5.お願いだから手加減してくださいお願いします

 学内は緊迫していた。

 学園にいた兵士たちは戦闘態勢に入り、生徒たちは避難を始めていた。

 職員の案内を受けて、中央塔に逃げ込んでいる。


「まどろっこしいね」


 出入口が混雑しているのを見ると、ナイトはルジェとユディを両脇に抱えた。

 外から塔のてっぺんに上がる。


 南塔や南東棟、南西塔の上で、兵たちがやってくる魔獣に対して備えているのが見えた。

 魔導士は魔法陣を展開し、兵士たちは魔導砲をかまえているが、不測の事態だ。

 数も装備も十分にそろっているとは言えなかった。


「これは僕らも出番だな。

 魔獣が町に下りるのが最悪のケースだ。

 ここで魔獣を引きつけて、援軍が来るまで持ちこたえないと」


 ルジェはカバンから紫色の錠剤を取り出し、飲み込んだ。

 魔力回復の薬だ。ナイトも同様に魔力を回復する。


 ユディもやっと杖を手に取った。

 落ち着いた今なら得意の召喚ができる。


「あの魔獣には何が効くの?

 中位のシルフを呼んで風の魔法を使ってもらう?

 それとも対アンデッド系の幻獣?」


「どっちでもいいが、ユディ。呼べるなら上位幻獣を召喚するんだ。

 規律違反だろうけど、そんなことをいっている場合じゃない。

 生半可なものでは対抗できないし、全力でやらないと死ぬ。

 僕も上級魔法を使っているしな」


 軍の指揮官が学園側に協力を要請していた。

 教師だけでなく、上級生たちも前線に向かう。

 半人前たちに協力を要請しなければならないほど事態は切迫していた。


「とにかく強い幻獣……」


 ユディは頭の中の幻獣辞典をめくった。

 さまざまな幻獣が頭を駆けめぐったが、これだと確信を抱いたのは一匹だけだ。


 杖を握り、召喚の魔法陣をイメージする。

 想像通りの魔法陣が屋上の床に現れた。

 今までは慎重を期して毎度、魔法陣を描いてきたが、もうその必要はないだろう。

 全身全霊を込めて詠唱する。


「開け、幻界の扉。

 我が心、我が願い、我が誓いを聞け。

 く来たれ、この呼び声に応じて。

 出でよ――シロ!」


 ぽんっと、魔法陣の上に白いトカゲに似た幻獣が現れる。

 真珠色のウロコに細く優美な体つき。

 魔獣に対抗するには小さく頼りない見た目だ。


 ルジェとナイトが肩透かしを食らったような顔をした。


「……ユディ、君、これ、何呼んだんだ?」

「昔、仲良くなった迷子の幻獣」

「種族は何? 見たことがないけれど」


 とまどう二人に構わず、ユディはシロの前にかがんだ。

 そっぽをむいている顔をのぞきこむ。


「ごめん。ずいぶん待たせて」


 ぎらぎら光る金の目がユディを見上げる。


「シロ? それともオセロ? どっちで呼べばいい?」


 幻獣の姿がたちまち変化した。

 角の生えた黒髪金目の少年――オセロのヒト型に。

 ルジェとナイトが飛び退った。


「遅い」


 オセロは高慢に腕組みをした。


「召喚士になったら呼ぶといったくせに。

 この俺を待たせるとはいい度胸だな? ああ?」


「シロは下位幻獣じゃなくて中位幻獣みたいだったから、最初には挑戦しづらくて……。

 そもそも召喚士になったら最初に呼ぶとも言って――なんでもないです。

 ごめんなさい。すべて私が悪かったです。お待たせして大変申し訳ございませんでした」


 怒り心頭のオセロを前にして、ユディはすべての弁明、いや、言い訳を飲みこんだ。


「あれだけ俺のことを欲しがってたんだから、最初に呼んで当たり前だろうが。

 こっちはな、召喚されたら正体バラして驚かせてやろうと思って待ち構えてたんだぞ。

 全部台無しじゃねーか!」


 怒るオセロに、ユディは平身低頭する。

 命の危機が迫っていることを忘れそうな緊張感のないやり取りだ。

 傍にいるルジェは呆れた。


「……だから自分が呼ばれるまで召喚を邪魔するって……どれだけ一番に呼ばれたかったんだよ」


 オセロは部外者を睨みつけた。

 暴竜の危険性をよく知っているナイトは、即座にルジェを連れてその場を離脱する。


「ルジェ、僕らは部外者だから! 他行こう他!」


 二人だけになると、オセロは腕組みを解いた。

 ユディに対して斜に構える。


「で。用は?

 シロの正体を確かめたかっただけか?

 それとも俺を使役したいから?」


「協力して欲しいからだけど……してくれるの?」


 まさかオセロの方からいってくれるとは思わず、ユディは聞き返した。


「だっておまえ、見たいんだろ?

 この俺が世のため人のために働いて、正義のヒーローとして活躍するところが」


 ユディは驚いた。

 小さい頃、ただの思いつきでいったことだ。

 自分でもいわれるまで忘れていたようなことだったので、オセロが覚えているとは思っていなかった。


「この暴竜といわれる俺様を正義のヒーローとして働かせようなんて。

 そんなぶっ飛んだ発想をするやつは今まで一人もいなかった。


 俺を呼びだすやつは皆、世界征服したいとか、自分のすばらしさを示したいとか、何もかもぶっ壊したいとか、そーゆーのばっかりだったからな。

 陳腐。退屈。ひねりがない。こっちはやり飽きてる。一人でやってろ。


 その点ユディ、おまえは合格だ。

 おもしろい。やってやるよ。完全無敵のヒーローになってやる」


 ユディに向かって、手が差し出される。


「来い。俺の活躍を最前列のかぶりつきで見せてやる」


 ユディは制服の召喚士のバッチに触れた。

 現界を表す赤の円と、幻界を表す青の円が∞字型に配置されているのは、その形が示す通り。

 二つの世界が力を合せれば、その力は無限であるとの想いを込めてだ。


 まだ半人前の召喚士は幻獣の手を取った。


「で、手始めに何すんだ? オーダーよこせ」


 最初の指示なんて決まっている。

 ユディは学園に迫っている魔獣たちを指した。


「あの魔獣たちを倒して」

「仰せの通りに、ご主人様」


 オセロは主人の手にキスを落として、竜の姿になった。

 ユディを背にのせ空に舞いがる。


 七体の巨人たちは今、味方の一致団結の努力で氷漬けにされていた。

 なんとか足止めに成功しているが、いつ破られるか分からない均衡だ。

 魔法を使う魔獣はじりじりと氷が溶け出し、口元がわずかに動き出している。


「さーあ。やるか」


 オセロはさっそく眼前に縦に魔法陣を展開した。

 ユディは不安から忠告する。


「オセロ、あの魔獣、普通と違ってなかなか死なないみたいで」


「分かってる分かってる。死人系だろ? 砕いてミンチにしてばらまかないといけねーヤツ」


 気軽に返して、オセロは魔獣たちの頭上にも大きな魔法陣を展開した。

 口が自由になった魔法使いの巨人は、すぐに防護結界を張る。


「へえ、生意気に。どんだけ耐えられるかな」


 オセロはさらに魔獣たちの足元にも魔法陣を展開した。

 一つだけでなく、多数。


「すごいね、オセロ。こんなにいっぱい」

「こんくらいフツーだろ」


 オセロは当たり前のように言っているが、味方からどよめきが起きているので、普通ではないだろう。

 味方の魔導士たちが何度も魔法陣の数を確認している。


「上の魔法陣もなんかすごい複雑だし……なんの魔法?」

「アレは俺様のオリジナル。防御魔法と攻撃魔法の合わせワザ。どんな魔法かは、見てのお楽しみ」


 味方の魔導士たちも天にある魔法陣に注目していた。

 ユディは魔法についての知識が少ないので、魔法陣を見ても「なんか複雑」という以上の感想が出てこないが、魔導士たちは違うようだった。

 魔法を読み解こうとするように、その技を少しでも盗み取ろうとするように、ユディよりも熱心に、食い入るように見詰めている。


「ユディ!」


 呼んだのは、小塔の上のルジェたちだった。

 オセロの展開した魔法陣を指差し、両手を上下させている。

 二人は不安そうな表情だ。


(これでも足りないってこと? もっと魔法がいるってことかな)


 ルジェたちは魔法にも魔獣にも詳しい。

 ユディは素直に指示に従った。


「オセロ、まだ魔法って使える?

 もっとあった方がいいみたいなんだけど。辛い?」


「全然ヨユーだけど? 了解、もう一つ追加な。増幅の魔法にしとくか」


 オセロは眼前に魔法陣に、もう一つ魔法陣を重ねた。


「ユディ!」


 二度目の呼びかけは、悲鳴に似ていた。

 ルジェはまたさっきと同じ身振りをしていたが、ナイトは違った。

 首を左右に大きく振って、腕で大きくバツ印を作っている。


(これじゃダメってこと? なんで?)


 二人の懸命なジェスチャーの意味を、ユディはよく考えた。


 ルジェの手を上下するしぐさを観察して気づく。

 手のひらが上でなく下を向いていることに。


 人はもっと増やして欲しい時は、手のひらを上に向けるだろう。

 ならば反対にもっと減らして欲しい時は――下を向けるだろう。


(もっと魔法を増やして、じゃなくて、魔法を減らして、だったの!?)


 勘違いに気づいたユディは、急いでこれまでと正反対のことを願った。


「オセロ。やっぱりさっき魔法は取り消して!」


「遠慮すんなよ。元々おまえが召喚士になって俺を召喚したら、祝砲代わりに魔法ぶっ放して、山一つ消すか湾作ってやろうと思ってからさ」


「何その物騒な計画!?」


「一生の思い出になるだろ?」

「一生のトラウマだよ! しなくていいから! 絶対しなくていいから!」


 オセロの態度は新婚三日目の新妻なみに慎ましく献身に満ちていたが、言っていることは筋金入りの破壊神だった。


 それぞれの魔法陣がまばゆい光を放ち始める。

 膨大な量の魔力が動いているのを感じて、ユディは首の後ろがざわついた。

 味方からも悲鳴が上がったので、必死で訴える。


「お願いだから手抜きしてくださいお願いします―――――ッ!」


 果たしてオセロが手抜きしたのかどうかは定かでないが。


 まずはオセロの咆哮で、眼前の魔法陣から衝撃波が放たれた。

 衝撃波は魔獣たちの防護結界を壊し、魔獣たちを覆っていた氷をも砕いた。


 次に天にある魔法陣が発動し、魔獣たちの周りに防護結界を築いた。

 魔獣たちが出ようとしても出られない。防護結界という名の檻だ。


 天の魔法陣は結界だけで終わらず、光弾を放ち始めた。

 魔獣たちに光の弾雨が降り注ぐが、その弾も降るだけで終わらない。

 結界内を縦横無尽に跳弾する。

 巨人の身体はまたたくまに穴だらけになった。

 防護結界の檻が開いた時、魔獣の身体は粉々、挽き肉状態だ。


 魔獣はしぶとく、それでも再び寄り集まろうとしたが、再生は許されなかった。

 最後に地面にあったいくつもの魔法陣が発動した。

 多数の旋風が容赦なく空に瘴気を巻き上げ、散らし、彼方に吹き飛ばした。


 巨人の姿は青い夏空に跡形もなく消え、学園からは遮るものなく麓の平穏な街並みが見晴らせるようになる。


 わずか数十秒間の出来事だった。

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