4.ピンチです

 七月の終わり。

 寮生たちは実家への帰省を始め、寮は閑散としている。

 ユディも明日には寮を出るつもりで、荷物をまとめていた。


 旅行鞄を閉め、元通りになった狭苦しい寮部屋を見回す。

 狭いはずなのに、なぜか広く感じる。

 あんなにオセロから解放されることを望んでいたはずなのに、いざいなくなると心にぽっかり穴が空いた気がした。


「……違うの、呼べばいいだけだもんね。

 今度は小さくてかわいくて大人しいの。

 もう何でも自由に召喚できるんだから」


 ユディは杖を片手に、幻獣辞典を開いた。

 いくつかの幻獣が目に留まるが、どれも召喚にまでは至らない。

 最後のページにある迷子幻獣を長々と眺める。


(……召喚したい。けど)


 正体を勘づいている今、ただ興味本位で召喚するには過ぎた相手だった。

 かといって、それ以外を召喚するのは気がねしてしまう。


 結局、ユディは杖を振らなかった。

 今はべつに幻獣を呼ぶような差し迫った用がないと理由をつけて、辞典を閉じた。


 革鞄を背負って部屋を出る。

 寮の管理人が無人の部屋の手入れをしていた。蝶番を調整している。


「お出かけかい?」

「はい、家族にお土産を買いに行こうと思って」


「いいのが見つかるといいね。

 あんたの部屋も夏休み中に手入れしとくから」


「よろしくお願いします」


 管理人は始終愛想がいい。おやつのアメまで分けてくれる。

 以前と違い過ぎて怖いが、ユディは安堵もした。オセロが確かにいた痕跡だ。


 正門を出て、坂を下る。

 前方からいまいち噛み合わない会話が聞こえてきた。


「ルジェ。こんなものに乗らなくても、僕が送ってあげるのに」

「どうやって」

「おんぶして」

「ナイト、おまえは僕がいくつだと思ってるんだ」

「十六歳。大きくなったねえ」

「大きくなったって分かってるのに、なんでその発想が出るんだよ!」


 ユディはルジェとナイトに手を振った。

 さすがはお坊ちゃまだ、最近実用化された魔石で動く無蓋四輪車オープンカーに乗っている。


「ナイトさんが運転手なんですね」


「ルジェが運転手やるなら学園に来てもいいっていうから。

 でも僕、カラクリ物は苦手なんだよねえ」


 ナイトは気乗りしない様子でハンドルを握っていた。

 ルジェが助手席から話しかけてくる。


「ユディ、まだ学校にいたのか。召喚士協会の聞き取り、まだ終わらないのか?」

「昨日ようやく終わったよ。もー、色々質問攻めで。疲れたあ」


 ユディは大きく息を吐いた。

 オセロが幻界に帰っていった後、本物の召喚士協会の人間がやってきて、ユディはオセロについて事情聴取を受けていたのだ。


「あのオセロの初契約者だからな。

 初めてオセロを間近で観察した貴重な証人だ。

 詳しいデータが欲しくもなるさ」


「分かるけどさ、オセロが食べてた物まで聞かれたよ。それいる?」


「来たやつ、オセロのファンだったんじゃないか?

 あの竜はクセモノなだけにコアなファンが多いらしいじゃないか」


「『オセロのヒト型はハートマンさんの好みを考慮したもの何でしょうか?』なんてことまで言われて。もう勘弁してほしいよ」


 ユディは握った拳をぶんぶんと上下させた。


「ルジェはサークル活動? 夏休みもあるの?」

「今日までだ。八月中は学園閉鎖だからな」


 兵士が操る荷馬車が二人のそばを通っていく。

 夏休み中、学園は軍の臨時駐屯基地になる。

 軍が魔獣の発生した裏山を調査し、残りの魔獣を掃討するためだ。


「反乱軍が自決した洞窟、やっぱり魔力の溜まり場になってるのかな」

「そうらしい。軍の魔導士が軽く透視したら、魔道具らしきものがたくさんあったそうだ」


 洞窟の発掘作業はすでに始められているようで、山林につるはしやスコップを担いだ兵士たちの姿が見え隠れてしていた。


「じゃあ、ユディ。いい夏休みを」


「よかったらスペイド家に遊びに来てね。

 だれも来ないと、ルジェはひたすら魔法の修練に励んでしまうから。

 外に連れ出してやって」


「そうだな。ぜひ来てくれ。

 で、ナイトに守護幻獣として適度な警護の仕方を指導してくれないか。

 ナイトは君に信頼をおいているようだから、君のいうことなら聞きそうな気がする」


「はは、二人ともありがと。機会があったらぜひ寄らせてもらうね。じゃあ、いい夏休みを」


 ルジェと別れようとして、ユディは坂を駆けあがって来る兵士たちに気づいた。

 必死の形相で叫んでくる。


「君たち、学園に引き返せ! 魔獣だ!」


 逃げる兵士に続いて、人の形をした土砂が山林から這い出てきた。


 瘴気をまとって黒く、立てば見上げるほどに大きい。

 顔の部分には目鼻口と思しき穴が開いていていた。

 うう、おお、あああ、と言葉にはならないうめきを上げている。


「乗れ、ユディ。走るよりは早い」


 ルジェに差し出された手を取って、ユディは後部座席に乗り込んだ。


「あれ、何? あんな魔獣、初めてみた。人間が元になっているの?」


「人間は人間でも、もう死体になっている人間が元だ。

 たぶん洞窟で自決した反乱軍だ。洞窟を掘り起こしたから出てきたんだ」


 ナイトが車を発進させる。

 ユディたちは魔獣とかなり距離があったが、兵士たちを手助けするため、ルジェが立ち上がった。


「洞窟内にあった魔力は出口がなくずっと溜まっていたから、かなり濃い瘴気になっていたんだろうな。

 濃い瘴気は無機物にすら命に似た物を与え、魔獣にする。

 死体も例外じゃない」


 兵士の一人を取り込もうとしていた魔獣が風の刃に裂かれた。

 魔獣を構成していた土砂が元通り土に還る。

 しかし、すぐにまた新たな土が取りこまれて魔獣は再生した。


「無機物タイプは厄介だ。

 普通の魔獣には命がある。素体の息の根を止めれば終わる。

 だけど、あいつらには命がない。

 一気に払わない限り何度でも寄り集まって元通りになる」


 ルジェは座席に置いていたカバンを漁った。

 リングとブレスレットが一体になったアクセサリーが出てくる。

 魔法の威力を増すための魔道具だ。


 二度目の風の刃は数も威力も増した。

 魔獣の身体はかなり細かく裂かれ、核となっている白骨死体が見え隠れした。


「すごい!」

「全然ダメだ。この程度の魔法では、中心部まで届かない」


 ユディは手を叩いたが、ルジェは唇を噛む。

 兵士たちが露出した白骨死体に向かって、魔導具の武器で直接攻撃する。

 骨がバラバラになって地面に散った。


「やった!」


 兵士たちが走るのをやめるが、喜ぶの早かった。


「ひえっ……」


 ユディも兵士たち同様に頬を引きつらせた。

 山林から二体目、三体目と黒い巨人が続々出てくる。

 仲間が引きずってきた瘴気で、骨を砕かれた最初の一体も再生をはじめた。


 本当にすべてを一気に払うか、根気よく散らして行かないと戦いが終わらないらしい。


「全部で六?」

「七だ!」


 七体目は車体の前方に、進路を阻むように出てきた。

 ルジェは七体目の魔獣の足元に魔法陣を展開した。

 目を閉じ、呪文を詠唱する。

 旋風が起こって、魔獣を四方に散らす。


 ユディはまたも感動した。


「すごい! 上級魔法だよね」

「初級魔導士が使うのは違反だけどな。細かいことはこだわっていられない」

「ルジェ、ユディ、目と口と鼻を閉じて!」


 ナイトは薄くなった魔獣の身体に車を突っこませた。


 瘴気は人体に有害だ、ユディは両手でしっかりと顔を覆う。

 自分ではろくに魔法が使えないので、ともかく足手まといにならないように気を付ける。


「……なんか一匹だけ、変だね」


 七体目を通り過ぎた後、ユディは背後をふり返って怪訝にした。


 最後尾にいる魔獣の様子がおかしかった。

 話そうとするように、しきりに口をパクパクさせている。

 言葉は出ず、意味のない低い声が出るばかりだったが、次第にそのうめきは独特の韻律を持ちはじめた。


 うなり声で紡がれる、言葉のない不気味な歌が響く。


「……まずい!」


 ルジェはナイトと運転を代わった。

 助手席に立ったナイトが詠唱をはじめる。

 何が起こるのかと、ユディは魔獣とルジェたちとに視線を右往左往させた。


「無機物魔獣は負の感情のこもった物体がなりやすい。

 呪いに使われた人形だとか、たくさんの生き物を殺めた剣だとか、恨みを残して死んだ生き物とかな。

 そばに使用者や死者の魂が留まっていた場合は、その魂ごと魔獣化する。

 その魂が魔法使いだった日には最悪だ。

 魔獣が魔法を使ってくる!」


 ルジェの解説を証明するように、魔獣の眼前に魔法陣が現れた。

 詠唱代わりの不気味な歌声が途切れると同時に、魔法陣から炎が噴き出した。

 炎が地を這う大蛇のように坂を駆け上がる。


 兵たちを飲みこむ勢いだったが、ナイトの展開した防護結界が進攻を阻んだ。

 軍の魔導士も協力している、防御は決して弱くない。

 しかし、激しく削られていく。

 魔獣の魔法が強すぎるのだ。


「あの魔獣、もとは優秀な魔導士だったのかな?」

「ベテランの上級魔導士だろうな」


 ルジェは背後を一瞥して、断じた。

 魔法を使うのに慣れた魔獣は、今度は同時に二つ魔法陣を展開していた。


「だが、威力がすごいのは魔獣になったからだ。

 あいつらは今や瘴気の塊で、瘴気は魔力の塊だ。

 魔法は使いたい放題だし、術に注げる魔力もケタ違いだ」


「幻獣で例えるなら、普通の巨人が上位幻獣で、魔法が使える巨人が王獣クラス、かな」


 ユディは手に汗がにじんだ。

 学園まであと少しだが、あまり安心感はない。


「学園の結界、壊れてるよね。逃げ込んでも、あの魔法は防げないよね?」

「中央塔はまだ希望がある。あそこは最後の砦だからな。単独で結界を張る機構があったはずだ」


 ルジェは車ごと学内に突っ込んだ。

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