閑話休題─苦悩と煩悩─

 この旅が始まり、やっと十日が経った。

 そうやっと・・・だ!


 急がせたから全行程の三分の二ほど進んでいるが、王都に着くにはまだ五日ほどの日数が掛かるだろう。

 そしてこれ以上短縮するのは無理だ。


 いま俺を悩ませているのは夜の生活だ。無論性交と言う話ではない。俺たちはまだその段階には入っていない。

 そうではなくベアトリクスの寝相の悪さ、これが大大大問題なのだ。


 手を握って眠ったのは最初の日だった。

 しかし翌日。

 ソファのクッションをベッドの真ん中に並べ始めたら嫌がられた。なんでも昨夜は、寝返りを打った時に窮屈だったそうだ。

 朝の様子を見るにベアトリクスは寝相が良い様なので要らぬかと置かなかったのが失敗だった。

 翌朝、何やら暖かくて柔らかい物があるなと思って目が覚めれば、ベアトリクスが俺の右腕を抱え込むように巻き付いていた。

 どうやってこうなったのか、俺に背を向けて二の腕を枕代わりに使っている。そして手を足はまるで木に登っているかのようにべったりと俺の右腕に巻き付いていた。


 危うく声が出そうになるのを堪え、そぅと手を抜こうとすれば、「うぅん」と嫌そうな声が聞こえてさらに力を入れる始末。

 小さな声で「起きているのか?」と聞いたが返事はない。

 やはりまだ寝ているらしい。



 俺は何とかして手を抜こうと頑張ってみた。

 どうやら緊張しているらしく右手には変に力が入っている様だ。まずは力を抜くために手をそっと開く。

 ふにょん。

「ふぁっ」

 ベアトリクスの口から悩ましい吐息が聞こえた。

 手のひらに感じるこのすべすべで柔らかい物体はどうやら彼女の内腿の様だ。女性の肌と言うのはこれほどに柔らかいのか。

 力は抜いてみたがビクともしない。どうやら起こさずに抜くのは無理なようだ。

 しかし旅で疲れて眠っている妻を起こすのは忍びない。

 俺はベアトリクスを起こさない様、じっと身じろぎしないように我慢した。


 なあに夜の森で蛮族を待ち伏せした時の事を思えばこのくらいなんでもない。




 クッションは嫌です! と言うベアトリクスを何とか説得して、今日はベッドの中央にクッションを置かせて貰った。

 なんとなく習慣化されてしまったが今日も手を繋いで一緒のベッドに眠る。

 まぁ今日はクッションもあることだ、これで早朝に悩まされることはあるまい。


 明け方の事。

 少しだけ寝苦しくて目が覚めた。

 新兵の頃に訓練と称して上官が寝込みを襲ってきて馬乗りにされたことがあったが、まさにそんな感じだ。


 目を開き、右胸の上に何か丸い物体が乗っていることに気付く。

 ベアトリクスだ……


 どうやら今日はバリケードクッションを乗り越えてきたらしい。

 やれやれ。

 彼女の肩を「ベアトリクス」と囁きながらとんとんと軽く叩いた。

「うぅ~ん」

 ダメだ。今日もぐっすり眠っているらしい。

 彼女がくっ付いている場所がじっとりと熱を帯びる。赤子や女性は体温が高いと聞いたことがあったがまさにその通りなのだなと実感する。


 ベアトリクスが身動ぎし左手が動きだした。

 途端にふわっと、甘い彼女の体臭が鼻をくすぐる。

 良かった起きたのか? と思ったがそうではなく、何かを探しているようにさわさわと俺の腕に触れていた。

 この姿勢も辛いが、一方的に触られ続けるのもキツイ。

 何かを探している左手をぎゅっと握って黙らせてやった。

「うふふっ」

 嬉しそうな笑い声、どうやらベアトリクスが見ている夢は楽しい物らしい。


 どうやら今日も苦行が続くようだ。

 ここは森だ、気を抜くな蛮族が来るぞ!




 俺は自分が軽度の寝不足と過度の禁欲状態であることに気づいた。

 久しぶりの感覚、まるで戦争に行っている気分だな。


 その原因であるベアトリクスは今日も笑顔で俺に接してくる。

 とても稀有なことだがベアトリクスは俺の事を好いてくれている。これだけ真っ直ぐな好意を見せてくれるのだから、きっと大丈夫だろうとは思う。

 しかし万が一と言うこともある。

 その万が一が俺を踏み止まらせる。


 何のことは無い俺は女性に怯えられるのが怖いのだ。

 例に漏れず、俺も軍に入ったまだ若かった頃、上官に連れられてその手の店に行ったことがある。

 いつ死ぬともしれぬ新兵にせめて思い出をと、その手の店を上官が奢ると言う風習。とても良い物だと嬉々として付いて行った。


 店で会った最初の女は俺の姿を見て怯えた。

 俺の姿は商売女でも怯える物なのかとかなり気落ちしたのを覚えている。

 結局、女は首を振り俺はそっと店を出た。


 二度目は士官になった頃だった。

 高級な店に入ったから初見で怯えられることは無かった。しかしいざ行為に及ぶ際、上着を脱いだ時に女は小さな悲鳴を上げた。

 俺の腕や胸には沢山の傷があり、それに怯えたらしい。

 女はごめんなさいと謝罪してきたが、すっかり興を削がれた俺は店を後にした。


 服を脱いで俺がベアトリクスに迫った時、彼女もまた同じ表情をするかもしれない。

 いや彼女だけは大丈夫と思いたい、だがやはり踏ん切りがつかなかった。




 朝目が覚めると、腕の中にベアトリクスが居た。

 上に乗っている訳でも腕に巻き付いている訳でもなく、今度は俺の腕の中にいた。どうやら夜のうちに俺は横向きになり、隣で眠るベアトリクスをすっかり抱きしめていたらしい。


 片方の手はすべすべと、もう片方には少々張りのある柔らかい感触が……

 彼女の寝間着をたくし上げ、直に背中と臀部に触れているらしい。

「うわっ!」

 慌てて手を抜き、叫んだ。

 かなり大きな声が出た。しかしベアトリクスは起きることは無く眠っていた。


 眠りが深いのだなと思ったのも束の間の事。

 慌てて強引に手を抜いたから、まだ眠るベアトリクスの寝間着はすっかり跳ね上がり、胸の膨らみとその先端までばっちりと見えてしまっていた。

 やはり大きい……

 いや俺は何を考えているんだ!

 我に返りすぐに目を背けた。

 だが横に肌色一色のベアトリクスが眠っていると思うとどうにも落ち着かないし、このままにしておくわけにもいかない。


 あまり見ないように片目で様子を伺いながら裾を探す。

 何とか探し当て裾を持って一気にグィと下げてベアトリクスの体を隠した。


 ぱちっ


 ベアトリクスの目が開いた。

「おはようございます」

「あ、あぁおはよう」

「フィリベルト様、その手は?」

「いや裾が跳ね上がっていたからな、今しがた戻したところだ」

 自分の寝間着の裾を持つ男の手。

 本当に今しがた下げたのだが、どう見てもこれから上げるようにしか思えない。

 事実は間違いなくそれなのだが、こんな言い訳を信じる奴はいないだろうなと自分で自分にツッコみたくなった。

「ふぅん」

 ベアトリクスはそう言いながらちょっと意味ありげに微笑んだ。

 そして、

「まだ起きるには早いですわ」と言うともぞもぞと動き、先ほどの様に俺の腕の中に入り込むとすぅと目を閉じたのだった。


 確かにまだ起きるには早いが、……俺は今朝も眠れないらしい。


 柔らかい妻の体を味わいながら再び森の映像を思い出す。

 蛮族の怪しげな仮面は俺を・・鎮めるのにとても役に立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る