2章 誰も敵わないのですが

1.VS.結界

 まぶたを開けると、見慣れない豪華な天井が目に入った。


(うう……現実だ)


 毛布代わりのコートをどけて、ユディはソファから身を起こす。

 契約後、オセロがベッドを占拠したのでユディはここで寝たのだ。


 寝心地は悪くなかった。

 ソファの座面は元のベッドより柔らかかったし、魔法で室温が一定に保たれているのでコート一枚でも快適に眠れた。

 人並未満ではあるがウサギ小屋以上の待遇になっているといえた。


 織模様の緻密な絨毯に足を下ろす。


 ソファの背後の窓からは、学園の外側に広がる山林が見下ろせた。

 昨晩は満点の星空が見えていたような気がするので、景色は主人の機嫌で変わるのだろう。

 現界ではお金持ち向けの仕掛けだが、暴竜オセロにとってこのくらいの仕掛けは当然のものらしい。


(いないや)


 ユディが寝台をのぞきこんでみると、もぬけの殻だった。

 一応、バスルームやキッチンや衣裳部屋を調べてみるが姿はない。


 どこで何をしているか不安になった。


「我が呼びかけに応えよ」


 ユディはオセロの姿を思い浮かべて杖を振った。

 契約した幻獣を自分の元へ呼びよせる魔法だ。

 何も起きなかった。


 念のためもう一度試してみるが結果は同じ。オセロは現れない。

 帰還の呪文と同様、呼応の呪文もオセロには無効らしい。


(こんなことってあるの……!?)


 ユディは絨毯の上にひざから崩れ落ちた。

 親兄弟が扱う幻獣に反抗的なものがいなかったせいもあり、ユディには信じられない現実だった。

 たいていの幻獣は幻界に帰されるのを嫌がるので、召喚者に従順なのである。


(そもそも帰還の呪文とか呼応の呪文って、強制力のある呪文なのに)


 ユディは召喚術の教本をめくった。

 幻獣との間に力の差がありすぎる場合、これらの術が効かないことがある、と書かれていた。


 たぶんその通りなのだろう。

 数多の召喚士を泣かせてきた暴竜オセロとひよっこ召喚士では象とアリ、クジラと小エビ。勝負にならない。


「彼の者の居場所を知らせよ」


 居場所を突き止めるため、次にユディは探索の呪文を使ってみたが、こちらも不発に終わった。

 魔法に使った手鏡には何も映らない。

 時空間の歪んだ場所にいるせいか、オセロ自身が妨害しているせいなのか、どれかは分からないが。


(そういえば、オセロを召喚するときは追跡役の魔法使いを用意するんだっけ)


 いつだったか『月刊・召喚ライフ』に載っていた記事を思い出す。


 オセロは召喚には応じるが、契約には応じない。

 現界に現れれば、召喚者の用意していた結界や枷を破壊して逃亡するのが常だ。

 そのため事前に追跡魔法が得意な術者を用意し、行方を追うのが常套手段になっているのだ。


 だが、事前に準備していてすら見失うことがあると書かれていた。

 未熟なユディでは姿を補足すらできなくて当然といえた。


 棚を漁って、雑誌のバックナンバーからオセロの特集記事を探し出す。

 竜という種でなくオセロという一個体で特集を組まれているあたり、オセロの特異性がよく表れている。

 記事には華麗な逃亡歴と、物騒な犯罪歴が羅列されていた。


(開暦312年。オセロと思しき黒竜が初めて召喚される。

 捕らえて契約しようとするも、召喚士と魔導士合わせて十名を振り切って逃亡。

 ダイデンの窪地はこの時にできたという説がある)


(開暦506年。伝説の召喚士ギャモンがオセロの召喚を試みるが、十度とも現れず。

 同時期、別の召喚士が行った個体を指定しない竜の召喚に現れ、ギャモンの屋敷を破壊して逃亡。

 ギャモンが契約獣数匹と共に追うが、契約にも追跡にも失敗する)


(開暦1123年。クシュウ帝国はナギリ王国との戦いにおいて、圧倒的優位性を見せつけるためにオセロを召喚。

 三重の結界を用意していたが破られる。

 オセロに戦場で暴れられたことが原因で、クシュウ帝国は敗走)


 抜粋しただけでもなかなかな内容で、ユディは途中で雑誌を閉じた。

 つくづく自分の手に余るものを召喚してしまったのだと自覚する。


 小さい頃はオセロの強さに憧れたものだが、年齢と共に分別が身についてくると見方は変わった。

 オセロはおよそ使役に向かない幻獣だ。


 だというのに、契約までしてしまった。

 というか、させられてしまった。

 早く契約を解除しないと周りにも迷惑がかかってしまう。


(カラハ先生に相談しよう)


 今日は召喚の実習がないので、先生に確実に会うなら朝しかない。

 ユディは手早く制服に着替え、廊下に出た。


 まだ朝早い。寮生たちは寝静まっていて静かだ。

 ただ一人、魔剣士の生徒がランニングに行くのに出くわし、あわてて後ろ手に扉を閉める。

 変わり果てた室内を見られると困る。


 ユディは塔に入って、中央塔への連絡通路を渡った。

 教師の多くは学園で寝泊まりしており、私室は中央塔にあるのだ。


 様子をうかがうと、カラハ先生の私室からはかすかに物音がした。

 ノックをすればすぐに応答があり、いつもの深緑色のワンピースを着たカラハ先生が出てきた。

 コーヒーの香ばしい匂いがふわりと漂ってくる。


「おはようございます、ミス=ハートマン。

 あの竜はおとなしく学内にいるようですね。

 外を散歩しているのを見かけましたよ」


 すぐにおおよその要件を察したようで、カラハ先生は開口一番にユディの関心事についてしゃべった。


「どこに!?」

「棟の上です」


 中に招き入れられると、ユディは窓に貼りついた。


 黒髪の少年が東南棟の上をぶらぶらと歩いている。

 落ちたら大ケガがまぬがれない高所であることを少しも気にしていない。

 遠くの景色をながめたり、だんだんと明るくなっていく空を見上げて、景色を楽しんでいた。


「竜は高いところと朝日を浴びることが大好きですからね。

 あの竜も例外ではないのでしょう」


 とりあえず破壊活動に勤しんでいないことを確認して、ユディは安心した。

 勧められるまま、窓際のテーブルに小卓に着く。

 カラハ先生はユディのためにもコーヒーを淹れてくれた。


「良かったです。朝、目が覚めたらいなかったので、どこにいったかと」

「昨晩はあなたのところに居たのですか?」


「さんざん学内を探し回って帰ったら、部屋に居て。びっくりしました」

「幻獣向けに結界を強めたので、出られなくなったのでしょう。間に合ってよかった」


 カラハ先生は表情をやわらげたが、ユディは気が抜けなかった。


「先生、あの竜――」

「そんなに心配しなくて大丈夫ですよ、ミス=ハートマン」


 竜を恐れているユディに、カラハ先生は気楽にいった。


「あなたは自分の失敗をとても気に病んでいるようですが。

 召喚士が自分の力量に見合わない幻獣を召喚してしまうことは、往々にあることです。


 学園では過去に、初級召喚士が上位幻獣のグリフォンやケルベロスを呼んでしまった例がありました。

 ですが、どの場合も大した被害にはなっていません。

 学園側も不測の事態に備えて守りを固めてあります。


 この学園の結界がどのくらい丈夫かは習いましたか?」


「いざというときは市民の避難所になり、砦にもなると聞きました」


「その通り。

 中級魔導士が十人がかりでも、この結界を力尽くで破ることは不可能です。

 最新式の火炎魔砲弾にも理論上、三発までは耐えます。


 火炎魔砲弾は炎竜の全力の攻撃魔法と同等といわれています。

 火炎魔砲弾が連射できないように、フルパワーを三度も続けて打てる竜もいません。

 たとえ竜が結界の破壊を試みても途中で力尽きる。


 もし結界を壊しにかかってきたらそれこそ好都合、楽に幻界に送り返せます。

 何も心配ありませんよ」


 カラハ先生はコーヒーを片手に、小塔の周りを歩き回っている竜を悠然とながめる。

 説明は理路整然としていて、態度は冷静沈着だ。

 ユディの不安がやわらいだ。


「それより、ミス=ハートマン。あの竜に心当たりは?」

「心当たり?」


「竜は気位の高い幻獣です。自分を使う召喚相手にもそれなりの格を求めます。


 あなたもご両親やご兄弟のように、ゆくゆくは一流の召喚士になることでしょうが、今はまだ修行の身。

 普通であれば竜は召喚に応えないはずです。


 考えられるケースは、あなたがあの竜となにかしら縁がある場合。

 どこかで会ったことは?」


 ユディは激しく左右に首を振った。


「全然ありません。初対面です」


「わたくしとしては、あの竜がずっとヒト型を取っているのが気になって。


 あなたも知っていると思いますが、幻獣が相手に合わせて姿を変えるのは友好の証です。

 最初からヒトの姿を、しかもあなたの年に合わせた姿を取っているというのは珍しい。

 それが竜となれば、なおさら。


 気位の高い竜はありのままの姿を好みますし、普通は姿を変えるとしても、居場所に応じてサイズを変える程度ですからね。


 過去にどなたかご親戚が召喚して出会っている、ということもありませんか?」


「先生、幻獣がヒトの姿を取るのは油断させるため、ということもありますよね」


 ユディはひざに置いた手を握った。


「実は私、あの竜と契約したんです」

「なんて無謀な!」


「分かっています。でも、契約しないなら幻界で悪評を広めるって脅されて……。

 召喚するときに私、何でもするって約束をしてしまったんです。

 なので、契約しないなら約束を守らない召喚士だって言いふらすっていわれました」


 カラハ先生は手で額を抑えた。


「竜はあなたと契約して何をしたいのです?」


「具体的なことはありません。

 しばらく現界を楽しみたいというのが契約の理由でした。

 他を紹介するといったんですけど、聞いてもらえなくて。

 契約しないなら――食い殺すって」


「そういう理由なら、未熟な召喚士の方が都合がいいですからね。

 あの竜は最初からあなたを利用するつもりで召喚に応じたというわけですか。

 初めての召喚でとんでもない性悪な幻獣に当たりましたね。気の毒に」


 カラハ先生はお茶請けのクッキーをユディの方へ押しやった。薄い唇を引き結ぶ。


「そんな危険な幻獣だったとは。

 即刻、幻界へ送り返さなければなりませんね」


「帰還の魔法も効かなかったのに、どうやって?」


「倒すのですよ。

 幻獣は現界で死ぬと、幻界に強制送還されるでしょう?

 倒せば契約も自動的に破棄されます」


 カラハ先生は席を立ち、杖を手に取った。

 竜の姿は窓から見えなくなっていた。

 二人が話し込んでいる間にどこかへ移動してしまったらしい。


「あの竜の名前は? 召喚士協会にも危険な個体として報告しておかないと」

「それが大変で! オ――」


 ズン、と学園全体が揺れた。

 地震ではない。大きな力の出どころは下でなく、もっと上の方だ。

 結界の要所を担う小塔がスパークする。


「何!?」


 カラハ先生が窓を開くと、他でもバタンバタンと窓を開く音がした。

 他の教師たちも起き出したのだ。中央塔がざわめきだす。


「うちの結界が攻撃されてる!?」

「どこのどいつだ、こんなバカやるのは!」


 ユディは青ざめた。

 たぶんきっとオセロだと。

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