第30話 聖霊王メルガルド
「そう、何ていうのかな、朝の忙しない時間帯なのに、洗顔フォームと歯磨き粉を間違えた時みたいな?」
ティティは遠い目をして「嗚呼ーーー•••」と呟いた。
さてはティティ経験ありますね?
「あれは中々に切ないものがあるのですわ•••歯磨き粉だと思い込んでいる脳にダイレクトにやってくる違和感、そこから間髪入れずに味覚を攻撃する洗剤の泡立ち。極めつけは、うがいをしても中々取れない、ブクブクすればする程、罠に嵌っていくのです•••」
そう、毛穴の汚れ落ちはイマイチの癖に、攻撃力は以外に高いのだ、奴らは。
「あ、フィア様これじゃないでしょうか? トロっとしていて私の使っている髪の香油と液体の感じが似てますし、香りもそれっぽい感じが」
手に取ってみる。
ヌルヌルとしたそれは確かにーーーん!? 何故か泡立ち始めた。
「くッーーーまたもや敗北ですわ」
私達は今、お片付けという名の戦闘の真っ最中なのです。
ラインハルト達がサロンでまだ話を続けている頃、私達はーーー主に私のだが、【上】から持ってきてもらった私物を片付けている。
ラインハルトが空間収納から出したままなので、そこかしこに散らばっていた。瓶詰めの物などは中身が解らないので、こうやって中身を確かめているのだ。
神界ーーー天界の物は日本の物ともこの世界の地上の物ともちょっと違うので分かりにくい。
「フロース様なら、ご存知でいらっしゃるのでは?ラインハルト様もご存知ていらっしゃると思いますよ?」
「フロースはともかく、ラインハルトに聞くのは何というか•••」
生きて現世に戻ってこられる自信がないです!キリッ。
あ、想像しただけでメンタルが。
ティティの生温かい眼差しが追い打ちをかけるよ、ママン。
「カーリーンー」
私は隣のクローゼットーーーもはや部屋、しかも広いーーーで衣装を片付けているカリンに抱きついた。
知っている匂いに落ち着いていく。いつも感じてたポフンっとした感触がなくなって少し寂しいけど。
カリンは「ハイハイ」と背中をポンポンと軽く叩くと頭をなでてくれる。
「ちょっと落ち着いたかも。ありがとう、カリン。それにしても、もう片付いたの?」
流石は元女官、既に衣装が粗方片付いている。しかもタイプ、色味等をきちんと分別している。
そっとカリンから離れようとしたのに、何故かまだカリンの腕の中にいる私は、クローゼットを見て感嘆する。
「まぁね、これでも女官してたし?」
ちょっとカリンの腕の力が強くなったかな?と思った時庭先からドォンと何かが降ってきたか、衝突したかのような音が邸内にも響いた。
「姫様ーーーー!メルガルドにございますよーーー!今すぐ、今すぐに参りますからねーーー!」
ーーーーーーなんか変なの来た。
拡声器でも使っているのかってくらいに大きく聞こえたその声は、メル•••何とかさん、と名乗っていたけど、姫様って叫んでるくらいだから、ティティの知り合いかな?なんと言っても公爵家のお姫様だもんね。
カリンを連れてまだまだ荷物が散乱する部屋に戻ると、ティティが軽い驚愕を顔に浮かべて廊下に出る所だった。
「ティティ、知っている人?」
ティティの唇が、いいえと動きかけた時にエントラスの方から、けたたましい、どんなに眠くても飛び起きてしまいそうな話し声が聞こえてきた。
離れと言ってもそこは公爵家、一般人の感覚から言えば立派に大邸宅である。小さ目のお城位はありそうだ。
そんな離れでここまで騒がしいとは何が起きてるの?
空間が広いから物音が響きやすいけど、流石にこれは無い。
「ちょっと待って!」
気になって騒ぎのする方へ足を進めようとしたら、カリンに止められた。
「メルガルドって言ってたよね。それって聖霊王の名前じゃんか!」
「んぇえ!? 聖霊王って、またどうして?」
そんな偉そうな人外、もうお腹いっぱいなんだけど。これ以上はお腹壊します。
ティティの目が点になっちゃってるし。ハイライトが消えてるし。
「どうしてここに来たのか分からないけど、素早くお帰り願いたいな、是非に」
そう言えば、ラインハルト達が面倒そうな感じで話をしてたのって、この聖霊王の事じゃないかな。
うーん、とカリンが悩ましく唸った。
「無理かも?聖霊王ってさ、女神メイフィアーーーのーーー」
カリンの言葉が最後ま紡がれる事は無かった。
ーーー何故なら。
必死に「お待ちください、聖霊王様!」って、廊下の角を曲がりつつ、引き留めるセバスチャンと、その呼びかけに、応えようともせずに、こちらへと真っ直ぐに歩いてーーーいや走って来る!?ーーー聖霊王がいたからなんだけど、この聖霊王、私を見るなり泣きだしてしまったのだ。
「ひ、姫様、お探し致しました、ああ、人界へ降りるのでしたら一言このメルガルドへ言って頂ければーーーアア、グズッ」
この瞬間、耳を塞いだ私達は悪くないと思う。だって物凄く声が大きい。
私の足元に蹲ってわんわん泣いている聖霊王は、ポケットから出したハンカチでズビー、ズビーと止まらない。
カリンはヤレヤレって感じでお手上げ状態だし、ティティは耳を塞ぎながらもどう対応したものか迷っている。
途方に暮れそうで、どうしようと、私の足に縋っている聖霊王を見たら目が合ってしまった。
流石に綺麗な顔立ちーーーとよく観察する間も無く、目を極限まで開いて私を上から下までグルッと見回すと、また余計に泣きだしてしまった。
「その!その状態は、如何なされたのですか!?姫様に一体何が起こっているというのです?嗚呼、お父君の創世神様を始め、母君様達であらせられる大地母神様と月光母神様にもくれぐれも、と、嗚呼ーーーズビーッ。何とご説明を申し上げればーーーズビッ」
と、ここでまで号泣しながらの叫びを聞いていたんだけどーーーここで、蹲って泣きやまぬ聖霊王のお尻に、長い足が伸びたのを見てしまった。
その脚が、ヒュっと風を切る音と、ドゴッと肉体を蹴り上げる鈍い音をさせて号泣を遮り、私達が今し方出て来たばかりの、美しい装飾が施された扉に重低音を奏でさせた。
聖霊王、顔から行っちゃったけど大丈夫なのかな。だいじょばないよね、うん凄い音したもん。
低い機嫌の悪い声が容赦なくトドメをさす。
「ーーーーーー五月蝿い。落ち着け」
激突した聖霊王の周りを光が踊る。薄暮に輝く光はとても美しく、そう、光は。
聖霊王を心配した妖精達が集まっているんだろうけど。
アタタと立ち上がって上を向く顔には、赤い筋が鼻から出ていて、無駄に美形なだけにそれはシュールな光景だった。
「とりあえず、風の拡散魔法で声を拡声するのを止めて下さい」
男性なのに、どこか優美な足取りで、歩いて来たのはロウだ。その斜め後ろにはフロースがいる。その薄桃色の瞳が咎めるように注がれているが、ラインハルトと聖霊王のどちらになんだろう?両方かも知れないけど。
「来てしまったのですから、仕方がありません。これまでの経緯をご説明致しましょう」
「メルガルド、フィーとの感動の再開はちょっとお預け。あの子達が帰って来るまでに済ませたいしね。ラインハルト、君もだよ。フィーを構いたいのはわかるけど」
ラインハルトはこれみよがしに溜息を盛大につくと、メルガルドと呼ばれた聖霊王の後ろ襟を掴んで、引き摺って行く。
二歩進んだ所でラインハルトがクルッと振り向く。
視線が交わってーーーと思ったら、大きな掌が私の頬を撫で、親指で目元をなぞる。擽ったくて首を傾げると、
撫でられた頬とは反対側をラインハルトに差し出す形になったその時、私の頬に柔らかくて優しい温もりが触れて、離れた。
今度こそラインハルトはメルガルドを連れて行ったけどーーー。
残された私の顔は真っ赤になっているに違いなかった。
そしてこの日の夜、ガレール公爵領本邸に、王都の公爵家王都邸より一報が入った。
ーーーフィリアナがアルディア王国代表として選ばれたと。
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