1-9 シンパシー

「まず、一年生は芸術科目別にクラス分けされています。この四組は音楽と美術の生徒が半々ね。で、席順だけど、これは入試の成績順。……つまり、この席に座っているということは、このクラスの一位だということです」


 彼女はよく通る声でそう説明し、無表情の野沢こころを指す。再び全員が彼女を注視することになった。


「定期テストの順位でまた席替えをするから、みんなこの席を目指してね。それじゃあ、そろそろ入学式が始まるから廊下に並ぼうか」


 うながされ、生徒たちはぞろぞろと席を立つ。


「思ってたより良い順位だったわ」

「トップ目指すとかムリだろー」


 周りの雑談を聞きながら、俺はその場から動けずにいた。中松の言ったことを受け止められなかったからだ。


「……じゃあ、私はビリってことかあ」


 けろりとした様子の愛華あいかの声が後ろから聞こえ、我に返ってようやく立ち上がる。


 席順は成績順。

 つまり、野沢心から一番離れた席の木戸愛華がビリ。


 そして、ビリの前に座る自分が下から二番目ということだ。

 


 厚いシートの敷かれた体育館の中で、入学式はおごそかに進んでいく。国歌を斉唱したり祝電が読み上げられたり、代り映えのない内容だ。

 中松から順位の話を聞いたせいで、落ち着かなかった。単語帳でも眺めて気を逸らしたかったのに、教室に忘れてきてしまった。


「ソーくん。こころちゃんはどこへ行ったんだろうね?」


 隣に座っていた愛華あいかがヒソヒソと耳打ちしてくる。


「どこへって?」

「心ちゃんだけ入場してないの、気付かなかった?」

「いや……」


 自分の順位のことばかり考えていたから、彼女のことなんて気にも留めていなかった。


「心ちゃんの新しいあだ名、なにがいいと思う?」


 ……この期に及んで、『あだ名』かよ。

 彼女に聞こえないように、小さなため息をついた。


「ふつうに、名前で呼べばいいと思うけど」

「あだ名で呼ぶほうが友達同士って感じがするでしょ?」

「野沢は気難しいそうだから、あんまり構わないほうがいいんじゃないか。触らぬ神にたたりなしって言うだろ。そうすればお互い平穏に仲良く過ごせそうだけど」


 愛華はうーんと首をひねる。俺の意見には納得いかないようだ。


 野沢心はちょっとしたことですぐ突っかかってきて、きっとプライドが高いのだろう。なるべく関わりたくないタイプだ。愛華がなぜ彼女と仲良くしたいのかも理解に苦しむ。


「せっかく同じクラスになったんだもん。だから、四組のみんなと仲良くなりたいんだよね。とくに心ちゃんからはシンパシーを感じるというか……」

「シンパシー?」


 野沢と愛華に共通点などあるだろうか。二人は真逆のタイプの人間のように思える。


『歓迎の言葉。在校生代表、野沢優丞ゆうすけ

「はい」


 凛と返事を響かせた男子生徒が壇上へ進む。

 彼は背筋をピンと伸ばし、自信に満ち溢れた微笑をマイク前で見せた。数百人の生徒や教員や来賓らいひんたちを前にして、緊張している素振りなど微塵みじんにも感じさせない。


『新入生の皆さん、この度はご入学おめでとうございます。在校生を代表し、歓迎のご挨拶を申し上げます』


 彼は堂々とスピーチを読み上げていく。


「会長……」


 愛華がぽつりと呟く。

 振り向くと、怯えたように目を見開いていた。


「どうかしたか?」

「え? あ、ううん。あの人って、きっと生徒会長だよね?」


 彼女ははっと我に返り、またニコニコとしてみせる。


「まあ、代表ってことは、生徒会長なんだろうな」

「うん……」


 彼女はふうとため息をつく。恐らく生徒会長であろう野沢優丞ゆうすけを見つめる横顔は、まだどこか不安げに曇っていた。


「あれっ? でも野沢って……? もしかして、心ちゃんのお兄さんだったり?」

「そういえば苗字が同じだな。有り得なくはないな」


 壇上に目を凝らす。

 野沢優丞は眼鏡を掛けているうえに席から距離があるため、顔がはっきりと見えない。しかし言われてみれば、野沢心とそう雰囲気はかけ離れてはいないのかな、という気がしてくる。


昇山しょうざん高校での三年間が、素晴らしいものになることを願っています。……以上、生徒代表、野沢優丞』


 全て読み上げ一礼し、拍手を浴びながらステージから降りていく。新入生の誰かが「イケメン」と声を漏らしたのが聞こえた。


『新入生代表挨拶、野沢心』

「「……!!」」


 つい愛華と顔を見合わせた。


「え、野沢さんじゃん!」

「やべー」


 四組の他の生徒たちも、マイク前に立つ彼女に驚いていた。


 野沢優丞と同様、彼女も緊張している様子は無い。しかし彼女はマイク前で、抑揚の無い声で字面を読み上げ始めたのだ。「私はこの場に全く関心がありません」という意思表示に思えるほどだった。


「心ちゃん、すごおい」


 無邪気に目を輝かせる愛華の横で、つい壇上のクラスメイトを凝視してしまう。

 尊敬の念から――、ではなかった。


 膝の上の拳に力が入る。


 中学卒業前の約一年間は、ほとんど不登校だったのだ。家にいる分、勉強だけは必死にしてきたつもりだった。

 野沢心が新入生代表になったということは、彼女は一年四組だけでなく、この学年のトップでもあるということ。彼女は頭が良く、容姿にまで恵まれている。


 一方で、クラスで下から二番目の自分。


 父親が知ったら、なんと言うだろう。


 文面を全て読み終えた野沢心への拍手で我に返り、一度大きく深呼吸した。

 父親のことはもう考える必要は無い。ここは全寮制で、当分は顔を合わさずに済むのだから。


 しかし考えないようにしようと思えば思うほど、奥歯を噛みしめる力が強まっていく。


「……そういうことか」

 隣で愛華がつぶやく。


 目が合うと、彼女は「なんでもないよ」と言って微笑んだ。

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