13:ペーリヒ侯爵邸②

 勘違いのお説教を二度、そして勘違いが晴れてからもう一度。

 なんだかんだでよい時間になってしまい、私たちはどうやらここで晩餐をご馳走になるらしい。

 らしいと言うのはこちらに相談が無くて、勝手に決められていたからだ。

 継母に「すこし場所を変えましょうか」と言われて付いて行ったら食堂だった。来たことも入ったこともない屋敷だから、間取りなんて知らない。

 たどり着いてびっくりよね。


 食堂の一番奥の席にはすでにお父様が座っていらした。皿のある空席の数は五つ。継母と私たち二人、あとの二つは兄と姉の席であろう。

「やあベリー久しぶりだね。とても綺麗になったじゃないか。

 ところで父上は元気かな?」

「お久しぶりですお父様。娘相手にお世辞はいりませんわ。

 お爺様はとても元気でいらっしゃいます。今はシュリンゲンジーフ伯爵領で旦那様に領地管理を教えておられます」

「そうか、父上が教えるのなら今後のシュリンゲンジーフ伯爵領は安泰であろうな」

「はっ教え通りに出来るように全力を尽くす所存です」

「ははは、それほど硬くなる必要はないよ。今のわたしは侯爵ではなくただの父親だ。

 領地のことは気負わず二人で協力してやっていくのが一番だろうね。

 それで孫はいつ生まれるのかな?」

 食堂にシンとした空気が流れる。

 きっと私が懐妊していると事前に継母から聞いていたのだろう。だから父に悪気はない。しかし先ほどまでその件で継母から散々お説教を貰っているのだ。

 真相を誰が伝えるのかと三人の間で視線が交わされた。


 そしてそんな経緯を知らない当の父はと言うと、みんなどうした? と、不思議そうに私たちを見渡している。

 対して私はまた再燃しないかと冷や冷やしながら継母を見つめた。しかし継母はグッと我慢するかのように、不機嫌そうに顔を顰めただけで留めた。

「……懐妊はわたくしの勘違いでしたわ」

「そうかそれは残念だ」



 どうしようもない空気の中、食堂のドアが開いた。

 入って来たのは姉と、見知らぬ金髪碧眼の男性。

 いや……あの垂れ目の顔は見覚えがある。

「やあカテリーナお帰り。

 クレーメンスもよく来てくれた」

「侯爵閣下、本日はお招きいただきましてありがとうございます」

「今日は妹夫婦が寄ってくれた。

 領地が遠いから会う機会もあまりないだろうが、よろしくしてやってくれ」

「ええもちろんです」

 そう言うとクレーメンスは女性受けするだろう人懐っこい笑みを浮かべて、私に微笑みかけて、口元を引き攣らせた。

初めまして・・・・・クレーメンス様。

 姉がいつもお世話になっているそうですね」

「あ、ああ初めまして」

 なるほど面食いの姉はコロッと彼の顔に騙されたらしい。

 それにしても婚約者が同席している夜会で他の女性にアプローチするとは……、夜会とは得てしてそう言う物なのか、それとも彼が特別なのか。

 世の男性がすべてそうとは思いたくはない。

 願わくば後者であって欲しいわね。



 空席の一つはクレーメンスの席であったからどうやら兄は不在の様だ。

 聞けば、今は領地の方でお仕事中だってさ。

 出された料理は流石は侯爵家と言わんばかりに美味しかったが、空気を差っ引けば、領地で食べる食事の方が数倍美味しく感じた。




 晩餐を終えた後に出発するわけにもいかず、かと言って本日は宿を取っていない。

 そもそもこれほど長い時間滞在するつもりもなかった。

 当然だがその話はすぐに上がり、では泊まっていくと良いと父から提案された。その時継母の目がキラッと怪しく光った様に見えたのは気のせいだと思いたい。


 借りた客室に入る。

 王宮のベッドに慣れた所為かベッドが小さく感じるが、これでもフィリベルト様二人分ほどあるので随分と大きい。


 この旅の間、私とフィリベルト様はずっと一緒の部屋で過ごしてきた。

 しかし浴室だけは違った。

 フィリベルト様は何かしらの理由を付けて、部屋に備え付けられた浴室を使用せずに他の場所で済ませていた。

 だが今日は、廊下に使用人が立っていて、ドアを開けると「何かご入り用がございますか?」と聞いてくる。これでは外に出る訳にもいかない。

 まるで見張り……

 どう考えても継母の差し金だろう。



 私の心臓は先ほどから緊張の為にバクバクと激しく動いている。


 あれだけアピールしていて、何を今さら~と思わないで貰いたい!

 お風呂に入った後なら隅々まで綺麗に洗っているから見られようが触られようがまったく構わない。

 しかし入る前は……

 さすがに恥ずかしさが勝つに決まっている。


 確かエーディトの話では夫に先を譲るのだったわね。

「フィリベルト様が先にお入りくださいな」

「……」

 フィリベルト様の表情は思いつめたように暗い。

「どうかされましたか?」

「ベアトリクス……俺は……」

「お風呂が嫌いとか?」

「いや」

「私を先に?」

「ん、先に入りたいのか?」

「いえそうではなく。一体なんですかハッキリ仰ってください」

 するとフィリベルト様は驚かないで欲しいと言って上着に手を掛けた。

 えっ? まさか体を清める前に!?

 恥ずかしくて手で顔を覆いながら、いや指の隙間が開いてて見えてるけども!


 その間にもフィリベルト様は上着を脱いで上半身を露わにした。

 体中に傷、傷、傷。


「怖い……だろうな」

 私が顔を手で覆っているからか、フィリベルト様が悲しそうな声色を漏らした。

 手が止まったのでどうやらここでお終いらしい。

 私は顔を隠していた手を払ってまじまじと見つめた。

 筋肉質のがっちりとした大きな体躯、その至る所に大きな斬り傷や刺された傷などが見て取れる。

 そっと触れるとなんだかそこだけぷにぷにと柔らかくて面白い。

「貴女は怖くないのか?」

「何が怖いと仰るのでしょうか?」

 見損なうなと叫びそうになるのをグッと堪えて、頭を少し落ち着かせる。

「その傷は国や住民、そして友を護る為に負われた物でしょう?

 でしたら感謝こそすれ、何を怖がることがございますか」

「ベアトリクス。やはり君には敵わないな」

「それが理由ですか?」


 ぽつりぽつりとフィリベルト様が漏らし始めた。

 最初は見た目で嫌がられ、次は傷を見て怯えられた。

 自分の容姿はは商売女でさえも怖がり拒絶されるほど酷い。それがトラウマの様に残っていて最後の一歩を踏み出すことが出来なかったと、彼は語った。


「ふむ、昔の事ですし未遂なので許しましょう」

「おい俺がいつの間にそう言う話をしたことになった?」

「ふふっフィリベルト様が思っていたような事は、その程度の話なんですよ。

 私に言わせればその女どもは男を見る目が無いのですわ」

「本当に君には敵わないな……」

 わだかまりが解け、彼は私の頬に触れた。

 唇が触れる。


 ぎゅっと抱きしめられて、ベッドに押し倒され……

「ちょっと待ってください!」

「嫌か?」

「まだ体を清めてません!

 ですがっそれよりも……」

 私は初めてだ。実家でいたせば、ここの使用人にすっかり知られて継母に伝わる。すると翌朝に何とも言えない空気が流れるじゃないか!?


「結論を出したら今度は俺の方が拒否されるとはな」

 苦笑気味にそんな事言われましてもね?

 私は可笑しくなってクスリと笑った。

「どうかしたのか?」

「だって私たちらしいと思いませんか?

 お互いを待ち、すれ違う。そして今日からは私が貴方を待たせる番ですわ」

「確かにそうか。

 それで、俺は今回はいつまで待てば良いだろうか?」

 そうですねと人差し指を立てて考える素振りを見せる。

 今回ばかりは私もあまり待つつもりはない。

「ではここを出たらと言うことにしましょう」

「そうなると宿になるがいいのか?」

「もちろん」


 いつもの夜の口づけを、もう一度。


 そしてその夜、私たちは手を繋ぐことは無く。

 初めて、

 お互いの意思で抱き合って眠った。





─ 第二部 完 ─




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