19:苦渋の日

 ロッホスは馬車で町を出て南の方へ逃げて行った。

 その情報を得たフィリベルト様は兵を南に向ける。さらに足の速い伝令を出して先の町へロッホスの馬車を取り押さえるように指示をだした。

 ロッホスがどれほど早く動こうが彼は馬車だ。数日中には捕まるだろうときっと誰もが予想していた。

 しかし実際は、追手が掛かったと判るとロッホスは街道外れに馬車を隠して乗り捨て、現金と貴金属だけを手にして単騎で今度は西へ。

 国境を越えてまんまと逃げ延びたらしい……


 後日に私は城に戻られたフィリベルト様からその報告を聞き、なんとも言えない思いで唇を噛みしめていた。

 目撃情報が少なすぎた。

 完全に人口が少なく広い領地が仇になった形だった。


「西の国境側のアルッフテル王国の方には手配書を回して貰った。

 異国の事ゆえ確実とは言えぬが、そうそう逃げ延びられる訳もあるまい。きっと捕まるだろう」

「そう思いたいですね」

 しかしお金を持っている悪党は強い。

 資金がある限り、彼が捕まる事はきっとない……


 フィリベルト様が気を使ってくれているのは理解できるが、そう簡単に明るく振る舞うことは出来なかった。

 そんな暗い雰囲気を打ち消したのはお爺様だ。

「逃げたもんは仕方なかろう。

 それよりもお主たちには、他にやる事や決めることが沢山あろう?

 まずはそれを片付けて暇になったなら好きに後悔でもなんでもするがいい」

「そうですね、お爺様のおっしゃる通りですわ。

 まずはアルッフテル王国との会談を、ひいては街道を引く算段を立てないと」

「いやもっと早くに決めるべきもんがあるぞ」

「確かにそうですね」

 その決めるべきこととやらを、二人は分かっている様だが私は何のことか全くピンと来なかった。


 考えても分からず、やっぱり首を傾げているとお爺様に笑われた。

「ふはははっベリーは変わらんのぉ

 先を見過ぎるからどうでもいい小石に躓くんじゃよ」

 小石、つまりロッホスの事かと私は不満気に口を尖らせた。


「じゃがな、旦那の方は逆に近い方しか見えておらんらしい。

 おぬしらは二人で相談し合うことでやっと一人前になるようじゃ。今後とも仲良くするがよいぞ」

「相談ですか?」と私。

「不服かの」

「いえ。私はむしろ有り難いですが、フィリベルト様が……」


「つまりお義爺様は俺の相談相手になって頂けないと言うことでしょうか?」

「そうじゃ。なぁフィリベルトよ、答えと言うのは急ぐものではない。

 お主らは若いんじゃからもっと回り道しても良いんじゃ」

「そうでしょうか。いま領民は苦しんでいます。

 より早い手段があるならば、躊躇なくそれを使うべきではないでしょうか?」

「その志は立派じゃが、儂が明日死ねば頓挫しよう?

 よいかフィリベルトよ。覚えるべき時に覚えておかねば、いずれ今回を越えるほどの手痛い失敗をすると思えよ」

「なるほど……確かに仰る通りです。解りました。

 すまないがベアトリクス、俺に貴女の知恵を貸して貰えるだろうか」

「はい! 勿論ですわ!」

「うむうむ。ベリーはこやつが男じゃったら良かった思うほどに、その手の才能があるから安心せい。ただし妻としては知らんぞ?」

「お、お爺様!?」

 私の叫びを背中に聞きながら、お爺様は笑いながら部屋を去って行った。



 さて先ほどの近しい話について、フィリベルト様から教えて貰った。

 何のことは無い、聞けば当たり前の話で、〝新たな執事をどうするか?〟と言うことだった。なお今回の事を踏まえて、領地の管理を執事に一任することは無くすため、純粋に屋敷を切り盛りする執事を考えている。

「悪いが俺には伝手が無くてな」

 領地はすっかり辺境に変わったし、そもそもフィリベルト様のご友人は軍関係者ばかりだ。

 そりゃあ無いでしょうよ。


 かと言って私に伝手があるかと言うと、私にも無かった。

 私は社交界には出ていないので友達が居ないのだ。だから他の貴族から紹介を受けようにも伝手がない。

 私ってクラハト領からほとんど出てないのよねぇ……


 うーん。仕方がないかぁ~

「お父様にお願いしてみます」

「ペーリヒ侯爵閣下ならば安心だな」

 まぁお爺様がここに住みつくことも伝えなければならないと思っていたので、丁度良かったと思いたいわね。


 なお当のお爺様はと言うと、来た時と同様に、「ちょっくらクラハト領の方へ行ってくるぞ」と城からふらっと出て行ったとか。

 後ほどエーディトからそう伝言を受けて驚いたわよ!




 隣国アルッフテル王国と会談の日時を決めるべく、フィリベルト様は何度も手紙を書き直して~を繰り返していた。

 そう何度も何度も……

 ロッホスしつじに任せっきりで、筆をあまりとったことが無いフィリベルト様は書き損じが多い。いつもなら執事が書いて署名をするだけだっただろうが、残念ながら我が家にはその執事が居ないので仕方あるまい。


 なお見兼ねて、「私が書きましょうか?」と言ったのだが、

「ありがとうベアトリクス。

 しかし慣れなければいつまでも出来ぬままだ。だから任せてくれ」

 と言われてしまえば私は手を引くしかなく、「頑張ってください」以外に言えることもない。



 二週間後、アルッフテル王国から返信が返ってきた。

 それを読んだフィリベルト様は、一言「むぅ」と唸った。

「見せて頂いても?」

「ああ」


 書いてあるのは有り触れた話で挨拶やら定型文を除けば、日時と場所、そしてその際の随伴の兵員の数など。

 さらに読み進めて先ほどの唸り声の意味を知る。


『交渉では妻を同伴の事』


 なるほどね。

「分かりました。準備しておきますわ」

「い、いや……

 やはり駄目だ! 悪いが俺は貴女を連れて行くつもりはない」

「しかしわたしを連れて行くようにと要望に書いてありますわ」

「交渉が良くない方向に進めば貴女に危険が及ぶだろう。だから妻役はそう言う訓練を受けた華奢な女性兵から選抜する」

「しかしそれでは相手に誠意が伝わらないでしょう?」

「なあにどうせ相手も偽の妻に決まっている」

 大切にしてくれるのは有り難いのだけど……

 う~ん。

「そう、ですか。判りました」

 私の旦那様はとても頑固な方だ。

 ならばこれ以上言っても良い結果にはならないだろうと、私はさっさと話を畳むことに決めた。

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