界が漸く開けた後に見えたのは、左右を聖騎士に挟まれ、腕を抱えられて半ば引きずるように連れられて行く、フィリアナの後ろ姿だった。


連れ去られた宇宙人を思い出した私は悪くないと思う。


やがてフィリアナの姿が見えなくなると、ラインハルトは私を抱き上げて腕に乗せる。


ふわりと香るのはやっぱりラインハルトの匂いだ。

さっき、フィリアナが『ライディオスお兄様』って呼んでいたけど、確か、ライディオスって時空神のお名前じゃなかったかな。


国によっては、ライオスとか、ラインディオスとか発音するけど、メジャーな呼び名としては、ライディオスが多いだろう。


「ね、ラインハルト。どうして仮面なんか付けているの?さっきフィリアナがライディオスお兄様って呼んでたけどーーー何で?」


モヤモヤと考えて嫌な気分になる位なら、直接聞いてしまった方がが良いと思った私は、思い切って清水バンジーをしてみた。

あ、なんかちょっと身震いが。

バンジーは暫くやらなくて良いかな。アレはもう無いと思いたい。


《やっぱりフィアには分かるんだな》


頭に届く、嬉しそうなラインハルトの言葉に益々疑問符が頭上に散乱するけど、抱っこされたまま目的の室に入った私は、目の前でソファでゆったりと寛いでいるラインハルトを見て、目を文字通りひん剥いて驚いた。


「ラインハルトが二人!?」


私の視線が、ソファに座っているラインハルトと、私を抱えている仮面を付けたラインハルトの間をウロウロする。


ーーーどちらもラインハルトとしか思えないんだけど。


すると、私を抱えている方のラインハルトがゆっくりと仮面を外した。

目を奪われるーーーートルマリンブルーの海に、太陽を閉じ込めた瞳。


その美しい顔はやっぱりどこから見てもラインハルトにしか見えなかった。


ーーー誰か、説明を求む!







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