3.最強竜は帰っていきました
美しい歌声に呼ばれて目が覚めた。
「……天使様?」
「ユディ!」
歌声だと思ったものは呪文の詠唱だった。
ユディが意識を取りもどすと、ナイトは詠唱を終えた。ほっと胸をなでおろす。
すぐにルジェも視界に入ってきた。
「大丈夫か!?」
ユディは横たわったまま首を動かし、周囲を見回した。
場所はまだ会議室だ。
時間もほとんど経っていないようで、窓から入る光線の具合は倒れたときとあまり変わっていない。
「私、刺されて」
「知ってる。ナイトに蘇生魔法を使ってもらった」
ユディはナイトに助けられて、慎重に上体を起こした。
制服の胸のあたりにべっとりと血の痕が残っている。
「気分は? どこか痛むところはない?」
ナイトに心配されながら、ユディは身体の状態を確かめた。
深く息をしたり、手足を動かしたりしてみるが、どこにも痛みや違和感はない。
「大丈夫です。ありがとうございました」
「発見が早かったから、蘇生もうまくいったよ。
ご丁寧に時間停止の魔法がかけてあったし」
「……それは、オセロが?」
「たぶんね。蘇生の成功率を上げるためにしておいてくれたんじゃないかな。
その割に魂がそばにないのは不思議だったけど。
どこをさ迷っていたの?」
尋ねられても分からない。
ユディは死んでいる間のことは覚えていなかった。
ナイトが上着を貸してくれたので、それで血濡れた制服を隠す。
「あの女はやっぱり召喚士協会の人間じゃなかったよ。
今、召喚士協会がこっちに向かってる。
学園側にも知らせた」
語るルジェの背後では、学園の職員たちが禿頭男とメガネ男の遺体を部屋から運び出していた。
会議室にルージュはいない。オセロも。
枷の入っていた小箱が床に転がっている。
「何があったか話せるか?」
「ルージュはやっぱり昔、オセロを召喚した人だったよ。
オセロとの契約を狙って私に近づいてきたの。
私を人質にオセロを脅して枷をはめ、契約を成立させた。
私はオセロとの契約を解消するように命令されたんだけど、断ったから刺された」
閉まっていたはずの窓が開いていた。
ユディは立ち上がって窓に歩み寄り、外を見回す。
「オセロとルージュ、どこにいったんだろう」
「学園の門は閉じて、結界の強度も最大レベルまで引き上げた。
封鎖が間に合っていれば、二人はまだ学内にいるはずだ」
突如、学園の鐘が時間割とは無関係にやかましく鳴り出した。
学内に設置された拡声器から緊迫した声でアナウンスが流れる。
「学内に不審者が侵入! 敵は中央塔上部!
全生徒、校舎内に避難せよ!
全教員、全職員は非常時のマニュアルに沿い行動せよ!」
不審者はルージュのことだろう、学内がバタバタと騒がしくなる。
校庭で遊んでいた生徒たちは突然のことに面食らう。職員たちに追い立てられて校舎へ引っこんだ。
棟の出入口や窓は残らず閉められ、魔法をかけられ、だれも出入りできないようになった。
「君たちも窓を閉めて避難を。なるべく下の階へ」
職員に促され、ユディは廊下へ出た。
だが、階段を下りはせず駆け上がる。
「おい、ユディ!」
「オセロを助けなくちゃ。枷を解いてあげないと」
ルジェとナイトが止めるのも聞かず、ユディは屋上を目指した。
最上階から屋上へのルートは、今度はハシゴでなく外階段を選ぶ。
外にはすでに杖をかまえた教員たちが集結していた。
オセロが結界を破壊しようとしていた朝のように。
中央塔の屋上に攻撃に狙いを定めている。
「容赦はしねえぞ!」
道具士の教師、ヤース先生が肩に担いだ魔導砲を発射した。
それを合図に他の教員たちも一斉に攻撃を開始する。
「しゃがめ!」
ルジェにいわれるまでもなく、ユディは階段の途中で腰を落とした。
念のためにと張られたナイトの防護結界の中で、教師たちの総攻撃をやり過ごす。
通常の竜ならばひとたまりもない熱量の攻撃だ。
ユディはさすがにオセロの安否を気遣ったが、教師たちの険しい表情から無事を知った。
カラハ先生が歯噛みする。
「これだけの攻撃を食らって無傷とは……。
その分厚い防護結界、一体どれだけの魔力があるのです?」
ユディはさらに階段を上った。
胸壁に囲まれた屋上をのぞきこむと、ルージュが竜姿のオセロにうっとりと触れていた。
「やっぱり私の予想は間違っていなかった。オセロ、あなたはすばらしい幻獣だわ」
「確かに目を見張るものがあるが。
学園の結界を最大に強化した。君たちには逃げ場がないぞ。
じきに召喚士協会もやってくる。
早めに降参したらどうかね、召喚士君」
ホイスト先生が脅すが、オセロを警戒した弱腰の態度だったので、効果はなかった。
「あなた方こそ逃げた方がいいのではなくて?
今からオセロの実力試しに、あなた方を攻撃してもらうから。
どうなっても知らないわよ?」
包囲の輪が一歩広がる。
ルージュは高らかに命令した。
「さあ、オセロ。やってしまいなさい!」
オセロたちの頭上に展開された魔法陣がまばゆい光を放つ。
あまりのまぶしさに、全員が防護魔法も忘れて目を覆った。
熱した油に水滴が落ちたような激しい音が起こる。
誰も死ななかった。
ただ学園の結界が破壊された。
中央塔を取り囲む六つの塔にヒビが入り、壁がぼろぼろと少し崩れる。
教師たちが呆然とつぶやいた。
「……一度で」
「ははははは! さすがね! さすがだわ!
皆様、よくおわかりになったでしょ?
あなたたちの方が下がりなさいな」
今だ、とユディは屋上に乗り込んだ。
幸いルージュはこちらに背を向けており、勝利を確信して無防備だった。
背後から飛びかかり、天使に借りた上着を頭からかぶせる。
「ユディ、枷を外せばいいんだな!?」
「お願い!」
打ち合わせたわけではなかったが、ルジェはユディの一番の目的に取り掛かってくれた。
飛翔の魔法を使ってオセロの背後に回り、首にある金鎖をつかむ。
「くそっ、なんだこの首飾り。やけに丈夫だな」
「ルジェ、離れて! 噛まれる」
ナイトに言われて、ルジェは屋上から退避した。
オセロはルジェの手出しを嫌がって、盛んに威嚇する。
「オセロ、暴れないで! 枷を外すだけだから!」
「ユディ、危ない!」
オセロに注意が反れた瞬間に、ユディはルージュの上から弾き飛ばされた。
ナイトに抱えられて、ユディも屋上から離脱する。
「生きてたのね、小娘。そこの天使のおかげかしら。運がいいこと。
バカは治らなかったみたいだけれど」
ルージュは乱れたヴェールを直し、杖代わりの短剣を抜いた。
切っ先でユディを含む全員を指す。
「やってやりなさい、オセロ。
手加減なんてするんじゃないわよ。
したら、どうなるかわかるわよね?」
ルージュが杖代わりの短剣を振るう。
枷が縮み、竜の首を絞めつけた。
「今度は蘇生もできないくらいに消し飛ばしてやりなさい」
勝ち誇って命令したルージュは、不意に怪訝そうにした。
何か調子がおかしいというように、短剣を二三度左右に揺らす。
苦しがるようにアゴを反らしていたオセロが、くつくつ喉を鳴らした。
「学園の結界を破壊できて満足満足。 あー、すっきりした。
やっぱ檻は壊すためにあるもんだよな。枷も」
オセロの首にぴったりと巻きついていた枷が緩まる。
ぐぐぐ、と内部からの圧力に負けてその輪を広げる。
オセロがユディに鼻先を向けた。
「ユディ、生き返んの早すぎ。
せっかく魂が分離したから、生き返らす前に幻界に連れていこうと思ってたのに。
一緒に幻界極楽スポット巡りしようって計画してたのに。
天使、おまえ余計なことするんじゃねえよ」
にらまれたナイトは、抱えたユディを見下ろし納得した。
「ユディの魂が肉体のそばになかったのは、君が持って行っていたからだったんだね」
オセロの悠長な態度とは対照的に、ルージュは焦っていた。
両手で短剣を握って集中するが、枷が広がっていくのを阻止することができない。
ヴェールが外れて醜い傷痕があらわになるが構わなかった、何度もオセロを振り仰ぐ。
「なんっ、なんで、枷がっ!?」
「おまえも俺のこと弱く見積もりすぎなんだろ」
オセロは順調に枷を緩めながら、あくびでも洩らしそうなほどのんびりいう。
「嘘、嘘よ! こんなことっ、あるわけない!
この枷が破れるって――あなた、一体なんなの!?」
「オセロ様だよ」
枷がはじけ飛んだ。
その枷がどれほど強固なものか、教師たちは知らない。
ユディだけがルージュの動揺を理解した。
飛んできた枷の一部を手のひらに載せ、呆然とする。
ルージュと同じく顔色を失くした。
「おまえら召喚士のがっかりする顔を見るのは俺の楽しみの一つだから、いつもならまたのリベンジを期待して半死半生で許してやるんだけど。
今回はダメだな。おまえらは俺の一番のお楽しみを奪った。
俺の選んだ契約者を殺すなんて、なんてことしてくれんだ?」
ルージュはオセロに顔をのぞきこまれると、ガタガタと震え出した。
恐怖のあまり発狂してやみくもにオセロに斬りつけるが、硬いうろこには傷一つつかない。
にたり、と金の目が細められる。
「俺との契約の対価は、命だ。魂をもらうぜ」
ルージュは頭からオセロに噛みつかれた。
口から解放されたとき、赤く染まった体から半透明の白いものが引きずり出される。
「ひひひっ、幻界極楽スポット巡りができなくなった代わりに。
てめえらを幻界地獄スポット巡りに連れていってやるよ」
中央塔の中から、ルージュの身体から引きずり出されたのと同じ、白く半透明なものが二つ飛び出てくる。
オセロは鋭い爪のある前足で、三つの魂をしっかりと掴んだ。
「たっぷり楽しませてやるぜ。魂が壊れるくらいにな」
笑った口元からびっちり生えそろった凶猛な牙がのぞく。
「さあ、おまえら、帰り道を用意しやがれ!」
オセロが咆えると、教師たちは一斉に杖を掲げた。
自分で開けとはだれもいわない。天に幻界への扉を開く。
壊れた枷に気を取られていたユディは我に返った。
「待って、オセロ! 聞きたいことが」
「オセロ様のお帰りだぜ!」
ぎゃははははは、と凶悪な笑い声を響かせて、暴竜は扉の彼方へ消えた。
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