3.こんなに物騒なものは呼んでない
夜、寮が消灯されると、ユディはミゼルカに指定された通り北塔に入った。
一階部分の出入口は施錠されてしまうが、二階以上は棟伝いに入れるので苦労はない。
この学舎は都の端の低山にあり、北塔の狭い窓の向こうには山林が広がっている。
南西方面は開発されて運動場や薬草畑になっているが、北東方面はそのままで、学園の実習や部活動などに利用されていた。
ユディ自身も入学時に新入生レクリエーションでハイキングしたなじみある山だ。
しかし、安全そうでも山は山。夜になると不気味だ。
山は黒一色に塗りつぶされ、皆死んでしまったように物音一つしない。
闇と静寂が山を支配している。
「裏山はね、時々、自然に幻界の扉が開くらしいよ」
ユディはびくっと背を震わせた。
背後にミゼルカとその友人三人が立っていた。
「今も開いているみたいでね、あたしの彼氏が実習で裏山に行った時、見たっていってたの。
誰のものでもない、はぐれものの幻獣を。
あなた今からそれを捕まえて契約しなさいよ。
このままじゃ召喚士を諦めないといけないんでしょ?」
後期の授業は契約獣がいることが前提だ。
それもあってユディは進路変更を勧められているのだ。
「だけど、ズルはよくないし……」
「ズルじゃないでしょ、べつに。
現界に迷いこんできた幻獣と契約することは規律違反じゃないわ」
「契約獣ができても、召喚できないことは変わらないから意味ないし……」
「一匹契約に成功すれば、召喚できるようになるかもしれないわよ?」
ユディはそうは思わないが、ミゼルカにとってその辺りの論理はどうでもいいことだ。
もてあそぶのに格好の相手を窓際に追い詰めて、迫る。
「あたしたちも手伝ってあげるから。行きましょ」
ミゼルカは窓からロープを垂らした。
学園の門は、夜になれば鍵をかけて閉門されるので通れない。
そもそも夜間は外出禁止だ。
早くと急き立てられても、ユディはぐずぐずと嫌がった。
「そのはぐれものの幻獣って、どんな幻獣だったの?」
「さあ、よく見たわけじゃないけど、白っぽかったっていってたかな?
素早くてすぐに茂みに隠れちゃったんだって。
あ、尻尾がみえたとかいってたような。ヘビとか? トカゲとか? そんな感じ?」
ミゼルカの証言はあやふやで頼りないものだったが、ユディの引け腰な態度が一変した。
白くてトカゲのような幻獣という単語に、懐かしい幻獣の姿が思い浮かんだからだ。
子供の頃に拾った迷子幻獣のシロ。
召喚士になったら最初に呼ぶつもりでいたのだが、中位幻獣かもしれないので、一番は諦めたのだ。
その後は失敗続きなので「訳の分からない幻獣はやめておきなさい」と教師からストップをかけられ、結局、呼べずじまいでいる。
もし会えるのなら、ぜひ会いたい相手だ。
「ほら、早く」
ミゼルカの友人三人はすでに下り、地上でユディの方を睨んでいる。
ここで逃げたら明日どんな目に遭わされるか分からない。
旧友との再会を期待したのもあって、ユディはロープをつかんだ。
塔の壁を足掛かりに地面に下りる。
「ぼさっとしてないで、早く明かりつけてよ」
ミゼルカに命じられて、ユディは魔法で光球を生み出した。
「じゃ、行きましょ。早く下って下って」
ユディは集団の先頭に立たされ、山の中へと追い立てられた。
光球があっても、五歩も離れればあるのは暗闇だ。
今日は雲が多く、月の光が地上に届かないせいでよけいに暗い。
イノシシや野犬といった野生生物に出くわすのも怖いが、何より怖いのは一人で置いて行かれることだ。
山には整備された道があるが、ミゼルカは獣道と見まがう脇道を進ませてくるので、置き去りにされたら帰れる自信はない。
たぶんミゼルカたちの目的はそれだろうと予想できるだけに、いつ置いて行かれるかとどんどん不安が増してくる。
「知ってる?
五十年くらい前にね、この山に反乱軍が立てこもったことがあったんだって。
結局、反乱は失敗して、反乱軍は追い詰められて洞窟で自決したんだけど。
すぐに土砂崩れが起きて入り口が埋まってしまったから、死体はそのまま。
掘り起こしてくれって、たまにその幽霊が出てきて訴えてくるらしいよお」
ミゼルカがくすくす笑いながら、友人たちに怪談話を披露する。
嘘か本当か知らないが、夜の山中で聞かされれば効果は抜群だ。
ユディはささいな物音や変哲もない木の影にもおびえるハメになった。
「皆で固まってても仕方ないし。手分けして探さない?」
木々のない小さな空き地に出た頃、ミゼルカが言い出した。
すでに学園は木立に隠れて見えない。
「ハートマンさんはそっちね。
土砂で行き止まりになってるから、そこまで行ったら引き返しておいでよ。
ちなみにそこが、反乱軍が自決した洞窟のあったって言われてる場所だよ」
ミゼルカは青い顔のユディを笑い、友人二人と別の道へ入っていった。
残りの一人は空き地でユディを見張っている。
嫌な予感しかしないが、ユディは指定された道に入った。
「――きゃああああっ!」
三十歩ほど行ったところで、ユディは遠くに悲鳴を聞いた。
来た道を引き返してみると、空き地に人はいない。
少し登ったあたりでミゼルカたちの焦った声がしていた。
「魔獣! 嘘、なんでこんなところに!」
暗闇に赤い目が光っていた。
元はイノシシか。やたらに大きい。
だれかが作り出した光球が、太くとがった牙を照らし出している。
魔獣になると狂暴になり、姿形も攻撃的に変わるのだ。
「い、いって! やっつけて!」
一人が自分の契約獣――下位幻獣の妖精猫ケット・シーを立ち向かわせたが、大きさが違い過ぎた。猫が引っかいても噛みついても魔獣は物ともしない。
中位以上の幻獣でなければ相手にならないが、だれも契約していない。
また、新たに幻獣を呼び出せるほど余裕のある状況でもない。
「火の矢よ!」
ならばと、一人が自身で魔法を起した。
だが、魔獣は魔法に対する耐性も持っている。
初級魔導士程度の攻撃では効かず、火の矢はあっさり弾かれた。
魔獣が猛々しく咆える。
「皆、目をつぶって! 光よ!」
ユディは杖を振り、魔獣の至近距離に強い光球を発生させた。
魔獣の眼がくらむ。
「土よ!」
足元がへこみ、魔獣が地面に倒れる。
初級魔導士では魔獣を倒せはしないが、足止めくらいはできる。
この攻撃は思った以上にうまくいき、斜面に倒れたイノシシは転げ落ちて行った。
「今のうちに逃げよう!」
ユディはミゼルカたちを急かした。
あのくらいでは、魔獣にはかすり傷もないだろう。すぐに斜面を登って追ってくるはずだ。
道を駆け上がっていると、ユディは逃げるのに無我夢中な一人に体当たりされた。
バランスを崩し、ハデに転ぶ。
「もうやだあーっ!」
ミゼルカたちは転んだユディに振り向くことなく、一目散に逃げていった。
(痛っ……)
ユディは顔をしかめた。
歩こうとすると、右足首に痛みが走る。転んだ拍子に痛めたらしい。
走ることは無理だ。
重たい足音を響かせて迫ってくる魔獣から逃げ切ることも。
であれば、もう戦うしかない。
ユディは震える手で杖を握った。
「召喚……何か召喚するしかない……とにかくすごく強いのを」
召喚に必要とされる魔力は、幻獣のクラスに比例しない。
上位以上の幻獣になってくると、召喚に必要とする魔力はあまり変わらなくなる。
召喚士にとって一番大変なことは召喚ではなく、呼んだ幻獣を制御することだ。
「一瞬で決着をつけないと、手間取ったら死ぬ。上位以上を呼ばなくちゃ」
初級召喚士に許されるのは中位幻獣までだが、規則を守っていたら命が危うい。
魔獣は生きた動物が大好物なので、一番に狙って来るのは幻獣でなくユディだ。
枝を拾うと、ユディは大急ぎで地面に魔法陣を描いた。
道の先に魔獣の姿が見えた。
ガチガチ鳴る歯を噛み、目を閉じて詠唱に全集中する。
「開け、幻界の扉。我が心、我が願い、我が誓いを聞け。
ユディは脳内で、すっかり記憶してある幻獣辞典を端から端までめくった。
最初のスライムのページから最後の竜のページまで余すことなく。
恐怖と焦燥で思考が空回りして、肝心の相手が決められない。
「もう何でもいい! とにかく私を助けて! 何でもするから! お願い!」
無茶苦茶な詠唱だ。
幻界の扉が開いた証拠に魔法陣は淡く光っているが、反応はない。
やっぱりダメだよねと泣きそうになった時、腹の底に響くような重く低い声がした。
「――その言葉、忘れるなよ」
ぞわり、とユディは肌が粟立った。
魔法陣が鮮烈な光を放つ。
咆哮。
万物よ我に平伏せという強者の号令。
大地が震え、空気が震え、星が震える。
畏怖がユディの心臓を鷲掴む。
魔獣よりはるかに大きなものが魔法陣から現れた。
あまりの大きさに周囲の木々が折れた。
ユディは地面にへたり込んで、出現したものを仰ぎ見る。
「りゅう……?」
竜は長い首をのけぞらせて、天を仰いだ。
固いうろこに覆われた身体が膨らみ、フッと、魔獣に火炎の息が吹きつけられる。
周囲が赤々と照らし出され、魔獣は苦悶の叫びを上げながら息絶えた。
まるで竜の咆哮が雲を払ったように、夜空が晴れている。
満月の光が降り注ぎ、現れた幻獣の姿を浮かび上がらせた。
炎竜の一種、黒竜だ。
二本の角は太く鋭い。オスだろう。
体高は三階建ての家屋相当。引き締まった体は隆々として力強く、開かれた翼が雲に代わって辺りに大きな影を落としている。
刃物のようにギラギラ光る金の瞳が印象的だが、ユディが一番注目したのはウロコの黒色だ。
漆黒だ。
普通、黒竜は黒いといっても赤みがかっていたり紫がかっていたりするが、この竜のウロコの色には混じりけがない。闇を固めたような色をしている。
こんな竜は一頭しか知らない。
いつかどこかで読んだだけで、実物を目にしたこともないので、確信はなかったが。
嫌な汗が頬を伝った。
ユディが幻獣に名を聞きかねていると、向こうが名乗った。
「俺の名はオセロ。
小娘、おまえの召喚に応えてやったことを感謝するがいい」
「オセ――」
予想が大当たりしてユディは絶句した。
暴竜オセロ。
竜族最強と噂され、その強さは王獣とも神獣ともいわれる幻獣。
たとえ最高位の召喚士であろうと召喚を無視し、応じるのは気が向いた時だけ。
だが召喚士の望みを聞くことはなく、好き放題に暴れて去って行く。
無理に契約しようとすれば召喚士に危害を及ぼす。
最高に強く、最高に気位が高く、最高に悪名高い暴竜。
ユディの目に涙がこみ上げた。
こんな物騒なものは呼んでない。
鼻先を向けられた瞬間、噛みつかれる、と全身から血の気が引いた。
「契約してやる。俺の気が変わらないうちにさっさと誓え」
「は――?」
何を言われているのか分からない。
オセロは多くの人間に契約を望まれながら、だれとも契約したことがない。
難攻不落で絶対不可侵の存在ではなかったか。
(もう限界――)
魔力を使いすぎて体がだるい。
極度の緊張から解放されたユディは、襲ってきた虚脱感に身を任せ、そのまま卒倒した。
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