1-4 薄暗いあの部屋

 目覚めたばかりという割には、彼女の口調はやけにはっきりとしていた。

 無表情なのに力強い彼女の視線を受けながら、ついたじろぐ。うたた寝していたのではなかったのか。


「あ…、え、えーと。その……」


 戸惑とまどっているうちに彼女は起き上がり、きちんとひざを閉じてベンチに座り直した。


「……すみません。もしかして先輩でしょうか? てっきり、私と同じ新入生かと」


 おしとやかな雰囲気に反し、喋り方はやはりかたい。愛想笑いすら浮かべない。本当に人形と喋っているような気分になる。


「いや、俺も一年生」


 否定する意味で片手を振りながら、言葉がつかえてしまう。


「寝ているなら起こしたほうがいいかと思って。ほら、もうすぐオリエンテーションだから」


 言い訳がましくそんなことを口走ると、相手は表情を変えずに再び口を開いた。


「そう。同級生なのね。では忠告させてもらうわ。今後、私が校内で横たわっているのを見つけても気にかけなくていいわ。ただの瞑想めいそうだから」

「瞑想? 宗教か?」

「いいえ。私は特定の宗教に入信していないわ。幼稚園ではマリア様にお祈りしていたし、親戚しんせきのお葬式ではお坊さんがお経を読んでいたし、お正月には賽銭箱に五円玉を投げた。……瞑想以外だと、マインドフルネスという言い方もするわね。瞑想、もしくはパワーナップよ」

「パ、パイナップル? もっとわからないんだけど。あ、もしかして、厨二病ってやつ……」


 彼女はため息をつくとポケットからスマホを取り出し、画面に目を下した。


「解説してもいいけど、そろそろ寮へ戻るわ。……ああ、そうだわ。オリエンテーションの最中にはゲップは我慢した方がいいのではないかしら? 生理現象とはいえ、不特定多数の人が不快に感じると思うわよ」

「……!!」


 しっかりと聞かれていたようだ。顔がかーっと熱くなっていく。


「悪かったよ! で、でも、わざとじゃないんだ」

「そうでしょうね。もしわざと聞こえるようにしていたのだとしたら、変態じみているわ」


 彼女は肩をすくめるとトートバッグを拾い立ち上がった。


「ところで、もう一度言うけど今後は邪魔をしないでくれる? 私はゲップより何より、邪魔をされることが一番嫌いなの」


 きびすを返し、彼女はてくてくとB棟へ続く坂道へ歩いていく。その背中に何も言い返せなかった。

 ゲップをしてしまったことによる羞恥心も、同級生に酷い発言をされたことによるショックも消え失せ、ただただ呆気あっけに取られていた。


「……あいつ、本当に友達を作る気あるのか?」


 つい先ほど、「みんなと友達になりたい」などと言っていた気がするが、とてもそんなふうには思えなかった。



 一学年の生徒数は、約百五十。そして、一年生の使う寮はA棟とB棟の二つ。

 つまり今、このA棟のホールにはおおよそ七十五人の生徒が集められているということだ。

 俺はホールに並んだパイプ椅子に座り、単語帳をめくりながら、一刻も早くオリエンテーションが始まることを祈った。周りの生徒たちは、はにかみながら世間話なんてしている。

 その中に一人でいると、なんだか居心地が悪くなってきた。


 しばらく待って、ようやくオリエンテーションの時間になった。寮のスタッフたちがホールに入ってきてカウンターの前にぞろぞろと並ぶ。左から一人ずつ、自己紹介が始まった。


「ではっ、最後に私、山添やまぞえ六実むつみで~す!」


 一番右端に立っていた女性がぺこりと頭を下げる。ふわりと巻かれた髪の毛先と胸が揺れた。


「えー、私は学校がお休みの日に寮にいることが多いかな。みんな、よろしくね~!」


 学生寮というより、アミューズメントパークのベテランスタッフのような振る舞いだ。

 全員の挨拶が終わると、今度は寮生活に関する資料が配られた。食堂が開く時間や、洗濯室の使い方なんかが印字されている。スタッフたちはこの資料の内容をただ読み上げているだけのようだ。

 なんと非効率的なのだろう。音読するだけなら資料だけ渡して解散させればいいのに。

 ホチキス止めの冊子をめくる代わりに単語帳を開いた。


 去年、中学三年生の秋に参加したこの高校の入試説明会も、勉強をしてやり過ごした。説明会もこのオリエンテーションと同様、資料を読み上げているだけだったからだ。

 勇気を振り絞って久々に外出したというのに、徒労とろうに終わった。

 それからはまた自宅で大人しく過ごした。中学に通う気力が無かったからだ。俺はいわゆる、不登校というやつだった。


 中学校を卒業するまで過ごした実家の部屋が唐突に思い出される。

 昼間でも閉め切ったままのカーテン。黙々と問題を解き、曜日や時間の感覚を無くした日々。

 寮のホールの蛍光灯が頭上にあるのに、薄暗いあの部屋に戻されたような気分になる。覚えようと思っていた単語が全く頭に入ってこない。

 俺はあきらめて資料に目を通すことにした。



 オリエンテーションが終わったのは二時間後だった。

 座って話を聞くふりをしていただけだったが、ほとほと疲れた。尻がじんじんと痛いし、腹の虫が鳴いている。

 やっと食堂で夕食にありついた頃には、もう窓の外が暗かった。初日の献立こんだてであるサバの味噌煮と味噌汁の塩分が体にしみる。


「あーっ、疲れたあー!」


 自分の思考が音声化されたかと思ってぞっとしたが、俺の隣の椅子に座ろうとしている女子の発言だった。ボブカットの髪を金色に染め、ピンクのパーカーを着ている。

 彼女はサバの味噌煮定食の乗ったトレーをテーブルに置いた。


「初めましてだね! 私の名前は、木戸愛華あいか。愛華って呼んで。呼び捨てでいいからね!」

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