4章 穏やかになんて終われない

1.友達が増えました

 決闘の翌日、ユディが自分のロッカーへ行くと見事に荒れていた。


 「卑怯者」「意気地なし」「落ちこぼれ」というユディに宛てた落書きから、「幻界に帰れ」「竜の皮を被った悪魔」「滅滅滅」といったオセロに宛てたメッセージが書きなぐられている。


 余白には「バカ」「アホ」「カス」などの常套句が添えられ、もう何が書かれているか分からないほどロッカーが黒い。


 そこに腐った生卵が投げつけられ、虫の死骸がなすりつけられ、隙間にはゴミがねじこまれ、鍵穴にも傷がついていた。


 いつかはやられるかもな、と覚悟していたが、現実になると心が重くなる。


(……もう転校しようかな)


 ユディが遠い目をしていると、床にバケツが置かれた。

 ルジェだ。


「片付けは僕がやるから、君はとりあえず中のものが無事かだけ確かめてくれ。

 鍵をこじ開けている最中に僕が通りかかったから、荒らされてはないと思うが」


「あ……りがとう」


「礼をいわれることじゃない。

 昨日は悪かった。決闘は僕の完敗だ。

 色々君を見下す発言をしたことを深く後悔してる。

 君はとても立派だった。バカはこっちだ。昨晩は反省がつきなくて眠れなかった。

 本当にすまなかった」


 ルジェは緊張からだろう、落ち着かない様子で銀髪をなでつけた。


「その、許してもらえるか?」


「もちろん。誤解されて当然の状況だったから。

 わざわざありがとう、スペイドさん」


「ルジェでいい。同級生だし」

「じゃあ、私もユディで」


 差し出された右手をユディは握った。

 物陰からユディの反応をうかがっていた生徒たちが、ルジェににらまれて退散していく。


「よかった、中身は無事だった」

「ならよかった。中の物を全部出して、こっちのロッカーに移せ」


 ルジェは別のロッカーのカギを渡してきた。


「しばらく僕とロッカーを交換しよう。

 交換していても、一応僕のロッカーだ。

 いたずらするようなやつはいないだろう」


 ユディは恐縮しながら、ルジェのロッカーに中身を移させてもらった。


「昨日の決闘でどこか痛めたりしてないか?」


 ロッカーの汚れをこすり落としながら、ルジェが尋ねた。


「ささいなことでもいってくれ。責任もって治すから」

「たぶん大丈夫。オセロ、元気そうだから。今朝もよく食べてたし」


「僕が気にしているのは君の方だ。

 あの竜のことはこれっぽっちも心配してない。

 むしろ本気で寝込めと思ってる。

 もっと強くなって本当に痛がらせてやるのが目標になったよ」


 魔導士の青い目は吹雪いていた。

 奥に静かな闘志が燃えている。


「が――がんばってね!」


 オセロの契約者としては間違っている気がしたが、ユディはルジェを応援した。

 これまでオセロの横暴に振り回されてきている身としては、一度でいいからオセロが正攻法で伸されるところを見たいという気持が止められなかった。


 奇妙な連帯感が芽生える。

 一度は断られたものの、ユディもルジェと一緒にロッカーを磨いた。


「あれが普通の竜だったらな。

 倒して、ナイトのやつに一人前と認めさせようと思ってたのに」


 ロッカーがきれいになった後、掃除用具を元の場所に戻しながらルジェがぼやいた。


「竜と戦いたがっての、半分はそれが理由?」

「いつまでも過保護なんだ」


 噂をすれば影、天使様がバスケットをもって現れた。


「ルジェ、お弁当だよー。

 何事もない? 大丈夫? 決闘を申し込んだりしてないよね?」


「昨日の失敗で扱いが初等部レベルに逆戻りしてるな、これ」


 わざわざ昼食を届けに来た守護幻獣に、ルジェはがっくり肩を落とした。

 ちなみにルジェは寮生ではないので、毎日家から通っている。

 昼食は持参だったり学食だったりカフェだったり様々らしい。


「ユディ、昨日はどうも。

 幻界に強制送還にならなくて良かったよ。

 一応、覚悟は決めていたけど、なると面倒だからねえ」


 天使はユディに気さくにあいさつした。


「私も安心しました。天使様が死ななくて」


「呼び方、ナイトでいいよ。

 ユディは僕の契約者のお孫さんだから、どうも他人の気がしないんだよね」


「え!? 天使様の契約者って、そうだったんですか?」


 ユディは仰天し、祖父母の顔を思い浮かべた。

 祖父は竜族や獣族を得意とし、天使は好みでないはずだ。


「となると――おばあちゃんの方ですか?」

「こういうの、見覚えあるんじゃないかな?」


 ナイトは服の下から、ビーズと色紐を編んで作られた首飾りを取り出した。

 ユディはすぐに納得する。


「それ、うちの祖母のお手製の枷ですね。

 おばあちゃんは手先が器用だから、枷も自作なんですよね。

 最初に話した時、私のことを知っているふうだったのは、そういう理由だったんですか」


「内緒にしてね。

 守護幻獣って安全上、契約者はだれか明かさないものだから。

 ユディのおばあさまも、僕がだれの警護をしているかは知らないんだ。

 召喚士協会の依頼を受けて守護幻獣を派遣しているだけ」


「私が知って良かったんですか?」

「僕がユディに親しげにする理由をいっておかないと、暴竜様が怖いから」


 だったら話しかけなけないのが最善策だが、ナイトは契約者と会うと孫の話を聞かされるので、どうしても気になってしまうらしい。


「ユディはおっとりしているのに、やることはお転婆だから心配って言ってたよ。

 蜂蜜食べたさに蜂の巣を襲ったり、ブランコからジャンプして骨折したり、滝つぼに飛び込んだり。男兄弟で育ったせいかしらって嘆いてた」


「おばあちゃん、そんなこと言っていたんですか?

 なんでよりにもよってそういう恥ずかしいエピソードいうかなあ」


「冬、ストーブの前で孫娘に編み物を教えてあげるのが密かな夢だったらしいから、できれば叶えてあげて欲しいな」


「分かりました。今年の冬は挑戦してみます」


 ユディはすっかりナイトと打ち解け、きゃっきゃっと内輪話で盛り上がる。


「こうなると、ますます天使様――ナイトさんが死ななくてよかったです」


「不死身だろう、幻獣は。

 幻界に強制送還されたって、また召喚できるんだから」


 冷めた口調のルジェに、ユディは念を押した。


「確かに存在はなくならないけど、今のナイトさんではなくなるよ?」

「もう少し詳しい解説を頼む」


 魔導士のルジェは、幻獣についてあまり詳しくないようだった。


「幻獣は現界で死ぬと、それまでの記憶を無くすの。

 無くさないのはフェニックスみたいに不死の特性を持つ幻獣だけ。

 もしナイトさんが現界で死んで、次にまた同じ個体を召喚したとしても、ルジェのことは忘れてる。

 だから、今のナイトさんとはちょっと変わるよ」


「ルジェにはその方が良かったかも知れないけどね。

 また僕に一からスペイド家のこととか、世情とか、色々教え直す面倒はあるけど。

 次の僕は君を赤ん坊の頃から見ていない分、ここまで過保護ではなくなるだろうから」


「……そこまで嫌ってるわけじゃない」


 ルジェは不機嫌にいって、乱暴にバスケットを受け取った。

 中身を確認してユディを誘う。


「よかったら君も食べるか? 毎度、量が多いんだ」

「わ、すごい豪華。まさかナイトさんが?」

「ううん、作ってるのはスペイド家のシェフだよ。僕は詰めただけ」


 三段重ねの大きなバスケットの中身は豪勢だった。

 正門に近い東屋で中身を広げると、テーブルはたちまちいっぱいになった。


 主食だけでもふつうの白パンに加え、ライ麦の混じった重めのパン、ビスケットと入っている。

 添えられているのは黄みがかったぽってりとしたバターに、思わず一舐めしたくなるような真っ赤なストロベリージャム、黄金色のマーマレードジャム。


 おかずのローストビーフは芸術的なロゼ色で、色とりどりの野菜と魚介のテリーヌは目に楽しい。

 揚げ物の衣は砕いたナッツか何か混ぜられているようで、食感が良さそうだ。

 ハーブ入りのソーセージはちょっとつつけば弾けそうなほどパンパンで、色の濃いチーズと薄いチーズがリズミカルに交互に並べられている。


 網目状の焦げ目がついた焼き野菜に、涼しげなガラスのピックに刺さったピクルス類。

 甘味も充実していて、果物の他に香ばしく焼けた甘いパイや、濃いチョコレート色のケーキもあった。

 飲み物も水筒の他、ジンジャエールの瓶まで入っているという周到さ。

 バスケットに隙間がない。


「昨日のパーティーの残りだな」

「残り物でごめんね、ユディ。今度、もっといいの持ってくるからね」

「全然! こんな豪華な残り物、初めてです」


 ルジェは飽きたという態度で、ナイトは恐縮していたが、ユディは感動した。

 料理はどれも当然のようにおいしい。

 さすがは魔法使いの名門スペイド家だ。


「二人で食べても多いな」

「そうだね。オセロがいたらあっという間なんだけど」

「残ったらどうぞ持って帰って」


 ナイトはお茶を差し出しながら、ユディの顔をのぞきこんだ。


「ところでユディ。ずっと聞きたかったんだけど、君は一体オセロに何をしたの?」


「どういうことですか?」


「君は幻界ではちょっとした有名人なんだよ。

 暴竜オセロに召喚を邪魔され続けているかわいそうな召喚士って」


 テリーヌがのどに詰まった。ユディは胸を叩く。

 ずっと召喚できなかった訳が奇想天外だった。


「オセロが、私の召喚の邪魔? なんで?」


「それはこっちが聞きたいことなんだよ。

 最初は皆、君がオセロに恨まれているのかと思っていたんだけど、ちょっと違って、オセロは君の召喚を待っていたんだね。

 自分がなかなか呼ばれないから怒って邪魔してたみたい」


 ナイトは深々とため息を吐く。


「もう、幻界中が戦々恐々だったよ。

 君が何か召喚するたびにオセロの機嫌が悪くなるから。

 オセロが君に呼ばれて幻界から出てって、幻界は今頃ほっとしてると思うよ」


 ルジェはピクルスをつまみながら、やや呆れた。


「だれかさっさとユディに教えてやればよかったんじゃないか?

 オセロを召喚しろって」


「もちろん、そういう意見を出した幻獣はいたよ。

 でもオセロとしては、そういう召喚のされ方は嫌だったみたいで。

 その案を出した幻獣は、オセロに難癖つけられて、おもちゃにされて、酷い目に遭っていたね」


「ぼ……暴君……」

「子供と同じだな」


 ユディは身震いし、ルジェはやっぱり呆れ、ナイトは苦笑いした。


「でも強いから、だれも何も言えないんだよねえ」


 ユディはバスケットから揚げ物の串を取った。

 まさかオセロに召喚を逆指名されているとは思わなかった。

 オセロの待ち人が自分だったことに驚く。


「でも私、そんなことをされる心当たりがないんですけど」

「過去にオセロに会ったことは?」

「全く。本とか話で存在は知っていましたけど、会ったことも見たこともないです」


 悩むユディに、ルジェも口を挟む。


「オセロは現界に出現すると、追っ手を撒くために姿を変えることもあるようだから。

 君がそうだと気づかずに会っているかもしれないぞ」


「あんな性格した幻獣に会っていたら、絶対忘れなさそうなのになあ」


 首をひねっていると、ヴェールを被った女性が近づいてきた。

 召喚士協会のルージュだ。にこやかに手を振ってくる。


「ユディ、こんにちは。お昼の最中?」

「もう終わります。今日も中央塔の会議室ですか?」

「ええ。もう終わるなら、塔の入り口で待ってるわ。一緒に行きましょ」


 ユディは、ルジェがルージュの姿を注視していることに気づいた。

 使ったナプキンやコップを片付けながら、からかう。


「召喚士協会の人だよ。美人でしょ」


「いや、そういうことで見ていたんじゃないんだ。

 あれって十年前にオセロを召喚したやつじゃないか?」


「え?」


 そんなことは、ルージュの口からは一言も聞いていない。

 ユディは眉をひそめた。

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