12:ペーリヒ侯爵邸
宴が終わったので、今日はお借りした王宮のお部屋を返却する日だ。当初の予定通りであればお昼前に王宮を出てそのまま領地へ帰るはずだった。
しかし馬車が向かっているのは王都にあるペーリヒ侯爵邸だ。
本日帰る予定であったから、乗っている馬車は王宮から借りた物ではなく、領地から乗って来た私の馬車だ。
何とも情けないことだが、いくら旧姓の屋敷とは言え、
急にこんなことになってしまい、昨夜から私は謝りっぱなし。
しかしフィリベルト様は、
「貴女の母上にご挨拶するのは当たり前だろう」と、快く承諾してくれた。
「生母は他界しておりますので継母です」
「それでも母上に違いはない」
そんなことは言われるまでもなく知っている。
継母は私にとても厳しく接してきた。食事の時に何度手を叩かれたか、礼儀作法も何度ダメ出しを喰らったか。
教師も服も待遇も、継母の産んだ兄や姉とは違う人が当てられた。きっと私が生母に似ていたから、思い出すからと言う理由できつくあたったに違いない。
そうして六歳になる頃。笑顔を無くして人形の様に従う私を見かねて、お爺様が私をクラハト領へ連れ出してくれるまでそれは続いた。
私は継母が苦手だ……
王都に立つ屋敷なので例え侯爵家でも門扉は狭い。
通りで馬車を停めて降り、徒歩で門を抜けて玄関に向かう。
玄関が開けられて執事が現れる。見覚えのある本領地の屋敷にいた執事だった。十年以上前の記憶と変わらぬ彼は私に、「お帰りなさいませお嬢様」と言った。
どう返すべきだろうか……
「わたしはシュリンゲンジーフ伯爵だ。
本日はペーリヒ侯爵夫人に招かれて妻のベアトリクスと共にやって来た。ご夫人に取り次いで頂けるか」
「畏まりましたシュリンゲンジーフ伯爵閣下、少々お待ちください」
不自然には見えないギリギリのところでフィリベルト様が割って入ってくれた。
執事が去り、私が小さく「ありがとうございます」とお礼を言うと、大きな手が私の手をギュッと包み込み、そして離れて行った。
声のない励ましに嬉しくもあり、一瞬だったからちょっとだけ不満を覚えた。
継母は日の当たるテラスで待っていた。
「お座りなさいな」
「失礼します」
お茶が入ると継母はその香りを楽しむようにカップを手に取って鼻に近づけていた。きっと良い茶葉なのだろうと仄かに香ってくる匂いで分かるが、私は気分が晴れず、そのようなことをする余裕もない。
呼ばれた要件が分からず、かといってこの沈黙は耐えがたく、
「ペーリヒ侯爵夫人、昨夜はありがとうございました」
まずは危ういところを助けて貰ったお礼を述べておこうと口を開いた。
「わたくしは貴女の母です」
今度は突然何を言いだしたのだろう?
ピンと来ず首を傾げれば、
「ここは夜会の場ではないわ」
そう言うことかとやっと合点が行く。
「済みませんお継母様」
「貴女が謝る事ではないわベアトリクス。
本日わたくしは娘婿のフィリベルトを叱る為に呼んだのです!」
「えっ俺ですか?」
継母の中でどういう理屈でそうなったのか、私もフィリベルト様も互いに顔を見つめ合って困惑する。
「男性ですからお仕事のお付き合いはあるでしょう。
それは仕方がない事です。しかしフィリベルト、貴女は身重の妻を置いてどこをほっつき歩いていたのです!!」
ん……、身重?
「あのお継母様?」
「ベアトリクスは黙りなさい!」
「でも、」
「良いですか。出産と言うのは女性にとって命がけです。
妊娠中は不安にもなるでしょう。それを理解しないとは! これだから軍属の男性は気が利かない!」
「あのぉ」と今度はフィリベルト様が口を挟んだ。
言いたいことはきっと同じ。
頑張って! と私は微力ながら心の中で精一杯のエールを送る。
「言い訳は結構!
今後は女性の事を第一に考えて行動すると誓いなさい!」
だが残念、ピシャリと扇の閉じる音付きで遮られてしまった。
なんだか素直に『うん』とは言えない思いが胸に広がる、しかし素直に『うん』と言ってしまう方が話はすぐに終わりそうな気がするわね。
だけどその勘違いが晴れた時のお説教は、いまを上回るほどに長引くに違いないし……
どうしますか? と視線を向けると、フィリベルト様は困った顔を浮かべていた。
困ってるのは私も同じですとキッと睨みつけると、すまんと眉を情けなく下げて謝罪を示してきた。
ついに表情で会話できるほどになったのかと、場違いだけどちょっと嬉しかった。
「フィリベルト! ちゃんと聞いていますか!?」
おっと、今は叱られている最中だったわ。
「ええもちろん聞いております」
ちょっとそこは否定しないと駄目な所でしょうと、私が深いため息を吐いたのは言うまでもない。
叫びっぱなしの喋りっぱなしで、継母は疲れて喉が渇いたらしく、侍女にお茶のお代わりを言いつけた。
お陰でお説教が止まる。
よしここがチャンス!
「お継母様、少しだけ私のお話をお聞きください」
「改まってなんですかベアトリクス」
「お継母様は私が懐妊したとなぜ思われたのでしょうか?」
「悪阻です。わたくしも経験があるから判ります。さぞかし辛い時期でしょうね」
昔を思い出すかの様に目を閉じて感慨深く言われましても……
「残念ですが私はまだ懐妊しておりません。
昨日は本当に気分が悪くて吐いただけですわ」
「お医者様には見せたの?」
「いえ見せるまでもないので……」
「馬鹿な! 本当に懐妊しているかお医者様に見せてもいないと言うの!!」
どうやら私は言い方と言うか、言う順番を間違えたらしく、フィリベルト様へのお説教はこの後、一時間ほど続いた。
すみません!! フィリベルト様!
やっと判って頂いた時、継母は恥ずかしそうに赤面していた。
しかしその赤みはそのまま怒りによって上書きされて、やっぱりフィリベルト様は改めて長い長いお説教されることとなった。
ただし今回は、手を出してくれないのは本当の事なので私はそれ無視して、お高いお茶を嗜みつつ、お説教が終わるのを待たせて貰ったけどね。
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