2.いじめっ子に目をつけられました
放課後、ユディは学生課に寄ってみた。
魔法学園の高等部では、生徒自身が進路に合わせて年間の授業計画を立てる。
中等部までは皆一様に一般教養と魔法の基礎を学ぶが、高等部は人それぞれ。
魔導士、回復士、召喚士、道具士など、なりたい職業に合わせて授業を選び、単位を修得するのだ。
ユディは召喚士を目指して授業計画を立てていたが、諦めるなら後期の受講計画は大幅に変更だ。
学生課にはその相談に来たのだった。
「魔導士に必要な単位はこれですね。
魔導士の必修単位は召喚士も必修になっている部分が多いので、半年でも進級に必要な単位は取れますよ。
そうだ、魔導士の初級資格はありますか?
中等部卒業の時に、大半の生徒が進路先の初級資格と一緒に取得しているので心配していませんでしたが」
「大丈夫です。ありがとうございました」
丁寧に教えてくれた職員にお礼をいって、ユディは学生課を後にした。
魔導士は自身で魔法を使って働く職業だ。
魔法使いに一番多い職業で、世間の需要も一番多い。
他への転職もしやすいのでカラハ先生のお勧めは妥当である。
(……今は無理でも、いつか何かのきっかけで、できるようになるかもしれないもんね)
ユディはしょんぼりしながら、召喚士向けの授業計画表の上に、先ほどもらった魔導士向けの授業計画表を重ねた。
(うう、でも、言われている通り、自分で魔法使うの得意じゃないんだよなあ。
召喚士になるからっておざなりにしてきたツケが回ってきてるよう)
嘆いていたら、人とぶつかった。
曲がり角の先に注意を払っていなかったせいで、やってきた相手とまともに衝突する。
「すいません!」
「こちらこそ。大丈夫?」
落とした計画表を拾ってくれた相手に、ユディは息を止めた。
淡い金の髪を背に流し、緑の眼にこの上ないほどの慈愛をたたえた青年。
教師ではない。幻獣だ。天使。
羽根と光輪は隠されているが、人間にはあり得ないほど整った中性的な容貌はそれだけで天使の証明だ。
でなくとも、この天使は学園の有名人なので、だれもが知っている。
一年生ながら『校内一の魔導士』と名を馳せている学生の守護幻獣なのだ。
入学式に現れて以来、守護対象の生徒と共に学園のアイドルである。
「ごめんね。ルジェを探していたものだから、注意力散漫になってしまっていて」
天使。クラス上位。白い羽の生えたヒト型幻獣。
戦闘力は低いが、対アンデッドには非常に有用。
治癒や防御、支援などの回復士系の魔法を得意とする。
治癒魔法の奥義ともいえる蘇生魔法も使えるが、召喚できるのは“魂が清らかな人”に限られるという――
意識するでもなくユディの脳内を天使の知識が駆け抜けた。
「……大丈夫?」
「あっ、は、はいっ、大丈夫です!」
ユディは我に返り、計画表を受取った。
天使が二枚の授業計画表を見て、首を傾げる。
「君は召喚士希望のユディ=ハートマンだよね?」
「そうですけど」
ユディは天使が自分を知っていたことに驚き、次のセリフに打ちのめされた。
「未だに召喚はできてない?」
「……はい」
学園のアイドルにまで自分の情けない風評が届いていると知って、ユディは気落ちした。
天使の気の毒そうな視線がいたたまれない。
「召喚できないから、魔導士の道を考えているの?」
「下位幻獣も何も召喚できないので。破滅的に才能がないみたいです」
ユディは消え入りたいほど恥ずかしかったが、天使は陽のように温かな目を向けてきた。
「そんなふうに自分を卑下してはいけないよ。
君は絶対に才能があるから諦めないで。
ともかくなんでも挑戦してごらん、クラスにこだわらず中位や上位でも。
いや、もっともっとその上でも。君ならできるよ」
慈愛に満ちた微笑に、ユディは涙が出そうになった。感極まって。
絶望の日にこの救いはまさに天の助けだった。
暗く深い谷底に光が差し込んだような心持ちだ。
噂では『天使様ファンクラブ』なるものがあるとかないとかいわれているが、あるなら即日入会したいと思った。
「ありがとうございます。もうちょっとがんばってみようっていう気になりました」
「よかった。ところで悪いのだけど、実技室? 実技場? 魔道士が訓練に使う場所ってどこにあるか分かる?」
「実技室も実技場ありますし、どっちも魔導士に使われるので迷いますけど――順にご案内しましょうか?」
「助かるよ。まだ校内を把握し切れていなくて。どこに何があるかも全然なんだ」
「簡単ですよ」
ユディはうきうきと天使を先導しながら、学内を簡単に説明した。
魔法学園の高等部は、初等部や中等部とは離れ、独立して一つの敷地にある。
学舎は大きな中央塔と、中央塔を六角形に囲む六つの小塔、小塔同士を繋ぐ六つの棟で構成されている。
名称は単純で方角だ。
小塔なら北塔、北東塔、南東塔。棟なら南西棟、西棟、北西棟、という具合だ。
食堂や集会場は中央塔にあり、棟と中央塔の間が校庭、教室と寮は棟にある。
東西南北で分けると、棟はおおよそ次のように使い分けられていた。
北側は実験室と工作室があって、回復士と道具士に。
西側は屋外運動場に近く、魔剣士と男子寮に。
南側は正門に近いので、在籍数の多い魔導士と学園事務局に。
残った東側は、召喚士と女子寮に。
ユディの説明を聞くと、天使はすぐに了解した。
「ルジェ、学内の案内図もくれないし、授業の予定もろくに教えてくれないんだよね。
中等部の頃から護衛を嫌がってはいたけれど、高等部になったら学園自体についてくるなっていって。
僕はルジェを守るのがお仕事なのに、仕事をさせてくれない」
守護幻獣はその名の通り、特定の対象を守るために呼ばれた幻獣だ。
契約者は守護対象でなく別の人間である。
この天使の守護対象であるルジェという生徒は、魔法使いの名家スペイド家の出だ。
魔力量が多いことで有名な家系で、単独で竜を討伐できるほど優秀な魔導士――ドラゴンスレイヤーを何人も輩出している。
世に多い魔導士を束ねる立場にあるので、権力もあり、同時に敵も多い。
そのためスペイド家は代々跡継ぎに守護幻獣をつけるのが慣習になっているのだ。
「必要な時は呼ぶっていうけれど、ルジェが必要をちゃんと判断できるか自体が僕は心配なのに」
「幻獣って過保護ですよね。守護幻獣でなくても」
天使のぼやきに、ユディは思わず苦笑した。
「私は幻獣が乳母代わりでしたけれど、本当にいつまで経っても子ども扱いで。
大事に思ってくれるのは嬉しいんですけど、ちょっとは信用して欲しいと思いました。
スペイドさんはすでに学内のみんなが認める立派な魔導士ですし。
言っていることを信じてあげてもいいんじゃないでしょうか?」
「そう? 僕としてはまだまだ青くて子供な部分が多いから、心配が尽きないんだけど。
君がそういうなら、僕も少しは信用しようかな」
守護対象が褒められたのが嬉しいらしく、天使はふわりと笑う。
風薫り、鳥歌い、蝶舞うような麗しの微笑。
方々から女子生徒の「天使様ーっ!」という黄色い悲鳴が上がった。
ユディもできることならこの微笑を魔法で永久保存しておきたいと思った。
「ここは中央塔の地下実技場で、魔導士の人が自習によく使うんですけど。
よかった、当たった。スペイドさん、いらっしゃいますね」
防護結界が貼られた大空間で、銀髪の少年――ルジェが魔法を行使していた。
いくつもの風の刃が木の柱を千々に切り裂く。
他の生徒が二つか三つにしか切れていないのを見れば、彼の実力の高さは明らかだ。
一度に一刃、しかも威力に難のあるユディから見れば神業である。
「ルジェ様ーっ!」とここでも黄色い悲鳴が上がった。
「ナイト。来るなと言っただろう」
天使に気づくと、銀髪の魔導士は冷めた表情の中に苛立ちをにじませた。
アイスブルーの眼がメガネ越しに天使を睨み、ユディのことも睨む。
案内してきやがって、という声なき声が聞こえた。
「ルジェ、人を睨むのはよくないよ。
ルジェはかわいいんだから笑った方がいいと思うよ」
「帰れ。学内は安全だし、おまえが一緒にいる方が目立つっていってるだろ」
のほほんという守護幻獣に、学園のエリートは冷たく反撃する。
かわいいというよりは格好いいでは、とユディは思うが、命知らずではないので二人の会話に割って入るようなことはしなかった。
それじゃあ、と天使に会釈してきびすを返す。
「親切に案内をありがとう、ユディ。助かったよ。
召喚がんばってね。
なんでも挑戦してみてね、本当に。
自分では無理だと思うようなものでも」
「ありがとうございます」
天使なんていいものを見られたなあ、とユディは幸せに浸ったが、長続きはしなかった。
実技場の観客席にミゼルカとその友人たちを見つけたのだ。
『天使様命』『ルジェ様命』『ファンクラブ会員募集中』の横断幕を掲げているのを見れば、なぜ敵視されているかは簡単に想像がついた。
ファンクラブ実在したんだ、と現実逃避する暇もない。
「ハートマンさん、ちょっと来て」
ミゼルカたちが手招きしてくる。
この召喚からは逃げられそうにない、とユディは悲愴に覚悟を決めた。
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