2.契約が解除されました

「ほら、十年前、召喚されたオセロが野放しになって大騒ぎになった時があっただろう? あの時の」


 ユディは記憶があいまいだったが、ナイトは大きくうなずいた。


「そんなこともあったね。

 ちょうど外国から要人が来ている時だったから、オセロで何か起きたら一大事。

 オセロを探し出せ、監視しろって、召喚士だけでなく魔導士も捜索に借り出されて大騒ぎだったね。

 スペイド家も不測の事態に備えてピリピリしっぱなしだった」


「そういえば、うちのお父さんも召喚士協会に呼び出されていた気がする。

 私は拾った幻獣に夢中だったから、よく覚えてないけど」


 ユディは苦笑いして、あれ、と気づいた。

 時期が一緒だ。

 オセロが召喚された時期と、シロに出会った時期が。


 シロの金目と、オセロの金目が重なる。


 まさか、と背に冷汗が流れた。


「昨日、眠れなかったから、オセロに関する資料を読んでいたんだ。

 だからオセロ逃亡の新聞記事もはっきり記憶にあるんだが、さっきの女、オセロを召喚した召喚士の似顔絵にそっくりだ。

 髪の色、目の色、肌の色も一致する。ホクロはなかったけどな」


 ルジェは今一度、ルージュの顔をうかがった。

 ナイトの表情もやや険しくなる。


「ホクロは化粧でつけられるから大した問題ではないよ。

 もし、わざと付け足しているなら怪しいな。

 元の顔の特徴をごまかすためかもしれない。


 露出の多い服装も不自然だ。協会の人間らしくない。

 人の視線を顔から逸らさせるためかも。

 男性なら足に目が行くだろうから」


「連れている二人の男も、なんだか怪しくないか? とくにハゲ頭の方」

「怪しいね。魔導士協会でブラックリスト入りしている人に似てる」


 ルジェたちは連れの男たちにも不信の目を向け、心配そうにユディをふり返った。


「ユディ、彼女は本当に召喚士協会の人間か?

 十年前にオセロを召喚した女は前科者で、召喚士の資格も剥奪されている。

 協会の人間であるはずがないんだが」


「でも、ちゃんと腕章をつけてて」


 ユディは急に不安になった。腕章くらい協会の人間でなくとも手に入るだろう。

 おそるおそるルージュを見る。


 中央塔の入り口で、ルージュたち三人はユディが来るのを待っていた。

 なかなかこないので、どうしたのかと不審そうだ。


「ユディ、とりあえず行け。何も知らないフリで通すんだ」


 ルジェが決断し、ユディの背を押す。


「彼女のフルネームは?」

「タブラ=ルージュさん」

「わかった。召喚士協会に問い合わせて、本当に在籍しているか確かめてみる」


 ユディは不安を抱えながらルジェたちと別れ、中央塔へ向かった。


「お友達は大丈夫? 何か話し込んでいたみたいだけど」

「はい、大丈夫です」


 ルージュの気遣いに、ユディは不自然にならないよう気をつけて笑った。

 前回と変わらない柔らかな微笑が返ってくる。

 しかし、召喚士協会の人間ではないかもしれないと知った今では、この魅力的な笑顔もうさんくさかった。


「連絡をありがとう。何か進展があった?」

「これ、返します」


 会議室で、ユディは借りていた枷を差し出した。


「やっぱり騙してはめるようなことはできませんでした。

 オセロにもすぐ気づかれましたし。

 オセロはやっぱり私と契約解除する気はないし、複数人で契約する気もないそうです」


 そう、とルージュは残念そうにため息をついた。


「私、契約解除はもういいです。諦めました。

 今後はオセロと一緒にやっていく方法を考えます。


 オセロは確かにメチャクチャだけど、全く話が通じない相手じゃありません。

 ちゃんと譲歩もしてくれます。


 オセロがどうやっても契約を解除しないのなら、私も怖がったり嫌がったりしてばかりしていないで、ちゃんとオセロと向き合っていくことにします」


 ユディは膝にのせた両手を握りしめた。

 もし、ルージュが十年前にオセロを召喚した召喚士なら。

 ユディに近づいてきた目的はオセロとの契約だろう。

 ルージュたちの提案を拒否することは勇気がいった。


「立派ね、ユディ。よく決断したわ。

 あなたがそう決めたのなら、私たちもその意見を尊重するわ」


 ルージュは枷の入った小箱を手に取った。


「でも、本当に一人で大丈夫? 後悔しない?

 オセロは気まぐれよ。今は大丈夫でも、いつあなたに牙を剥くか分からないわ。

 不安はない?」


「あります。でも、オセロが裏切る前に、私の方からは裏切りたくないんです」


「覚悟が決まっているのね。安心したわ。

 じゃあ、協会にはあなたがオセロと契約を続ける気でいると報告するわね」


 ルージュは微笑んだ。

 両隣の禿頭男とメガネ男と視線を交わし、立ち上がる。


 引き際があまりにあっさりとしているので、ユディは拍子抜けした。

 自分を利用する気で来ているなら、もっと渋ると思っていた。

 ルジェの話は勘ちがいだったのではないかと疑う。


「ただ、一度、オセロとも話をさせてもらえる?

 報告書を書くのに、あなたの話だけではいけないから」


 ユディの隣にルージュが座った。

 メガネ男もユディのそばに座ってペンを握る。

 禿頭男は席がないので立ったままだ。


「ここでいいんですか? 呼んでも来るとは限らないんですけど」

「その時はあなたのお部屋にこちらからお伺いするわ」


 ルージュの態度は始終柔らかい。

 ユディは少し緊張を解いて、杖を取り出した。

 来てくれることを願いながら、窓際の席に向かって呼応の呪文を唱える。


「死ね」


 オセロは現れた。背後に。

 ユディの真後ろに立っていた禿頭男の首を蹴り折る。

 倒れた男の手からナイフが落ちた。


 メガネ男はすぐに杖代わりのペンを振ろうとしたが、胸を押さえて倒れた。

 オセロが禿男のナイフを投げたのだ。


 最後はルージュだけだったが、彼女は助かった。

 ユディを人質に取ったおかげだ。


「動かないで、オセロ。この子を殺すわよ」


 人質の首筋に短剣を当て、ルージュはじりじりオセロの間合いから離れる。

 ユディが杖を振ろうとすると、すぐに気づいて手から叩き落した。


「やっぱり、召喚士協会の人じゃなかったんだ」


「そうよ、違うわ。

 お人好しそうだから何にも気づいていないと思っていたけど、気づいてたのね」


 本性をあらわにしたルージュはユディへのあざけりを隠さない。

 意外、と肩をすくめた。


「オセロを捕まえに来たの?」


「ユディ、いったわよね、私は昔に召喚で失敗したって。

 その相手がオセロ。


 私がオセロの最初の契約者になるはずだったのに。

 上位幻獣も王獣も召喚すらしたことがないような召喚士に先を越されるなんて。

 心の底からムカつくわ」


 軽く首が締まり、ユディはうめいた。

 ルージュはあごで机上の枷を示す。


「オセロ、それをつけなさい」

「そいつを離せ」


 口紅を塗ったつややかな唇が、優越感にほころんだ。


「よかったわ。この子の命が惜しいのね。

 あなたのことだから見捨てる可能性も考えていたけれど。

 安心しなさい、言う通りにしたらちゃんと解放してあげるわ」


 ユディは叫んだ。


「オセロ、はめちゃダメ! それ、アシュラムにも使うようなやつだよ! 強いから!」

「おとなしくしていなさい、小娘。うっかり剣が刺さるわよ」


 刃先がちくりと肌を刺す。

 オセロの首に枷がつく場面を見たくなくて、ユディは顔を背けた。


「ほら、はめたぞ。さっさと離せ」

「まだよ。ユディ、契約を解除して」

「嫌」


 刃がうっすら皮を切る。

 しかしユディはうなずかなかった。


「ひよっこ、いいから。解除しろ。早く」

「絶対に嫌!」


 オセロ当人に言われてもユディはかたくなに拒否した。

 ルージュを睨みつける。


「教えて。あなたの願いは何? なぜオセロを呼んだの? どうして無理やり契約するの?」


「なぜ? 愚問ね。

 強い幻獣を従えること、契約の難しい幻獣と契約すること。

 この二つは召喚士が持って当然の欲求でしょう?


 私はオセロの真価を知りたいし、世間にオセロの力を示したい。

 だれも手に入れたことのない幻獣を手に入れたい。

 世界中を私の前にひざまずかせてやるわ」


「違う、幻獣はみんなを幸せにするためにいるものだよ!」


 反論した次の瞬間、ユディの胸に鋭い痛みが走った。

 短剣が心臓を貫いていた。

 冷たいささやきが耳に届く。


「契約解除の奥の手を教えてあげる。

 契約者が死ぬことよ」


 契約は死が二人を分かつまで。

 契約獣が現界で死ねば契約解除になるのなら、召喚士が死んでも契約は解除される。

 ユディでは考えもしなかった方法だった。


「みんなを幸せにするため? さすが、世間を知らない子供はいうことが違うわ」


 ルージュに突きはなされると、ユディはあっさり床に倒れた。

 絨毯の上に赤いシミが広がっていくのを信じられない思いで見つめる。

 痛みよりもショックの方が大きい。

 自分が死ぬという事実が受け止められなかった。


「このアホ。だから早く解除しろっていったのに」


 オセロの声を聞きながら、ユディの意識は遠のいていった。

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