20:ひと悶着終わってひと悶着
旦那様は女性兵から妻役を募るらしい。
真剣な表情で「貴女の安全に勝る物はない」と言われれば、そりゃあ嬉しいけれど、例え振りだとしても他人に妻役を譲ると言うのはモヤっと来るわね。
そう考えると私は止まらない。
「ディート、ライナーを呼んで頂戴」
「畏まりました」
ライナーはすぐにやってきた。
「如何なさいましたか?」
「女性騎士を紹介してくれないかしら?」
「はあそれは構いませんが、理由をお聞きしても?」
私の警備はライナーの隊が引き受けてくれている。護衛対象が女の私だから、当然ほかの隊よりも女性が多い。
「護身術が習いたいわ」
「失礼ですが、奥様がそのようなことをする必要がないように我らがおります」
「そういう意味じゃないの、気分を害したのなら謝るわ。
今度のアルッフテル王国との会談の話は聞いている? そのために護身術をちょっとね」
「奥様……」
「ライナー様、奥様は強情なお方です。きっと説得は出来ませんよ」
「分かりました、紹介いたします」
エーディトの口添えで何とか紹介してもらうことができたけど……
ライナーから紹介された女性騎士は、騎士にしてやや小柄で華奢な風体だった。
まぁそれでも私に比べれば頭半分ほど背が高いけれどね。
「奥様、わたしはビルギットと申します。以後お見知りおきください」
「忙しいのにごめんなさい。私に護身術を教えて下さるかしら?」
「畏まりました」
快く承諾して頂けたみたいで何よりだわ。
しかし実際の訓練となると、
「まず真っ先にすべきことは、逃げることです」
「はい?」
「ですから、ドレス姿でも全力で走れるように逃げる訓練をいたしましょう」
「えっとそれは護身術なのかしら?」
「もちろんです。
いいですか、暗殺に来るような者は手練れです。生半可な剣の腕で下手に応戦するよりも、さっさと逃げる方が安全です」
だから常に逃げられるような場所を探したり、細かい道を知っておくのは大事なのだとか?
ビルギットはさらに、「次に大事なのは悲鳴です」と真顔で続けた。
「えーと、私は身を護りたいのだけど?」
「ですから見事に護っていますよ。応戦するばかりが護身術ではございません。
まぁ最善はそもそも奥方様が、そう言ったところに行かないことでしょうけど……」
濁すような言葉を聞いてピンと来た。
「ねぇビルギット。旦那様から何か聞いた?」
「ええまぁ……、わたしも女ですから多少は聞き及んでおります」
そう言いながら困ったような表情を見せる。
その言い方と華奢な風体、なるほどどうやら彼女も妻候補として名が上がった口なのであろう。
それにしても……、彼女が言い辛いのも頷けるわね。
なんたって現在進行形で私とフィリベルト様の間に挟まれているのだもの。
「申し訳ございません奥様。しかし閣下の心配もお考えください」
「貴女もそんなことを言うのね……」
これは私の我がままだと言うことは分かっているつもりだ。
しかし逆の意味のもしもの事もある。
お爺様が手に入れてくれた機会を、妻でない者を連れていたことがバレて、交渉決裂する可能性。
見ず知らずの異国の領主の妻を殺すよりもそちらの方がよっぽど確率が高い。
まぁその見ず知らずの領主の妻の正体が、相手にバレることの方がさらに確率が低い事は十分に判っているのだけどね……
私は結局、逃げ足の訓練を受けた。
普段からドレスとヒールで走るような事は無いので最初はとても苦労したが、慣れてくると結構いけるようになるものね。
私は晩餐の席で、
「旦那様、少しお話がございます。後ほどお時間をください」
「分かった」
ここ最近、私がビルギットからその手の訓練を受けていることはきっと知れているはずだから、今のはすべてを分かっての返事に違いない。
晩餐の後、私たちは執務室に入った。
さあ真っ向勝負! と、私が意を決して言葉を開く前に、
「ベアトリクスの代役はもう決まっているぞ」
ぐっ……
出鼻を挫いてくるとは敵もさる者引っ掻くものだ。
「実はここ数日、私はビルギットに習って逃げる訓練を受けました。
逃げ足についてはビルギットにお墨付きを貰っています。ですから是非とも私を連れて行ってくださいませ」
「それは聞いているが……
しかし判らんな、なぜ貴女はわざわざ危険なところに行こうとするのだ」
ならばとばかりに、私は襲われる可能性よりも、偽の妻がバレることで交渉が決裂するかもしれない可能性の方が高い事を真剣に語った。
ただしその妻の正体がバレる確率の方がはるかに低い事は伏せたけど……
しばし無言。いまフィリベルト様の頭の中ではどちらの可能性が高いかを議論しているはず。私もこれ以上は何も言わずじっと待つことに決めた。
これでダメなら、諦めるかなぁ……
う~んなってみないと判らないわね。いいえ自分の事だけど私は諦めが悪いのよね、きっと諦めない気がするわ。
じっくりと時間が経った後、
「なるほど。どうやら貴女の言うとおりの様だ。
アルッフテル王国が我が国との開戦を望むのであれば襲われる可能性もあるだろう。しかしそれよりもはるかに、妻が偽物だと知れる可能性の方が高い様だ」
「では?」
「うむ。危険かもしれぬが
「はい、もちろんですわ!」
やったぁ久しぶりの〝俺の妻〟頂きましたわー!!
ちなみにその日は嬉しくて寝付くにとても苦労した。
※
某日。
私とフィリベルト様は護衛の騎士を連れて国境に置かれた監視塔に向かった。
そのまま監視塔でしばし時間を潰し、アルッフテル王国から使者が国境を越えるのを確認する。
「閣下、アルッフテル王国の使者が国境を越えます」
「分かったこちらも出るぞ」
監視塔に大半の騎士を残して、随伴の騎士十騎だけを連れて二人で国境に向かう。
なお私はここまで馬車で来たが、ここからはすっかり乗り慣れた
最後まで馬車でと言ったフィリベルト様に、私は馬で行きたいと告げた。
理由は簡単だ。練習はしたけれど城の中と荒地は大違い、ドレスとヒールで走るのはやっぱり難しい。だから私はスカンツを履いて踵の低い靴に変えた。
馬車でこの服装は不自然でも、馬に乗れば不自然ではない。
より早く逃げる為に、だからこそ馬に乗ったのだ。
馬を歩かせながら少しだけ緊張する。
「大丈夫、こんなのはいつもの朝の散歩だと思えば良い」
「は、はい」
言われて馬が少し早かったことに気付く。
大きく深呼吸を一つ吐くと、私は手綱を緩めてフィリベルト様の隣に
アルッフテル王国の領主がその妻らしき女性と立ち上がる。やや年配、若いこちらと違って二人とも三十台をゆうに超えているだろう。
それに合わせて随伴の騎士は足を止め、フィリベルト様は馬を止めて降りた。そのまま私に手を貸してくれて、私も馬を降りた。
馬を騎士に預けて、二人だけで歩いていく。
互いにお辞儀。
「初にお目に掛かる、わたしはアルッフテル王国の領地を治めるフリアス子爵だ」
事前に爵位を聞いていたので年輩だが名乗るのはあちらが先だ。
「こちらこそ初にお目に掛かる。
わたしはゲプフェルト王国のシュリンゲンジーフ伯爵だ」
「シュリンゲンジーフ伯爵閣下に問う。今回の会談では互いに妻を連れる約束であったが、なぜ違えられたのか?」
「いいや。ここに居るのは間違いなくわたしの妻だが、なぜそう思われた」
「貴族の女性が馬に跨って乗るなど、どの口が言うか?
大方妻を装った護衛の騎士であろう!」
なるほどそう取るのか~と自分の犯した失敗を知ってへこんだ。
お爺様にあれほど指摘されたのに、私はまた先を見過ぎたらしい。
「悪いがうちの妻は馬に乗るのが得意なのだ」
「まだ言うか!」
ううっこの仲違いの原因が実の妻の私とか笑えない。
「子爵閣下、お話に口を挟むことをお許しください。
私は間違いなくシュリンゲンジーフ伯爵夫人でございます。私の祖父はヴェンデル=ペーリヒ侯爵で、先代の宰相を務めておりました。
もしも私の身分に疑いがございましたら、王宮にお聞きくださいませ。
元ペーリヒ侯爵家の令嬢ベアトリクスは偽物かと」
私は努めて毅然とした表情でフリアス子爵を睨みつけた。
すると、
「旦那様、お怒りをお沈め下さいませ。
このご夫人は紛れもなく貴族でございますわ。ただの騎士にこれほど気高い格を見せることはできません」
「むぅ確かにその気位の高さは一端の騎士には真似出来ぬか……
失礼だが伯爵夫人、お手を見せて頂いても?」
一体なんの儀式かしらと思ったが、言われるままに私は手を差し出した。
「確かに、これは日頃から剣を握っている手ではないな。
失礼したシュリンゲンジーフ伯爵閣下、そして伯爵夫人。非礼をお詫びする」
「謝罪を受けよう」
私も合わせてコクリと頷いておく。
少々ひと悶着あったが、こうして両国の間で国境に巣食う野盗の討伐協定が結ばれた。
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