第54話 迷路と記憶と懲りないあの子

シンと静まり返った神域の廊下は、少しひんやりと冷たい。

コツコツと響く足音が、私一人の分だけ反響している。辛うじて聞こえる衣擦れの音が数人分、後ろから聞こえるが、不安になった私はゆっくりと後ろを振り返る。色の無い廊下は私の不安を煽るのだ。

後ろに皆が居ることにホッとして、また歩き出す。

こんな事を何度も繰り返して、私は漸くアーチの場所まで辿り着いた。


「ここまで、十二分ですね。後五分は縮めて下さい。ここから舞殿までは七分でしたね。十五分以内で、室から舞殿までを移動出来れば合格ですよ」


懐中から時計を出していたロウは今日も容赦がなかった。



ゴールの舞殿でディオンストムに待っていてもらい、薔薇のアーチにはロウが、神域の廊下は離れた場所にフロースとカーク兄様がそれぞれ待機する。


私は神域にある室を出ると、足早に歩き出した。


色の無い廊下は、取り戻した記憶にある白い空間によく似ている。

私は誰かを必死に探していて、見つからず、その白い空間に迷い込むのだ。

右も左もわからず、上下すら無い、何も無い空間にポツンと独りで。

歩いても変わらぬ、白一色に、進んでいるのかもわからなくなって、まだ小さい私は泣き出すんだよね。


多分、誰かがーーー私が探していた人が、逆に私を見つけてくれたのだろうけど、その時の不安や心細さがこうして苦い思い出になっている。


ーーーだからここの廊下は不安になるんだ。


途中の廊下で、カーク兄様とすれ違う。

白い廊下でのカーク兄様は、その纏う色彩で浮き出て見える。その派手さが今は救いになって、ニカッと笑う兄様に手を振る余裕が出来た。


華やかなフロースともすれ違い、道順が正しい事に勇気づけられて、薔薇のアーチを潜る。


ロウが満足気に懐中時計を見て微笑むと、サムズアップしてくれた。

ロウのサムズアップとは、大変珍しい光景である。

明日は雨かも知れない。


ここからは結構自信があるので、余裕も出て来る。

それにしたがい、高い天井に響く私の足音も軽いものになっていく。


視界の中で徐々に増えていく中庭の緑と、秀麗な半螺旋の階段。


そして見えてくる大神殿の花舞殿は、この儀式の為だけにある、白木床の美麗な造りだ。

正方形の舞台の三方から伸びる階段は、花冠に使われるフィアリスの花を装飾に象り、女性的なカーブが繊細で美しい。

舞台正面が神の御わす座になり、舞台側面の左右に各国代表の席がある。

神座に辿り着いた私は、そのまま裏から右側面の裏、そして舞台裏へと移動して、階段下で息を潜め、ロウの合図を待つ手筈だ。


「お疲れ様です。惜しいですね、姫様。十五分と二十七秒でした」


ーーークッ。惜しい。


ゴールの舞台袖で待っていたディオンストムは、微笑んだその目尻に寄った皺さえ魅力的だ。きっとその皺の通り、美しく生きて来たのだろう。


だが、魅惑的な低音が奏でた言葉は無慈悲だった。


「ーーーもう一度ですね。さぁ、姫様、行ってらっしゃいませ」


そして私は振り出しに戻る。ーーー人生ゲームのようだ。


一瞬の目眩の後、視界が開ける。

既に見慣れた大神殿の神の室。


そこに、いつもの聞きなれた声がした。


「あ、フィアお帰り!どう?順調にいってる?」


「うむ、天界より、我等が果物を収穫して来たぞ!葡萄が美味じゃった!」


「カリン、チュウ吉先生、お帰りなさい!あれ、メルガルドは?」


テーブルには沢山の果物が入った篭が存在を主張している。甘い香りが私の鼻孔を擽った。


「ほら、衣装とか、任せろって言ってたでしょ?素材から吟味するって、まだ天界にいるよ」


凄い熱の入れようだけどデザインとか大丈夫なのかな。奇抜だったらどうしよう。

そんな不安が出ていたのか、カリンが追って説明をくれる。


「フロース様が監修してるから、大丈夫だと思うよ」


「皆何かをしていないと不安なんじゃろうて。我も、カリンも、フィアがあの醜悪な影の中から記憶と力をつかむまでは手出しが出来ぬ」


あの影は妄執と執着の塊。

下手をすれば、引き上げるどころかこちらが逆に取り込まれてしまうかも知れない。


「フィアがつかんでくれさえすれば、【フィアを助ける】事は出来る」


当日、この二人はロウにくっついて、姿を消し、舞台前で待機してくれる。


「うん。心強いよ、とっても」


ほんわかと、柔らかい温かさが胸に灯る。


「じゃ、もうちょっと頑張って!お昼になったら、メルガルド様が公爵邸からシフォンケーキとクリームを持ってきてくれるよ。ここにあるフルーツと一緒に食べよう?」


私が力を使いこなせていれば便利な簡単な方法も取れるのだろうけど。

アレだ、便利なデジタルを使いこなせないからアナログで、ってやつだね!


ーーー自慢にもならないけど。


そして、チュウ吉先生とカリンに見送られ、チャレンジする事三回目。


「十三分、と五十一秒。姫様お疲れ様でございましたね。ロウ様もこれで合格を下さるでしょう」



よっしゃぁ!と飛んで喜ぶ私を、御髪が乱れますよ、と優しく窘めるディオンストムは、斜めになってしまった簪をそっと直してくれた。


午前中は立ち入りを禁じてくれている舞殿一体を、ゆっくりと歩きながら戻る。

ディオンストムが語ってくれるのは大神殿の聖騎士と儀式の為に大神殿へとやってきた舞姫達とのロマンスだ。


舞姫達は大神殿という特殊なーーー世俗から切り離された環境で、孤独を味わう子達が多い。

国からの護衛や、侍女などは認められておらず、大貴族、王族出身の舞姫でも、各家で連れていても一人、二人だ。

そんな心細さの中で、彼女達を心身共に護る役目を負うのが、神官の資格を持つ聖騎士だ。状況を考えればロマンスが生まれるのも頷けるよね。


大神殿に招かれた舞姫達は平民出身でも、ここで厳しく躾けられ、王族にも劣らぬ作法を叩き込まれる。

見目の美しい少女が多い為に、そしてその聖霊に好かれる性質により、玉の輿に乗る事も数多いらしい。



ディオンストムの話は巧みで、それから?次は?ってもっと聞きたくなってしまう位に面白い。

だけど、世の中には不粋な局面というのは、至るところに存在しているのである。

それは、ロマンスの話から、今日の昼食の話になった時だった。


人払いしてある筈の区域なのに、ねっとりした女性の媚びた声が耳に入る。

薔薇のアーチが見えた。


「ーーー姫様、わたくしの後ろから出ませんように。あの娘も懲りずにーーー困ったものです」


ディオンストムが肩肘を張って、私を気配ごと隠す。

続いて袖口から札を出すと、それはヒラリと舞い、一羽の小鳥が現れた。


「尼僧長をここへ」


それを聞いた小鳥が風に乗るように宙を滑って行った。


それにしても、この声はフィリアナだよね。なんでいるのだろうか?

少しだけ好奇心が動いて、衣の隙間から覗き見る。


そうして見えたのはーーー。



「ライディオスお兄様、お会いしとうございました」


フィリアナがそう言って飛び込んだのは、仮面を付けたラインハルトの腕の中だった。







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