6.私の契約獣がこんなに可愛いわけがない

 翌日。中央塔の地下実技場。


 ユディが十分前に到着すると、すでに観客席には人がいた。

 試験が終わり、授業も順次終了している。

 空き時間が増えたのでみんな娯楽に飢えているらしい。


 ルジェ様と天使様のファンクラブも当然駆けつけていて、会場は二人を応援する色が強い。

 他は興味半分、話題の召喚士と悪竜の懲悪ショーを期待して、といったところだろう。

 ユディが登場すると、会場にはひそひそ声が湧いた。


「竜はどうした」


 ルジェが一人のユディに柳眉をひそめた。


「来ないよ。やっぱりやりたくなくなったみたい。気まぐれだから」

「……なんて勝手だ。性根が腐ってるな」


 ルジェは忌々しげに吐き捨てた。

 会場からもブーイングが起きる。


「両者現れたことだし。試合の準備を始めよう」


 立会人は生徒会の腕章をつけた三年生だった。

 生徒同士の魔法を使っての戦いには、教師の許可と生徒会役員の立会いが必要だ。


 双方に回復士によって同じ防護結界が張られた。

 回復士には、かける相手にひいきが起きないよう目隠しがされている。

 この防護結界を先に破られた方が負けとなる。


 制限時間はないが、ユディは五分と立たずに終わるだろうな、と思った。

 実技場の隅には、ルジェのウォーミングアップで千々に裂かれ、炭と化した丸太がある。

 もともと勝つ気もないので、ケガなくやり過ごせることだけを祈った。


 結界の貼られたコートに入って、ルジェと対峙する。

 ルジェの後方では天使がハラハラと試合の行く末を見守っていた。


「では、試合開始!」


 ユディは度肝を抜かれた。

 開始の合図とともに、十の風刃が飛んできた。

 防護結界がバチバチと音を立てて削られていく。


(詠唱なしでこれ!?)


 一度で防護結界は半分ほどに減っただろう。

 初級魔法だが中級魔法に匹敵する威力だ。魔力量が半端ない。

 ルジェは棒立ちのユディを冷たく見下す。


「なんなら幻獣を召喚していい。

 魔法実習で一位は嘘にしても、召喚実習で一位を取ったのは嘘でないということを証明したいだろうからな」


 ユディは強く唇を引き結んだ。

 杖をかまえて唱えたのは、防護結界を強化する呪文だけだ。


「君までやる気ゼロか? 気に食わないな」


 次は十の火矢が放たれた。

 ユディは防護結界を強化しておいてよかった、と思った。

 していなかったら、おそらく火矢は防護結界を貫通していた。


 今や防護結界は薄皮一枚といった状態。

 次に食らえばお終いだ。

 勝敗は決したも同然の状態なので、ユディは審判に向かって手を挙げた。


「降参――」

「認めない」


 ルジェがユディの宣言をさえぎった。

 観客席からも戦意のないユディに対して不満の声が上がっている。


「せめて何か幻獣を呼べ。ただの一度も戦わずに終わらせるなんて僕が許さない」

「呼んでも、ただ幻獣を死なせるために呼ぶようなものだから」


 ユディは魔力の大半をオセロの維持のために費やされている。

 残りの魔力で呼べる幻獣は限られる。

 呼んでも悪あがきがせいぜいだ。

 ルジェなら怪鳥ステュムパリデスの群団も一撃でほふるだろう。


「そんなにあっさり負けを認めるなんて。プライドのかけらもないんだな。

 僕もそうだが、君に負けた連中が報われない」


 あくまで戦わずに済まそうとするユディに、ルジェは苛立った。

 天使が見かねてユディの所へやってきた。心配そうに眉尻を下げる。


「ユディ、もういいよ。オセロを呼んで。

 君一人災難を被っているのは見ていられない」


「いいんです。私が選んだことだから。

 私はオセロに枷をはめられなかった。機会があったのにできなかった」


「どうして?」


「騙してはめるしかなくても、そうするのは嫌だったんです。

 それが私の召喚士としてのプライドです」


「あの暴竜が君を選んだ訳が分かった気がするよ」


 天使は緑色の目をやさしく細めた。


「ともかくケガをしないように防御を強化して。

 こっちもルジェに手加減するよういうけど」


 ユディは再び防護結界を強化した。

 しかし、ルジェの手にある魔法の雷鞭を見て痛みを覚悟した。

 防ぎ切れない。歯を食いしばって目をつむる。


「前座ご苦労。真打ちの出番だな」


 雷鞭はユディに届かなかった。

 襲いかかってきた鞭の先はオセロに捕らえられた。


「なんでいるの!?」

「おまえの浅知恵くらいお見通しだっつーの」


 オセロはつかんだ鞭を勢いよく振った。

 鞭に引きずられ、ルジェが壁に激突する。


「ようやくお出ましか」


 ルジェは立ち上がって闘志に目を輝かせたが、天使が邪魔をした。

 険しい顔でルジェより前へ出る。


「ナイト、どけ」

「ルジェ、下がって。全魔力を注いで防御を固めて。ともかく死なないで。

 最初の一撃で僕は幻界に帰らされるから、君を蘇生できない」


 最初から防御一択、しかもルジェ一人が生き延びられればマシ、という守護幻獣の態度をルジェは怪訝にした。


「なんだって?」

「あれはただの竜じゃないんだよ」


 オセロは立ちはだかる天使を無視して、その向こうにいるルジェにいった。

 口に手を添え、会場中に聞こえるように叫ぶ。


「おーい、ボクちゃん。

 俺に威勢よく喧嘩売っておいてそれか?

 天使の影に隠れるなんて、おまえはお姫様か?

 クソだせーぞ」


「ちょっと、やめて!」


 挑発をはじめたオセロの背を、ユディは叩いた。


「ドラゴンスレイヤーの家系とかいってたくせにー。

 一度も攻撃しないで終わるとかー。

 観客席にいるおまえらもがっかりたよなあ?」


 オセロはルジェだけでなく観客も煽りだす。


「そうだぞ!」

「やってやれー!」


 無責任な野次が湧いた。


「おまえらもボクちゃんの本気、見たいよなー?」

「ルジェ様ーっ!」

「スペイド、やっちまえー!」


 盛大な「やれ! やれ!」コールが湧く。

 ユディはオセロをつかんで揺さぶった。


「煽らないでええええ!」


 穏便に終わらせようと思ったのに、すべての努力が水の泡だ。

 ルジェが眼前に魔法陣を展開する。


「このクソ竜が。滅しろ! 幻界に帰れッ!」

「ルジェ!」


 魔法陣から多数の光の弾丸が放たれた。

 ユディはホイスト先生の時と同じように、魔法が術者自身に返される悲劇を予想したが、結果は全く違った。


「おー、痛」


 痛がったのはルジェでなかった。天使でもなかった。オセロだ。

 ユディを腕にかばい、自分は背に弾を受けている。


「痛い。マジ痛い。死ぬ。降参」

「は……?」


 床に膝をついて痛がるオセロに、ユディはぽかんとする。

 何が起きているか理解できない。


「痛い痛い痛い痛い痛い――痛いっつてんだろ審判! 何回言わせんだ。

 ボケッと見てないでとっとと試合終了しろ!」


 審判はオセロに怒鳴られ、目を白黒させる。


「こ、降参? もう?」


「降参っていってんだろ!

 人を殺す気か。この血が見えないなら目ん玉取っ替えろ!

 テメーの体中に百目鬼どうめきの目を全部移植すっぞ、ボケナス!」


 降参のわりに元気が良すぎた、なんなら勝者よりはるかに威勢が良い。

 とてもとても元気そうだが、気迫に負けて審判は叫んだ。


「勝者ルジェ=スペイド!」


 ルジェたちの勝利に歓声が湧いたが、ごく一部だった。

 すぐにオセロへの大ブーイングでかき消される。


「ふざけんなー!」

「まじめにやれー!」

「帰れー! 幻界に帰れー!」


 実技場に帰れコールの嵐が巻き起こった。

 コートにゴミやらビンやらカバンやらシャツやら、あらゆるものが投げ込まれる。

 ユディは飛んできた紙くずからオセロをかばった。


「ちょっ……オセロ。大丈夫?」

「大丈夫に見えてるならおまえの目も節穴」

「嘘でしょ。血が、血が」


 オセロがぐったりともたれかかってくる。

 ユディはここに来てようやく事態を飲みこみ青ざめた。

 回復士がかけつけてきて、オセロに治癒魔法をかけた。傷はみるみるうちに塞がる。


「保健室行こう。そこまで動ける? 無理?」

「無理。絶対無理。失血のせいで立ちくらみする」

「そんなに?」


 ユディはオセロを胸に抱きかかえて右往左往した。

 対面にいた天使とルジェが近づいてくる。

 二人はうさんくさそうに暴竜を見下ろした。


「……もう一度、僕も治癒魔法かけようか?」

「天使様、お願いしていいですか?」

「あ? 寄るな触るな話しかけんな。試合終わっただろ。さっさとどっか行け。失せろ」


 オセロはユディにもたれかかったまま、しっしっと手で追い払うしぐさをする。

 ルジェがこめかみに青筋を浮かべた。


「おまえ、ワザとだろ。どこまでも性根が腐ってるな。最低だ」


「そういう罵倒は聞き飽きてる。

 独創性のかけらもなくてゼロ点ー。

 センスなさすぎー、もっと語彙力を増やしましょうー」


 相手を舐め腐っている態度に、ルジェの血管が切れた。

 もう一発食らわせてやろうかと構えたところで、天使が止める。


「ルジェ、いうだけムダだよ。

 この竜はかの有名な暴竜オセロだから。

 ムキになればなるほど遊ばれるだけだよ」


 ルジェの動きがぴたりと止まる。


「あの気まぐれで凶暴凶悪と悪名高い?

 契約しないことでも有名じゃなかったか?

 なんでこんなところに」


「内緒にしてね。皆に知られると大混乱だから。

 先生にも口止めされてるの」


 ユディは口元に人差し指を立てた。


「手加減してもらえて良かったね。

 オセロが穏便に済ませてくれるなんて滅多にないことだよ。

 ユディのおかげだね」


 驚きに声もないルジェの隣で、天使は微苦笑した。

 オセロが欲望のままに騒ぎ出す。


「ユディ。喉渇いた。腹減った。眠い。部屋帰りたい」

「分かった。分かったけど。まずどれか一つに絞って。多すぎるよ」


 すると、まずは居場所が変わった。

 オセロの転移魔法で自室のベッドの上に帰還する。

 ユディはそでをまくった。


「まず飲みものだね。お茶がいい? ジュース?」

「酒」

「ケガ人が飲むものじゃないよね」


 ユディはキッチンの食品棚を漁り、ブドウジュースを運んだ。

 発酵前のワインを、オセロは不満は言わずに飲んだ。


「何食べたい?」

「ステーキ。レアで。十枚」

「そんなに食べたら却って具合悪くならない?」


 ユディは厚切りのステーキを一枚ずつ焼いたが、オセロは難なく十枚さらえた。


「デザートに何か食べる?」

「おまえ」

「私は食用じゃないよ」


 ユディはオレンジをむいた。

 これも旺盛によく食べる。


「……オセロ、本当に具合悪い?」

「悪い。超悪い。史上最悪。なんか身体冷えるし」

「失血のせいかな? 毛布か何か借りてくるね」

「生きた湯たんぽがあるからいい」


 ベッドに引きずり込まれた。

 オセロの体温はあまり普段と変わらない気がしたが、本人でないので寒いといわれれば信じるしかない。

 ユディは頭をなでた。


「オセロ、どうして負けてくれたの?」

「だって天使殺したら、おまえ俺と口きかないんだろ」


 ユディは面食らった。

 まさかあんな脅しが有効だったとは思わなかった。


「小僧に関しては、あの枷をはめなかったことに免じて」


 ユディは良心の呵責にかられた。


「やっぱり変だって気付いてたんだね」


「そりゃな。あんな枷、おまえが調達できるわけない。

 持ってきたの、こいつらだろ」


 オセロが指を鳴らすと、中央の部屋にある窓の景色が変わった。

 ルージュたち三人の姿が映し出される。


「そう。この人たち。召喚士協会の」

「召喚士協会、ねえ」


 ユディは自分のしようとしたことを後悔し、告白した。


「最初は本当にはめる気だった。ごめん」


「どーせ複数人契約に変更して、おまえだけこっそり抜けるつもりだったんだろ。

 何度も言うけど、俺はおまえ以外と契約するつもりないからな?

 複数人契約とか認めないからな?」


 ユディは何もかもお見通しのオセロに降参した。

 暴君ぶりが止まらない契約獣にすがりつく。


「だったら、お願いだからたまに幻界に帰って。

 この先、授業でもっと魔力を使うようになるのに、魔力切れで昏倒してたら卒業できないよ。

 魔力回復アイテム使う手もあるけど、毎日それは不健康な感じがするし。お金かかるし。

 お願いしますお願いしますお願いします」


「じゃあ週休一日な」

「三日!」

「一日半」

「二日!」


 途中でオセロの寝息が聞こえてきた。交渉は後日に延長だ。


 契約者のいうことは聞かないし、数々トラブルを起こすし、何もかもケタ外れで、まるで擬人化されたハリケーンのようだが。


 ユディは自分に抱き着いて安穏と眠っているオセロを見て、勝手に枷をはめなくてよかったな、と思った。

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