第39話 修行が必要?

朝食後、庭の散策に出る。

公爵家の庭は、ここ数日でかなりの蕾が咲きほころび始めて、華やいだ雰囲気だ。


花神のフロースも綻んだ顔で花々を見ていた。

が、私と目が合うと、へにょっと眉を下げる。どうしたのかな?


「フィー、怒ってないの?」


「え、怒ってないよ。何で怒るの?」


まさか、私のおやつ食べちゃったとか!?


「食べ物に原因考えてそうだけど、違うからね?!んー。ほら、俺達、フィーを追い詰めてさ、落としまくっただろう?」


ーーーフィーが悪役だなんて、絶対にそのままにして置けないよ。

例え悪役があの娘の中だけの事であってもさ。


子犬が主人に怒られたような情け無い表情から一転、憂いを含んだ瞳で私を見ると、長い睫毛をそっと伏せる。


その仕草がひどく印象的で、胸が詰る。

フロースも気にしてるんだ。私が悪役だって言うストーリーを。

ただの物語で、ゲームの中の出来事だと、笑い飛ばせない不安感。

それを真実に差し替えようとする者がいる事実。


少しの間、私達の隙間に沈黙が流れる。それは朝露を含んだ春の匂いを鼻孔に届ける十分な時間だった。


差し込む若葉の香りがいくらか気分を落ち着かせてくれた所で、私は口を開く。


「うん。だからフロース達は私のお尻に火を点けたんだよね。時間無くて、のんびり学んでる場合じゃないもんね。憶えていそうな身体?魂?に聞いたほうが早そうだし。私がフィリアナに対抗する手段が少しでも無いと、私自身が危ないもの」


大丈夫、わかってる、って少しでも伝わればいいんだけど、上手く伝えようとすると、上手くいかない不思議。


「ーーー女の子がお尻に火をって、フィーは。もうちょっと色気のあると言い方出来ないの?知っていたけどさ」


色気、色気ーーー何処に行けば手に入りますかね?オプションで装着可能でしょうか。可能ならば是非お願いします。


「神様にお参りしたら、御利益で付けてもらえないかなー。なんて」

「一応その辺りって俺もカバーしてるけどね。後はーーー有名どころは俺の母上か、春の女神か。まぁ、乙女の祈りに対するものだから、色気って言ってしまうと誤謬があるかな?っていうかさ、君も女神だからね?!」



ーーーーーーーーーそうでした。



「うん、フィーが良いなら、これからもじゃんじゃんいこう!」


え、切り替え早くない?フロースさん。


「ええと、程々にお願いします?」


悪役なんて御免だから頑張るけど、と言うか、頑張って回避しないとヤバエンドですから!


ですが、じゃんじゃんは、ちょっとお控え下さいまし。ご飯はまともに食べたいのです。




私の言葉を聞いてふと力を抜いたフロースは、それは綺麗に笑った。

大輪の花が咲くようにって良く美女に使う言葉だけど、この時のフロースはまさに華やかに、艶やかに咲き誇る花だった。

ドギマギしてしまって、俯く。


「フィーはこっちの修行も必要なのかもね」


その声に光が遮られた、曇ったような気がして顔を上げたらフロースの白い喉仏が目の前にあった。


「ーーーえ?」


ほんわりと温もりを感じれば、柔らかく回されたフロースの腕が私を囲っていた。


おお、風除けナイス。


「隙だらけ。あんまりぼんやりしてると羊の皮を被った狼に食べられちゃうよ?」


狼?羊の皮を被った?うーん、ラインハルトは羊の皮なんて被ってないよね。アレは狼を三匹位は重ねて被ってる狼だもの。


首を傾げて悩む私に、フロースは今度は耳元で囁いた。

それは内緒話のように、密やかに、どこか悩ましげに。


「だから、さ。俺も男なんだよ、フィー」


薄桃色の瞳が妖しく笑む。

今日もフロースは男装ーーーと言うか、白いドレスシャツに、裾模様の美しいウエストコート、トラウザーズに黒い革のブーツだ。


うん、始めて見た時の美女っぷりは凄くて、女性にしか見えなかったけど、こうして見ると立派に年若い青年だ。

姫装束の時は、細く見えた首も、しっかりした、男性のそれだ。晒されている喉仏が妙に色っぽい。

肩も、腕も、細身に見えて鍛えられいるんだろうな、とは思う。

じゃないと、あんなにヒョイっと人を抱き上げたり出来ないよね。


「うん、今のフロースはちゃんと男性に見えるよ?」



「え、そっちいっちゃったの?あ~もうさ、フィーにはなんで俺の魅力が効かないかなー」


そっちって、何かあったの?後ろを見たけど何もーーーあ、綺麗な白木蓮があった。


フロースの魅力って言うなら十分魅力的ですとも。美しすぎて眩しいもん。

本当、花神もかくやーーーーってフロースじゃないの。



「フロースは魅力的だよ。息を呑むとか、心を動かされる時の慣用句は沢山あるけど、美しさに使われるものなら、殆ど経験させてもらったもの」


語彙不足で申し訳無いけど、落ち込んでいるらしいフロースに、私は偽り無く言った。


「クッーーーアレか、やっぱり剛球直球ど真ん中ストレートじゃないと駄目なのか?通じない?だけど、俺は紳士、シンシ、うん、しんしだけどね。こうなったら唇へのキスぐらいーーー」


私はどうやら任務に失敗したらしい。フロースがブツブツ言っているが、何を言っているんだろう?聞こえなくて、首を傾げる。


「フロース、どうかしたの?」


滑らかだけど、大きな手の平が両の頬に添えられた。人間で言えば十八歳位の年齢だろうか。少年の時は過ぎたけど青年と呼ぶには成熟していない、端境期にある年頃の。


「フィー、俺はね。フィーが」


フロースの真剣な眼差しに、ドクンと心臓が跳ねる。

スッと腰を屈めて、私と視線の高さを合わせたその時、下から吹き上げた風が身体を攫った。


「ーーーグェッ」


乙女にあるまじき声が出てしまった。

右の脇から左の腰に掛けて、私の身体に巻き付けるように回された筋肉質な腕が、ギュっと締め付けた為だ。


風か、と思ったら、ラインハルトさん、貴方ですか。

私は捕獲された猫のようにプランと腕にぶら下がっているのですが、降ろしていただけませんかね。


「油断も隙もあったものではないな、フロース」


「いつも誰かしらそばにいるからね、チャンスを逃がす手はないだろう?それに、今は君のものって訳じゃないよね」


「昔も、今も。いつだって、俺のものじゃ無かった事は、ない」


二人で何を話しているのか分からないけど、苦しくてラインハルトの腕をペシペシ叩く。

すると、力を抜いてくれたので、呼吸が楽になる。


って違ーーーう!

私は降ろして欲しいのです、ラインハルト君。

ふり仰ぐと、ラインハルトがフロースを睨んでいる。フロースも負けてはいない。


二人は中が悪く無いと思ってたけどな。


ラインハルトの方が身長あるし、大人に見えるし、体格も良いから、フロースを睥睨してるように見えちゃうよ。


なんと言えばこの場は収まるのか。かと言って、理由も分からないし、わかっても口出し出来るものかどうかーーー。

あ、ロウなら上手く丸め込むーーーゲフンゲフン、収めてくれそうだ。


私は精一杯心の中でロウを呼んで見たけれど。

だが世は無情、返事をして駆け付けたのはロウでは無くて、私の腹の虫だった。


「ーーーグゥーーーーキュルッ」



「「ーーーブハッ」」


今、二人で同時に吹き出したよ。

お腹の虫が鳴かずに済む方法があるなら是非知りたいです。ええ、習得してみせますとも。


「戻ろう。ちょうどメルガルドとカリンが南国から果物持って帰って来たしな」

「南国のフルーツって美味しいし、栄養もあるからね」


そう言って二人、離れに向かいだしたのは重畳ですが、私はプランプランしたままなのでしょうか。プランプラン。




エントラスに入ると、丁度カリンとメルガルドが、ロウと何やら難しい顔をして話をしている所だった。


「サロンで話をしましょう。エメラルド、セバスチャンを呼んで下さい。カリン、サロンでもう一度その話を」






サロンに入ると、セバスチャンが離れのホールでティティを見守っていたらしく、直ぐに参上した。



「今から話す事はレイティティア嬢には内密に。フィア様、少し失礼しますよ。貴女は嘘や誤魔化しが下手ですから」


ロウの人差し指が額に触る。ポワっとした光が灯ると一瞬で消えた。


「うっかり話してしまっても、これで相手には伝わりません」


この気遣いはありがとうと言うべきなのか。一応言うけど。


「ーーーありがとう?」


それで、カリンからの話って何だろう?

困惑気味のカリンに、ロウが促す。

重たそうなカリンの口から出たのはーー。


「見たんだよ。ハルナイトにそっくりな男。日に焼けて、スフェーンみたいな瞳の奴だったけど」



静まり返ったサロンに、いつも冷静沈着なセバスチャンが、息を呑む音が聞こえた。



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