1-2 学生寮

 太いペンで「サトウソウキ 310」と書かれたダンボールをかかえ、学生寮A棟の階段を上っていく。

 誰かと目が合ったと思ってどきりとしたが、鏡の中の自分だった。踊り場に設置されている鏡が、えない自分の姿を無遠慮に映しているのだった。


 三階にたどり着き、「310」と表記されているドアを見つけた。ダイアル式のじょうがついていたが、今日だけはノブを回せばそのまま入室できるという説明があった。

 中に入って室内履きを脱ぎ、廊下とも呼べないような狭いスペースを進む。

 奥には約五畳の個室があり、学生生活を送るための家具が一通り揃えられていた。

 ダンボールを床に下ろし、窓を開ける。身を乗り出して外を見下ろした。

 寮の周りを桜の木々が囲んでいる。明日の入学式を待たずに、花はほとんど散ってしまっていた。三日前、この辺りに大雨が降ったのだ。

 情緒を失った桜並木の向こうの丘の上には、立派な建物がそびえている。

 あれが昇山しょうざん高校の学び舎だ。


 窓は開けたまま、私物が詰め込まれているダンボールを開封する。実家からは最低限の衣類や文房具しか持ち出さなかったから、すぐに片付いてしまった。見るからに安物のベッドに腰かけ、改めて室内を見回す。

 ここが今日からあてがわれる自分の部屋だ。進級時にはまた寮変えがある。それまでの一年間はここで生活するのだが、その実感がまるで沸いてこなかった。

 上下左右の部屋の生徒たちはまだ片付けが終わらないようで、物音が鳴りやまない。寮のスタッフが駆け回り、あれこれ指示を出す声が響いている。流行りの音楽まで聞こえてきた。


 落ち着かず、うんざりとした気分になってため息をついた。

 備え付けの卓上時計を見る。寮のオリエンテーションが始まるまで、あと一時間。

 勉強に集中できそうな場所を探そうと思い立ち、まだ他人の家のような居心地の自室を後にした。



 校舎を目指して坂道を上る。寮の部屋から見下ろしたときの印象より、ずっと勾配こうばいのある坂だった。

 もともと体力が無く、上りきる頃にはすっかり息が切れてしまっていた。春の陽気のせいもあって、ひたいに汗が浮かぶ。


 パーカーを脱ぎながら校舎をあおいだ。窓ガラスが四月上旬の日差しを反射させている。

 建物はブロックを無造作に組み合わせたような、複雑な構造をしていた。一周してみようと思ったが、迷子になりそうなのであきらめる。

 小さな広場の脇に置かれた自動販売機でコーラを買い、近くのベンチに腰掛けた。

 ボトルに口を付ける。渇いたのどに炭酸がしみて美味い。

 広場の向こうには「B棟」と書かれた案内板が見えた。この丘の反対側に下りていくと、学生寮B棟があるらしい。

 休憩はこれで終わり。

 ペットボトルのふたを閉め、単語帳の入ったポケットをまさぐろうとしたときだった。



「野沢こころです」



 突然、誰かに話し掛けられた。

 身をすくめて振り返る。

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