02:帰宅したらすぐだった件

 石で補強されていない野道を一台の馬車がガラガラと音を立てて走っていた。

 急ぐでもなくゆっくりでもない、普通の速度。小柄だが豪華な馬車の周りには騎馬が走り、中身を見るまでもなく要人が乗っている事が分かる。


 やや狭々・・とした馬車の中。

「旦那様、そろそろお時間ですが休憩はどうなさいますか?」

 侍女のエーディトは向かいに座る、主人シュリンゲンジーフ伯爵閣下に声を掛けた。

「もうそんな時間か。

 ベアトリクス・・・・・・も疲れている様だ。少し停めよう」

「畏まりました。

 休憩です。馬車を停めてください!」

 侍女のエーディトがそう叫ぶと、御者席の方から『了解しました』と声が聞こえてきて、次第に馬車の速度が落ちていった。



 ゆっくりと馬車が速度を落としていき完全に停まる。


ガクン!


 最後に馬車が大きく揺れて、

「はっ!?」

 危うく前のめりに倒れそうになって私はうたたねから目が覚めた。

「おはようベリー・・・

 フィリベルト様に寝顔を見られていたことを知り赤面。

 次の瞬間には、ぽふっと乾いたタオルが顔に押し付けられてきて、

「はい奥様~、少しだけご辛抱くださいね」

 タオルは口元を拭うように動き始め、もしかしてみっともなく涎を垂らしていたのだろうかと、再び赤面した。

 これから身嗜みを整え直すのだろうと察したフィリベルト様は。「先に降りる」と言ってさっさと馬車を降りていった。

 相変わらず空気を読むスキルは完璧ですね!



 私は拭って消えた紅を入れ直して貰いつつ、エーディトに文句を言う。

「もう! 寝てしまったのなら起こしてよ」

「ふふふっ申し訳ございません。

 でも旦那様から起こすなと言われてしまえば、わたしに出来る事はございませんよ」

「そうだけど~こそっと肘で突くとか色々あるじゃないの」

「ハァ……

 まったく何度わたしが突いたと思っているんですか。それなのに起きる気配もなく、さぞかし昨晩は頑張られたのでしょうね」

「お姉ちゃん、その言い方は流石に卑猥だと思うわ」

「あらごめんなさい」


 いまは王都から戻る旅路の途中。

 たった一日だけの約束を終えて、私とフィリベルト様は結ばれた。こうして十ヶ月と言う拗れた日々を過ごした私の初恋は成就した。

 何とも喜ばしい事だわ。



 さて二人の状況が変わろうが領地へ戻る旅は続く。


 遅れに遅れてやってきた初夜の、さらに翌日の事だ。宿に入りいつも通り同じベッドに入ると、やや自信なさげにフィリベルト様が求めてきた。

 とっくに結ばれたのにまだ自信が無いのかしらとクスリと笑いつつ応じた。

 そして翌日、またその次の日~と、我慢していた反動かフィリベルト様はかなり求めてくるようになった。。

 求められることは嬉しいのでもちろん応じるのは吝かではない。


 しかし連日連夜となると話は変わる……

 若さで誤魔化せていたのは最初だけで最後に物を言うのは体力。

 元令嬢の私が元軍人のフィリベルト様の体力に勝てるはずはなく、お陰ですっかり睡眠不足だ。

 私はディートに眠い目を擦られながら、せめて朝までは・・・・・・・やめて欲しい・・・・・・といつ切り出すべきか頭を悩ませていた。


 顔をしっかり整えて貰ってから馬車を降りた。

 馬車の先には席が造られていてフィリベルト様が座っていらした。同じく朝までなのにそのお顔にはどこも疲れた様子はない。

 むしろ王都に向かう際に、私が日々誘惑していた時の方がよっぽど疲れていたように思う。

 一体いつ寝ているのかしら?


「もう良いのか?」

「ええ失礼しました。もう大丈夫ですわ」

「領地まではまだまだ掛かる。無理はするなよ」

 無理させてるのは誰の所為だとと言いたいのをグッと堪え、領地が遠いのは間違いはない事だしと、笑顔を浮かべて頷いて置いた。




 向かう時は急ぎで約二週間。帰りは普通に三週間を掛けて領地へ戻ってきた。

 約ひと月半ぶりの領地。

 街道は相変わらず石が敷かれていない野道だが、行き交う馬車の数は私が嫁いできたときに比べれば格段に増えている。

 野盗がすっかり討伐されたこと、避難民を受け入れて人口が増えたことが良い方向に作用しているのだろう。


 小さな古城の跳ね橋が降りてきてそれを渡り終えると、やっと帰って来たと言う気持ちが胸いっぱいに広がった。

 馬車が玄関にたどり着く。

 フィリベルト様が先に降りて私に手を差し伸べてくれる。

 それを支えに馬車を降りて、二人で玄関を通った。

「「「お帰りなさいませ」」」

 使用人らが整列して挨拶をしてくれた。


 その先頭に立っているのはお爺様。

「お爺様、ただいま戻りましたわ」

 両手でドレスの両端を摘まんで淑女の礼を取って微笑んだ。


「ふんやっと帰って来おったか、待ちくたびれたぞ」

「お義爺様、領地をありがとうございました。戻る途中で馬車の往来を見ましたが、見違えました」

 フィリベルト様はお爺様の手を取って感謝を告げている。

「ま、あのくらいはの。じゃがフィリベルトよこれからが大変じゃぞ。

 心してやるようにな」

「ええもちろんです」

 話は終わったかなと私は一歩踏み出してフィリベルト様の隣に立った。


「む、お主……」

 お爺様は首を傾げてそういった後に今度は私の方へ視線を向けてきた。

 しかしその視線は私の顔ではなくてやや下?

 何かしら……

「ほほぉ、旅の話を聞く楽しみが増えたわい」

「どういう事でしょう?」

「ふふんとぼけおってからに、一皮剥けたのであろう」

「一皮とは……」

 お爺様は一歩近づき、私とフィリベルト様の間でひそっと声を発した。

「(一線を越えたのじゃろ?)」

「お、お爺様!! 何を仰ってるのですか」

「おお怖い怖い。その様に気が強くてはフィリベルトも困りものじゃろうて」

「そんな事はありません。ベアトリクスはとても優しい、俺はいつも助けて貰ってますよ」

「ほほほ、何ともご馳走様なことじゃな」

 では後ほどなと残してお爺様は玄関ホールから去って行った。

 年の功ゆえにきっと悟られたのだとは思うのだけど、早くも関係があった事を知られたと思うと気恥ずかしさを覚えた。

 そう言えば、老執事のエルマーやコリンナはどうなのかしら?


 気になって彼らの方を見れば、感慨深く頷いているのが見えた。

 どうやらこちらにもバレているらしい。

 一体どうして知れたのか……

 私のこの疑問は誰か答えてくれるのかしら?




 自室に戻り旅で汚れたドレスを脱ぎ去る。

 旅の間ずっと一人で世話をしてくれたエーディトは、一ヶ月半休みがなかったし長旅で疲れているだろうと、先ほど三日間の暇を出していた。

 だからいま私の着替えを手伝ってくれているのは侍女長のコリンナだ。

「奥様、こちらのドレスでよろしいですか?」

「ええそれでいいわ」

「畏まりました」

 逐一答えるのは面倒だなと思うが、これもエーディトに頼り続けたしわ寄せだと思えば、反省するばかりだ。


 ドレスを着替えていく間の事、

「奥様に不躾な事を申します事をお許しください」

「改まってなにかしら?」

「坊ちゃまがやっとお気を許せる相手を見つけたことが、あたしは嬉しくてたまりません。本当に奥様には感謝しかございません」

「ちょっと待ってコリンナ。お爺様にもエルマーにも、同じ様に知られているみたいなんだけど、貴女はどうしてそれに気づいたのかしら?」

「そうですね、玄関から入っていらしたときにお二人で並んでいらっしゃいました」

「それは珍しい事ではないでしょう?」

 ここに来て最初の頃は兎も角、王都に行く前辺りならば手を借りて玄関を通るのは普通の行為だったはずだ。


「確かにそうですね。

 しかし本日、坊ちゃまが奥様の腰を抱いていらしたのでもしやと思った次第です」

「腰?」

「ええ、お気づきになりませんでしたか?」

 どうだったっけ……

 えーと馬車を降りるときは手を借りて、降りた後はそのまま腕に乗せた覚えがある。玄関のドアはフィリベルト様が開けたっけ?

 手は……

 あれ? 手ぇどこ行った?


 あっでも待って。お爺様に挨拶をしたときは両手でお辞儀したわよね。

 と言うことは私の手は前にあるのよ。

 その後フィリベルト様が握手したので彼の手も前にあったわ。

 で、一歩前に近づいて……、寄り添ったような気がする。


 お爺様が変なことを言いだしたのもその時だったし。

 そうよ待って!

 お爺様のやや下がった視線、あれは私の腰に回ったフィリベルト様の手を見ていらしたのね!


 すっかり知られることになった関係を気恥ずかしく思いつつ悶絶する。

 しかしすぐに、これからフィリベルト様が毎夜訪ねてくることを思えば遅かれ早かれ知れるのは時間の問題だったはず。

 だったらと、私はさっさと開き直ることに決めた。

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