5.契約させられました

 学舎を隅から隅まで、くたくたになるまで歩き回ってみたが徒労に終わった。

 竜の姿は見つからない。

 夕食が済むと、ユディはぐったりしながら寮へ帰った。


(ともかく、他に迷惑をかけるようなことがありませんように)


 手すりにすがって階段を上り、廊下の端のドアを開ける。

 実用性第一の狭くて簡素な空間があるはずだったが、予想は大幅に裏切られた。


 目を疑う光景が広がっていた。

 ロイヤルレッドをベースに調えられた豪奢な部屋がある。

 天井からはクリスタルのシャンデリアがぶら下がり、床には分厚い絨毯じゅうたん

 壁は深い赤に彩られ、随所に金の壁面装飾モールディングが光っている。

 カーテンは光の加減で模様が浮き上がるような凝った布地だ。


 正面、入ってすぐに猫足のローテーブルとソファ。

 黒髪の少年が緋色の座面にうつぶせていた。

 あの竜だ。

 パリパリとポテトチップスを頬張りながら本を読んでいる。

 ユディに気づいて顔を上げた。


「遅かったな」


 ユディは静かにドアを閉めた。


 左右を確認する。

 一応背後の窓もふり返って、ここが寮であることを再確認する。

 隣室のネームプレートは記憶にある通りだし、目の前のドアにもちゃんと自分の名前がある。


 もう一度ドアを開けることを躊躇ちゅうちょしていると、ミゼルカたちのやってくる気配がした。

 顔を合わせたくないので、思い切って眼前のドアを押す。


 先ほどと同じだ。絢爛な部屋がある。

 竜は、今度は仰向けになってた。

 読んでいる本の表紙が見える。娯楽雑誌だ。とてもくつろいでいた。


「私の部屋は?」


「部屋? あのウサギ小屋以下ブタ箱未満の空間のことか?

 俺の住まいにふさわしくないから改装した」


 改装というより改造といった方が正しい。

 どう見ても元の部屋より空間が拡張されている。

 魔法で時空間をいじっているに違いない。


「私の持ち物は?」

「そのへんに固めた」


 広い部屋は飾り柱とアーチ壁でゆるく三つに区切られており、竜がぞんざいに指したのは入って右側の空間だ。


 ここは赤でなく、ユディの髪色に似たピンク色がベースになっていた。

 天板がざらつく机とガタガタ揺れるイスはなくなり、周囲との調和を乱さない上品な机とイスがおかれている。棚もあった。

 調べてみれば、ユディの教科書や筆記具は棚や引き出しにきちんと納まっていた。


 制服や私服はというと、隣り合った小部屋にあった。

 小部屋には姿見やドレッサーもある。衣装部屋だ。

 年頃のユディは心が弾んだ。実家でもなかった待遇だ。


(ベッドは――)


 探すまでもない。寝る場所はこことは反対側、入って左側の空間にあった。

 こちらも今までの貧相なベッドではなくなり、天蓋付きの大きなベッドだ。

 マットレスはふかふかとしていて、座ると身体はほどよく沈む。

 小さな隣室にはバスルームが完備されていた。


「すごい!」


 ユディは声に出して感動した。

 感動したが、そうじゃない、と気づいた。


「元に戻して!」


 ソファに寝そべる竜にひざまずく。


「これ、魔法で時空間いじったんでしょ? 勝手にこんなことしたら怒られるから。戻して」

「俺に頼まなくても、自分で魔法を解けばいいだろ」


 竜はニヤッと口角を上げる。

 できたらとっくにやっている。

 できないことを分かって言っているのだから意地が悪い。


「後、私の幻獣のフィギュアとかぬいぐるみとかポスターは?」

「目障りだから撤去した」


 時空の彼方に、と言われてユディは絶望した。

 返ってくる見込みはゼロだ。

 憤然と抗議する。


「お願いだから幻界へ帰って」

「助けてくれたら何でもするといったよな?」


 言った。確かに言った。言ってしまった。

 うかつな一言を盛大に後悔する。


「のど渇いた」


 飲み物持ってこい、と暗に命じているセリフだった。

 空になったグラスを受け取り、ユディはあたりを見回す。

 室内に飲み物やグラスの置いてあるような戸棚はない。

 ただ、ソファの対面にひっそりと、出入り口とは別にもう一つ扉があった。


 開けてみればキッチンだ。

 白磁の食器や銀製のティーセットが納められた大きな食器棚があった。

 設備は最新式で、タイル張りの流しには蛇口があり、鉄製のかまどは薪や炭の不要な魔道具式だ。

 大理石の調理台の下には、切れ味のよさそうな包丁やぴかぴかの調理器具があった。


「食べる物も」


 竜からの指示に応えるのは簡単だ。

 キッチンには食品庫パントリーも併設されており、棚にはパンやチーズ、ハム、野菜、ジャムなどがぎっちり詰まっていた。

 贅沢なことに、これまた魔道具式の保存庫――冷蔵庫まであり、新鮮なミルクや生肉まで置いてある。


 出所はいったいどこなのか。

 気になるが、後ろめたい事実に行き当たると嫌なので、ユディは考えるのを止めた。

 ハムとチーズと野菜をふんだんに挟んだ分厚いサンドイッチを作り、よい香りのする茶葉でたっぷりお茶を淹れる。


 何でもするといってしまったのだ。

 このくらいの雑用で勘弁してもらえるなら安いものだ。

 ただ竜の食欲はすさまじく、ユディは何度もキッチンを往復させられたが。


「腹いっぱい」


 ローテーブルが空き皿でいっぱいになった頃、やっと竜が満足した。

 ユディはほっとしたが、次なる命令が待っていた。


「座れ」


 ソファの端を指される。

 言われた通りに座ると、さも当然のように竜の頭がひざに乗せられた。


 竜はまた雑誌を読みはじめる。

 間近で見ると、それはユディの愛読書で定期購読している『月刊・召喚ライフ』だった。

 最新号。しかもユディは未読。今晩、ベッドで読むのを楽しみにしていた一冊だ。


 表紙の角が生えたウサギ、ジャッカロープのキメ顔が凛々しくもカワイイ。

 特集、竜の生態と付き合い方。ものすごく知りたい。

 お便りコーナー、幻獣なんでもお悩み相談室。今すぐ相談したい。


 ユディは身動きない状態で悶々とした時間を過ごした。

 ある意味とても辛い拷問な時間だった。


「……満足した?」


 竜がうとうとし始めた頃を見計らって、ユディは尋ねてみた。

 とろけていた金の眼がたちまち鋭くなる。


「肝心なことを忘れていた。俺と契約しろ」


 昨夜のセリフは聞きまちがいではなかったらしい。

 ユディは首を横に振り、両の手のひらを見せて拒絶する。


「無理だよ、竜は。レベルが違い過ぎるから」

「違っても契約はできるよな?」


「できるけど、召喚士は自分の手に余る幻獣と契約しちゃいけないから」

「俺はしばらく現界を楽しみたいんだ」


 幻獣は現界が好きだ。

 幻界は精神だけの世界で、別名を霊界という。

 幻獣たちは五感の鮮烈な現界が楽しいので召喚に応じるのだ。


「しばらくって、どのくらい?」

「なに、たったの百年だ」


 寿命のない幻獣にとっては大したことがなくとも、人間にとっては一生だ。

 ユディは目まいがした。


「いいか、このまま俺を幻界に帰らせてみろ。

 おまえの悪評を広めてやるからな。約束を守らない召喚士だと」


「そんな!」

「召喚士には致命的なことだよな?」


 竜は身を起こして迫ってくる。

 三日月形に歪んだ口から鋭い八重歯がのぞいている。

 金の瞳は獲物を前にしたヘビそのもので、さてどう虐めてやろうという愉悦が浮かんでいた。


 暴竜オセロは噂にたがわず性悪だ。


「オセロと契約したい人ならいっぱいいるよね?

 だれか連れてくるから――いっ!」


 がぶりと首元に噛みつかれてユディは震えあがった。

 オセロは真っ赤な舌で唇についた血をなめとる。


「契約しないというならおまえを喰ってやるぞ」


 ユディは悟った。

 断るという選択肢があると思った自分が愚かだった。

 今、ソファの上で逃げ場なく追い詰められているように、オセロを召喚したその瞬間から逃げ道なんてなかったのだ。


 ぺろりと首筋をなめられて、背筋に恐怖が走る。

 舌が優しくいたわるように噛み傷をなぞるが、まったく心休まらない。

 猫に毛をなめられているネズミの気分だった。


「我が声に応えし盟友オセロよ」


 ユディは観念した。契約の呪文を唱える。


「誓いを守り、我が心と願いを共にせよ」


 オセロと目が合った。

 その言葉を待っていたと獰猛な目が言っていた。


「死が二人を分かつまで」


 ユディは恐々、震えながら誓いのキスを交わす。


 ユディにとって幻獣との契約は同意と信頼に基づく温かいものだが。

 初めての契約は、夢見ていたものとはだいぶ違った。

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