1章 最強竜がやってきた
1.このままでは落第です
それから十年後。
ユディ=ハートマンは危機的な状況に陥っていた。
「できない……」
召喚の魔法陣を前に、ユディはほとんど涙目だった。
片手には魔法使いの杖、片手には召喚術の教本。
足元にはびっしりとメモで埋め尽くされたノートがあるが、彼女のそばには一匹も幻獣がいない。
周りではクラスメイトたちが自分の契約獣と戯れているのに、だ。
「なんで召喚できないの……!?」
ユディは今日も魔法陣の前にへたりこむ。
四月に国立魔法学園の高等部に進学し、早四ヶ月。
小さい頃からの夢である召喚士になろうと日々勉学に励んでいるものの、入学以降、ユディは絶望を味わう毎日である。
とにかく召喚ができない。
幻獣を呼び出せなければ授業にならないというのに、一匹も呼び出せない。
初回で成功できるのは半数なので、ユディもそれほど気にしていなかったが、四ヶ月目になってもできないというのは異常だ。
たいていの生徒が一ヶ月以内にできるようになるし、教師に「あなたは他のコースの方が向いているかもしれませんね」と言われた生徒でも二ヶ月目には成功した。
召喚士の家系に生まれ、幻獣辞典は丸暗記済み、入学前にすでに召喚の手順も把握できているだけに、この状況は針のむしろのように辛い。
「今日は何の召喚を? ミス=ハートマン」
校庭の隅で一人召喚の練習に励むユディの元に、教師がやってきた。
召喚実習の担当教員、カラハ先生だ。
いつも丈の長い深緑色のワンピースを着ているので、生徒たちからは『緑の魔女』というあだ名をつけられている。
「ピクシーです」
「もう一度やってみて」
ユディは心を落ち着けて魔法陣の前に立ち、精神を統一した。
自分の心を知り、自分の願いを知り、それに見合った幻獣の姿を思い浮かべる。
それから呪文を唱えて幻界の扉を開き、幻獣に呼びかけるのだ。
しかし、やはり何の反応もない。
魔法陣は淡く光っているだけで、幻獣が出てくることはなかった。
「魔法陣は完璧。クラスの中で一番きれいに正確に書けています。
呪文の詠唱も問題ないでしょう。発声も発音も良いですし、他の魔法は使えているようですからね。
幻界の門も、開けてはいる。
つまづく所といったら、幻獣の姿を明確に思い浮かべられていないことですが――」
カラハ先生は足元にあるユディのノートに目をやった。
ピクシーの姿が見開きページいっぱいに、克明に描かれている。
虫の羽根を生やした小人の妖精。
とがった耳に三角形の帽子、緑色の服といった特徴もしっかりメモされている。
角度を変えてのスケッチまであり、これを元に彫像すら作れそうな情報量だ。
呼びたい幻獣の姿があいまいということはあり得なかった。
「あなたは何か原因を思いつきますか?」
カラハ先生は頭上の枝で寝ている金色のミミズクに尋ねた。
上位幻獣、
賢く博識で迷える者を導いてくれる幻獣だが、ユディにはなんの助言もない。
気まずそうに首をすくめ、また眠ってしまう。
サジを投げるような態度に、ユディは絶望した。
「先生、課題できましたあ!」
クラスメイトの一人が元気な声で、ユディとカラハ先生の間に割って入った。
今日の課題は幻獣のスケッチを三枚。
一枚は自分の契約獣で、もう二枚は自分以外のクラスメイトの契約獣。
一枚目は契約獣と親睦を深めるため、残りは幻獣への観察眼を磨くためだ。
召喚の成功は召喚者の想像力にかかっている。
自分の契約獣以外のこともよく覚えておかなければ、いざというとき別の幻獣を呼び出せない。
「ミス=ダイア。一応描けてはいますけれど、もう少し細かく。手足が雑過ぎます」
「すいませえん、手足って苦手で。
でも、描けなくても想像はできてますし。召喚もできてますし。問題なくないですか?」
艶やかな金髪をいじりながら、女子生徒はユディのノートを一瞥する。
「よく描けてても召喚できないよりはいいですよね?」
「ミゼルカ」
教師に突然名前で呼び捨てられ、女子生徒はびくりと背筋を正す。
「召喚士が幻獣を雑に思い浮かべて召喚することは、雑に名前を呼び捨てるようなものです。ちゃんとなさい。
想像が雑なせいで、虫族のワームを呼んだつもりが、竜族のワームが来たら大変でしょう」
「……はあい」
ミゼルカは突き返されたスケッチを渋々と受け取った。
カハラ先生はさまざまな幻獣が描かれたユディのノートをめくって嘆息する。
「あなたの想像力なら何でも呼び出せそうなのに。なぜ何も呼べないのかしら」
私も知りたいです、とユディは心の中で泣いた。
「ミス=ハートマン、わたくしもこんなことをいうのは大変辛いのですが。
もうすぐ一年の前期が終わります。
それまでに一匹も召喚できなかった場合、召喚士は諦めて、九月からは他の道を目指しなさい」
「え――」
「召喚できないのに、後期も召喚士になる努力をしていたのでは時間をムダにしてしまいます。
半年遅れならば、別の職業を目指しても他に追いつけるでしょう。
あなたが召喚できない理由は、今は分かりませんが、他のことを学んでいる間に解決するかもしれません。
召喚士の次に希望する職業は何ですか?」
ユディは頭が真っ白になった。
頭の片隅にあった悪夢が現実になった瞬間だった。
「……分かりません。召喚士になることしか考えていなかったので」
「であれば、魔導士はいかがですか?
魔導士の技能は召喚士にも必要になるので、ムダにはならないと思いますよ」
はい、となんとか返事をしたが、ユディは茫然自失の体だった。
「詳しいことは学生課に相談なさいね。
不本意でしょうけど、前向きに。寄り道は悪いことばかりではありませんから。
――ああ、そうだ。あなたもスケッチを三枚提出して下さい。
だれの幻獣でもいいですから」
授業は残り十五分を切っていた。
ユディは急いで魔法陣を消し、スケッチブックを片手に対象を探す。
「あの、スケッチ――」
「ごめん、もう終わった」
「昼で急ぐから。他当たって」
授業は課題さえ終われば終了だ。
クラスメイト達はスケッチを提出すると、授業終了の鐘が鳴る前にさっさと去っていく。
この授業が終われば昼休みなので、皆、混みあう食堂に一分一秒でも早く行きたくて必死だ。
ユディはまともに頼むのは諦めた。
遠目にクラスメイトの幻獣を観察し、三枚を十五分で仕上げる。
この四カ月間、召喚成功のためにスケッチはさんざんやっているのでお手の物だ。
終了の鐘ぴったりに書きあがった。
「これ、提出よろしく~」
カラハ先生の背を追おうとすると、ユディは他人のスケッチを押し付けられた。
やり直しを命じられいた女子生徒、ミゼルカの分だ。
「カラハ先生、間に合わなかった人たちの分はまとめて持って来てってさ。
あなたでいいでしょ? どうせ最後だし」
「私、もう終わって――」
「あたしのもよろしく、ハートマンさん」
ミゼルカに続いて、彼女の友人たちのスケッチもユディの腕にのせられる。
「お昼行こー」
「ハートマンさん、ごめん、待ってて! もうすぐ終わるから!」
「……うん」
言い返すほどの気概も、他のだれかに託すほどの度胸もなく。
ユディは最後まで校庭に残った。
提出を終えて学生食堂に行けば案の定、満員だ。
いくつも並んだ長テーブルは人で埋まり、配膳カウンターには長蛇の列ができている。
ユディはトレイを持って最後尾についた。
「あの子さあ!」
食堂内で知った声を拾って、ユディはドキリとする。
さっきスケッチ提出の仕事を押し付けていったミゼルカだ。
すでに食事は終えているが、三人の女子生徒を相手に雑談に興じていた。
「なんで下位幻獣すら召喚できないんだろうね」
「破滅的に才能ないんじゃない?」
「それか、よっぽど何か幻獣に嫌われるようなことをしたか、だよね。
召喚士の家に生れてそれは致命的だよねー」
心にぐさりと刃物が突き刺さった。
召喚士一家の出であるユディにとって、幻獣は生まれた時から身近な存在だった。
家には父の契約獣の人狼が常駐していたし、乳母は母の契約獣である半人半蛇の女怪ラミアで、遊び相手は長兄が召喚する怪猫や妖精や人魚たちだった。
家から分園に通っていた時代、送迎は祖父の翼竜で、寒くないようにと祖母の編み物友達、半人半蜘蛛の女怪アラクネからマフラーをもらったこともある。
幻獣は常にそばにいて、ユディにとって家族であり友達だ。
彼らに嫌われるというのは、世界の半分の人間に嫌われるのと同じくらいにショックなことだった。
違うと否定するものの、弱った心では確信が持てずに不安が増した。
「進路変更、もう今からでもした方がいいんじゃない?」
「魔導士としても落ちこぼれになっちゃうよ」
「ハートマンさん、自分で魔法使うの得意じゃないみたいだし」
ミゼルカとその友人が去り際に言い捨てていく。
むっとはするが、ユディに言い返すほどの勇気はない。
争うのは苦手だ。弱気な姿勢がますます相手を増長させるのだろうと分かっていても。
去って行くミゼルカたちを、少し遅れてメガネの女子生徒が追っていく。
二ヶ月前まで、ユディと一緒に召喚に四苦八苦していた女子生徒だ。
ユディがミゼルカから嫌がらせを受ける前は、彼女が嫌がらせを受けていた。
今はユディが彼女の立場というわけだ。
「幻獣でも人間でも、タテ社会が厳しいのは同じかあ」
自分の境遇を笑い飛ばして自分を鼓舞してみたが、あまり効果はなかった。
配膳カウンターからパンとスープ、チキンソテー、豆のサラダ、ハーブティーを取って、隅の席に腰かける。
お腹は空いているはずなのに食はあまり進まなかった。
憂鬱の種を抱えているせいで胸が重苦しい。
おまけに大勢いる食堂の中でぽつんと一人。
向かいに話をして気を紛らわせる相手もいないのだ。
何度目かともしれないため息が漏れた。
(諦めた方がいいのかな……)
冷めてしまったチキンソテーを無理やりに口に押しこむ。
肩や手に契約獣を乗せた生徒を見ると、一人が余計に身に染みた。
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