11:夜会②

 ホールの中央ではダンスが始まっている。

 私は必要に迫られずダンスなんて覚えてもいなかった。しかし今回、夜会があるからと来る前にお城で猛特訓して来たつもりだ。

 意気揚々と待っていたのだが、最初にかけられた曲は知らない物で、私はすっかり出鼻を挫かれた。


 でも挫かれて良かったかもと密かに思っていた。


 その知らない曲を踊っている参加者の様子を見ていたが、明らかにレベルが違う。あの中に私の様な素人が混じっても恥をかくだけだったろう。

 もしも最初に知っている曲が掛かっていたら危なかったわ……


 二曲目は知っている曲が掛かったが、レベルに達していませんので~と、私は踊るのをさっさと諦めてフィリベルト様と壁端で軽食を食べつつお話しをしていた。


 何をと言う訳でもなく、ただの雑談だ。

 例えば、いま食べている料理の話。

 フィリベルト様が自分用にガッツリと取っていた品の中で、生のお魚の様な料理が混じっていた。

「そのお魚は生の様に見えますが珍しいですね」

「漁港がある街では生食する文化もあるそうだぞ」

 その文化は私も聞いたことがあった。確か上がったばかりの魚は新鮮だから生食が可能だったと思い出すが……

「しかしここは王都です、一番近い海でも半日ほど掛かりますが新鮮なのでしょうか」

「確かにそうだが王宮の宴で滅多な物は出すまい?」

「ああなるほど。でしたら私も少し頂いてもよろしいですか?」

 折角の記念なので珍しい物は口にしておきたい。

「ああ」

 薄く切られた身の白い魚の切り身を一枚貰って口に入れる。

「少し酢の味がします」

「ほおそうだったか。ではこちらはどうだろう?」

 今度はサーモンらしき色の切り身だ。ほのかに口に広がる煙の香り。

「こちらは燻製ですね。どちらも半生と言う所です」

「そうだったか、生だと思っていたが違ったのだな」

 そんなことを言いながら二人で笑い合っていると、テーブルに影が差してきた。


「あらどこの誰かと思ったらベアトリクスじゃない?」

 私よりも明るい黄色のドレスを纏った女性が声を掛けてきた。この国では珍しい黒銀色の髪の女性。

 知り合いかとフィリベルト様の目が問い掛けている。

 私はスクッと立ち上がり、

「お久しぶりです。お姉様」と挨拶を返した。

「あらまだわたくしを姉と呼んでくれるのね」

「ええもちろんです。私の姉はお姉さまお一人ですわ」

「ふぅん」

 じっと私を睨みつけてくる姉。

 私と同じくフィリベルト様が立ち上がり、

 姉がその大きさに驚き、短く「ひっ!」と悲鳴を漏らす。


「ペーリヒ侯爵家のご令嬢でよろしかったか?

 初めてお目に掛かる。わたしはベアトリクスの夫でシュリンゲンジーフ伯爵だ」

「あ、あなたが噂の、へぇあんたにはお似合いの人ね」

 もしもこの姉以外にそう言われれば、やったぁお似合いだって~と喜んだだろうが、姉の言葉はそう言う意味ではないから素直に喜ぶことは出来なかった。

「ありがとうございますお姉様」

 言葉内の本質はともかく、返事は必要。

 私は硬い声で何とか社交辞令を返した。



「そうそうわたくしも結婚が決まったのよ」

 挨拶だけでは満足して貰えなかったらしく、どうやらまだ話は続くらしい。

 私はげんなりとしながらも、「おめでとうございます」と努めて笑みを浮かべてお祝いを言った。

 姉は満足げにふふんと鼻で息を吐いた。それはもっと聞きなさいよと言うアピール。ついでに言うと、聞かないとずっとこのままここに居座るだろう。


 まったく面倒くさい人だ……

「よろしければお相手のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」

 よくぞ聞いてくれたわねと、先ほどよりも荒い鼻息を吐く。

「グレッシェル伯爵家のご令息クレーメンス様よ!」

 グレッシェル伯爵家は確か軍に明るい家系だったはず。

 しかし事前に覚えてきた名の中に、グレッシェル伯爵はあったがその息子のクレーメンスには覚えがなかった。一瞬、もしや嫡男ではないのかと頭を過ったが、仮にも姉は侯爵家の令嬢である。間違っても伯爵かくしたの嫡男以外に嫁ぐわけはない。

 つまりパッとしない跡取りか……


「あらら驚いて口も聞けなくなっちゃったのね?」

 都合よく勝手に勘違いしてくれたのでそう言うことにしておこう。

「ええ、少々驚きすぎたようです。お姉様、本当におめでとうございます」

 姉は誇らしげに薄い胸を反らしながら勝ち誇っていた。



 姉が去り、一つ嵐が消えた気がしてほっと安堵の息を吐いた。

「失礼」

 再び現れたのは濃紺ネイビーの軍服を着たクリューガー将軍だ。

 なんとなくだが嫌な予感がする。

「また邪魔をして申し訳ないが、すまんフィリベルト少し顔を貸してくれないか?」

「どうかされましたか?」

「実は元帥閣下が挨拶が無いと先ほどから怒っていらっしゃるのだ」

「ああ元帥閣下ですか……

 済まないベアトリクス、少し行ってくるから待っていてくれるか」

「あっ私もご一緒に参りますわ」

 すると将軍が、

「止めておいた方が良い。元帥閣下は四十八になられるがいまだ独身でな。

 同じ独身畑の同志であったフィリベルトが、貴女の様な美しい女性を妻にしたと知れれば、きっと要らぬ不興を買うだろう」

 冗談なのか本気なのか分からない口調で困惑するが、そんなことで不興を買うなんて、きっと冗談よね?

 しかし万が一もある。

 私はどうしますかと目線で問いかけた。

「そう言う訳だ。ベアトリクスは待っていてくれ」

「分かりました。こちらでお待ちしております」

「今度も長引くかもしれん、姉上を呼びにやるから少しだけ我慢してくれ」

 そう言うと大きな背中が私から遠ざかって行った。




 再び私はぽつんと一人残された。

 しかし今度はヴァルラ姉さまが来てくれると言うのでそれを待つだけで良い。


 そしてテーブルに影が差す。

 笑みを浮かべて顔を上げ、その笑みが一瞬で強張ったのが分かった。

「久しぶりですね」

「おかあ、さま」

 ふんっと姉の様に鼻を鳴らす。

 正しくは姉が継母の真似をするのだが……、よく似た母娘ね。

「ペーリヒ侯爵夫人です」

「申し訳ございません。

 失礼しましたペーリヒ侯爵夫人」

「貴女もついに夫を持つ身になったのでしょう、お気を付けなさいなシュリンゲンジーフ伯爵夫人」

「はい……、ご忠告感謝いたします」


 私と継母の間には重苦しい空気が流れていた。

「お待たせー」

 そこへなんとも脳天気な明るい声が割って入ってくる。

 もちろん声の主はヴァルラ姉さまだ。

 同じく軽い挨拶を返したいのだが、ここには継母の目がある。

「ごきげんようヴュルツナー侯爵夫人」

 私の堅い声色を聞いて、おやっとヴァルラ姉さまが首を傾げた。しかし彼女は私と継母の間に視線を這わせて、納得し私に合わせて挨拶を返した。

「初めまして、あたしはヴュルツナー侯爵夫人です。

 立ったままも良くないでしょう。どうでしょうあちらに座りませんか?」

「こちらこそ初めましてヴュルツナー侯爵夫人。わたくしはペーリヒ侯爵夫人ですわ。

 ええ仰る通りです、シュリンゲンジーフ伯爵夫人。座ってお話をしましょう」

 継母から名を聞いて私との関係は気づいただろう。

 そして娘を伯爵夫人と他人行儀に呼ぶ継母を見て、ヴァルラ姉さまは合点が要ったように笑みを浮かべた。

 向かい合って意味深に張り付いた笑みを浮かべる二人。

 うう胃が痛い。


「ペーリヒ侯爵夫人。先ほどお姉様から婚約が決まったと聞きました。

 おめでとうございます」

「ありがとう」

「ヴュルツナー侯爵夫人、わざわざご足労ありがとうございます」

「いいえ構わないわ。これは伯爵閣下から頼まれた事ですもの、貴女が気にすることではないわ」

 他人行儀な返事が二つ、私の胃がさらにキリキリと痛んだ。


 うう胃の痛みに押されて吐き気が……

「あらシュリンゲンジーフ伯爵夫人は先ほどから顔色が良くない様ね」

「済みません気分が……」

「ちょっと顔が真っ青よ!?」

 私を見て声を荒げるヴァルラ姉さま。

 傍から見るとそんなことになっているのかと自覚した瞬間、急に吐き気が込み上げてきた。先ほど食べた魚の香りが鼻に登り、うっと声を漏らし私は思わず口に手を当てる。


「我慢なさい!」

 きつい物言いと共に私の手をグィと引き、私の脇に手を添えて足早に走り出したのは、継母だった。

 その支えもあり私は何とか堪えてトイレに駆け込んだ。


 個室から出ると継母の姿はすでに無く、代わりに使用人が待っていた。

「シュリンゲンジーフ伯爵夫人でいらっしゃいますね。

 ペーリヒ侯爵夫人から言付けをお預かりしております。『明日、夫を連れて王都の屋敷へ寄るように』、だそうです」

 まだ続くのかと、吐く物はとっくに無くなったのにまた胃が痛くなってきた……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る