18:逃走

 資金不足の話が出た所で、私は過去に流れていた話を改めてするため、フィリベルト様を自室に招いた。

 フィリベルト様が私の部屋に入るのは、初日以来、二度目。

 しかし現在の時刻は夕刻の晩餐前なので、そう言った話ではないところが残念ね。

「お邪魔する」

「はい何か飲まれますか?」

「そうだな……、頂こう」

「ディート旦那様に珈琲をお煎れして」

「畏まりました」

 支度にかかったのか後ろからエーディトがお茶を煎れる音が聞こえてきた。

 その小さな音よりもだ、フィリベルト様が部屋の中に視線を彷徨わせている方が気になる。

「どうかなさいましたか?」

「いや姉の部屋と比べていたのだが、あまりに殺風景だなと思ってな」

 言われてみれば確かにと納得した。

 私は花を育てる趣味もなければ手縫いの趣味もないからそれらを飾ることもない。さらに何かを買って貯め込む趣味もないので、棚や机に物が並んだりもしない。

 机に載せた小さな本棚に刺さっているのは、女性に人気のある物語ではなく歴史や経済に関する本ばかり、それらの背表紙は色とりどりの物語と違って、黒か茶で、煌びやかさとは皆無だった。

 辛うじて女性の部屋だと主張できるのは持ち込んだ鏡の付いた化粧台だけ。

 言われてみれば確かに殺風景だわ。

「済みません、部屋が女性らしくないのは無自覚でした」

「いやそういう意味で言ったのではない」

 あわてて否定されたが、『じゃあどういう意味でしたか?』とは、答えが恐ろしくて聞けなかった。

 そんなことを話している間に珈琲が入った。

 ナイスタイミング!



 さて、時は遡り、私がこちらに来てすぐの頃の話だ。

 私は父から持たされた持参金を、フィリベルト様に渡そうとしたことがある。

 するとフィリベルト様は、

「申し訳ないが領地が安定するまでは、貴女に満足なお小遣いを出して上げられない。

 だからそれは貴女が自由に使ってくれて構わない」

「そういう訳には参りません。

 父は私に結構な額を持たせてくれました。それをお小遣いとして受け取るには多すぎますわ」

 ぶっちゃけて言えば、最初に出された額を不服だと言って、私は値を釣り上げた。

 だって新しい領地では治安が悪いと言うし、お金はあっても無駄じゃないと思ったんだもん。

 それなのに『要らない、小遣いにしてくれ』だと?

 持参金を受け取らないばかりか、妻の小遣いにして良いなどと言う話は聞いたことが無い。値を釣り上げてきた私の苦労は一体……


「なるほど。では丁度良いではないか。

 それで好きにドレスや宝石を買って着飾ってくれ」

 なんだ、私に着飾って欲しいのか~とほんの一瞬だけ思った。だけどフィリベルト様は、自分に自信がなく、初日にわたしに離縁届を出すようなお方だ。

 そんなわけあるか!?

 でももしかしてと期待を込めて、

「私が着飾ると旦那様はお喜びになりますか?」

「いや俺にはそういったことは判らん」

 まぁ期待はしていなかったけど、やっぱり一般的な貴族の女性を思って言っただけみたいだわ~と、とてもガッカリしたのを覚えている。


 さて私は十五歳になった時に、お爺様からクラハト領の領主の権限をお預かりしている。お爺様が行った統治の下地があったとはいえ、ロッホスと違って少なからず領地を発展させた私は、その時に貯めたお金があるのでお小遣いには困っていない。

 受け取って貰えないからと言って、あえて持参金それに手を付ける必要もない。

 そういう訳で持参金は手つかず。まだ全額、私が管理しているのだ。


「以前私が持ってきました持参金ですが、まだ手つかずで管理しております。

 街道の整備にこちらを使用するのは如何でしょうか?」

「いやあの持参金は貴女に渡した物だ。

 それを今さらになって領地運営の為に使う訳にはいかん」

 一度言ったことは曲げない。やはり頑固ね。

「しかし資金は必要ですわ」

「うむぅ」

「ではこうしましょう。私は新しく出来る街道にこのお金を投資いたします。

 利益が出た際には投資した私にお返しくださいな」

「女性が投資とは、貴女は一体どういう教育を受けてきたのだ?」

「クラハト領でお爺様から領地管理を習っておりましたわ」

「ご令嬢の台詞とはとても思えんな。もしや貴女は歌や踊りは習わなかったのか?」

「社交界に出る予定もありませんでしたので、実は苦手ですね」

「そう言えば裁縫などもしていない様だが」

 頑張ればハンカチに名前の刺繍くらいは出来るだろうけど、時間が掛かるし面白くもないからやりたいとは思わない。


「あのぉもしや閣下・・はそう言う貞淑な妻がお望みでしたか?」

「いや済まなかった。俺に選ぶ権利はない」

 またも自分を卑下する言葉で遮ってくる。

 だったら私は!

「謝罪は不要です。そのお陰で私は初恋を実らせ、フィリベルト様・・・・・・・の妻になることが出来ましたわ。ありがとうございます」

「ベアトリクス、君は……」

 たぶん無意識だろう、無骨な大きな手が私の頬に触れた。

 これはチャンス!

 私はそっと瞳を閉じて唇をつぃと……




 ガチャッとドアが開く音と共に、

「ベリー入る……ぞ?」

 頬にあった手が一瞬で引っ込んでしまった!!


「……お爺様ぁ? ノックを~。お忘れではないでしょうか!!」

「おっと用事を思い出した。出直すとするかのぉ。

 いやぁ最近は物忘れが酷くてなぁ、年は取りたくないのぉ」

「いやいやっ、その必要はない!

 ど、どのようなお話でしたかお義爺様」

 流石のフィリベルト様も動揺を隠せないらしく顔を真っ赤にしてしどろもどろだ。

 くぅぅ~それにしても惜しかったわ!!


「すまんかった……」

「もう! その話は良いですから!

 それで? 何の御用ですか」

 これで下らない要件だったらしばらく口を聞いてあげないんだから!


「実はな、執務室にあった収支の資料を見ておったら、どうにも気になったことがあっての。直接聞きに来たのじゃよ」

「どのようなことでしょうか?」

「フィリベルトよお主は軍人時代の報奨金を教会に寄付しておったな?」

「ええ。戦争の被害者に俺に出来る事は多くありませんからね」

「ここにあるプラーム領への寄付と言うのは本当か?」

「プラーム領でしたら賊の討伐で行ったことがあります。

 間違いなく寄付していますよ」

「ええムスタファの報告にも、確かその領地の名前は上がっておりましたわ」

「ふむぅだがな、ここは貴族の家が取り潰しになって、現在は近隣の貴族に合併されていたはずじゃがな……」

「でしたら教会だけが残ったのではないでしょうか?」

「いいや領地内の教会の数は決まっておるから、その際に教会も合併されとるはずじゃ」

「あっ……」

 国の宗教となる際にあまりに無尽蔵に数が増えると政治方面に影響があることから、教会の数は厳しく決められてきた。

 従って領地が分離すれば増え、合併すれば減る。


「えっ? だったら!! ちょっとお待ちください」

 私はテーブルに走り寄り鍵の掛かった引き出しを開けた。その中からムスタファから貰った封書を取り出して慎重に書面を捲っていく。

 それは? とフィリベルト様が聞きたそうに見ているがちょっと待って、後にして!

 書面は丁寧に年号別に並べられていて、ある年からプラーム領の名前が現れた。


 そして、

「四年前からムスタファの報告には入っておりませんわ!」

「こちらの出金台帳には今年、新年が明けてすぐに寄付したことになっておるな」

「……見つけた、の?」

「どうやらその様じゃな」

「憲兵に!」

「いやそれは成らん」

「どうしてですか! ロッホスは犯罪を犯したのですよ」

 主人が寄付するように命じたお金を猫糞したのだから確実に罪に問うことが出来る。


 興奮した私を見て、お爺様は大きなため息を吐いた。

「執事が不正を犯していたとして、それに気づかぬ主人は世間ではどういわれる?」

「……シュリンゲンジーフ伯爵は無能と罵られましょう」

「そうじゃな。憲兵に突き出せばそうなるじゃろうて」

「でしたらどうすれば」

「ここはほれ、被害者自身に聞くべきじゃろ?」

 お爺様はフィリベルト様を見つめながら、とても軽い口調で茶目っ気たっぷりな言い方をされた。

 しかし私は事が事だけに上手く笑えない。

 お爺様にはそう言うセンスは求めていないけれど、せめて時と場合は選んで欲しい。

「エーディトだったか、悪いがライナーに伝言を頼む。

 兵を二部隊準備しロッホスを捕獲するように、あと門を閉ざせと伝えてくれ」

「か、畏まりました」

 指示を受けたエーディトが慌てて部屋を出て行った。




 ほんの十分ほど。

「失礼します奥様!

 ライナーです。閣下がこちらにいらっしゃると聞いておりますが!?」

「ええいらっしゃるわ。入ってらして」

「はっ!

 閣下、執事のロッホスですがどこにもおりません!

 門番の話によれば昼下がりの頃に町へ買い出しに出たそうです!」

「えっ?」

 どうやら領地の帳簿が明るみに出た時点で、ロッホスは逃げる算段を付けていたようだ。そしてすでに逃げた後……


「兵を出して確保せよ。

 まだそんなに遠くには行っておらん」

「はっ!」

「すまんが俺も出る。

 追い詰められたロッホスがどういう行動に出るかわからない。

 念のために護衛を付けておくから貴女はここで待っていてくれ」

「はい、お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 フィリベルト様が部屋を出ると、お爺様も同じく出て行った。


「奥様落ち着いてくださいませ」

「やっぱり落ち着いてないように見える?」

「ええ先ほどからカップを持ち上げては下してと、手も震えていらっしゃいます。

 溢してドレスを汚したら大変ですからお下げしますね」

「そう……、分かったわ、お願い」

 指摘されるまで無意識にカップに触っていたらしい。


 自分で思うよりも恐怖があるのか?

 ロッホスはとっくに城を出たと言うのによくない傾向だな……

「ねぇ悪いのだけど、今晩はエーベルハルトをここに置いてくれるかしら?」

 きっと安心して眠れない気がしたので、弟には御者兼護衛の後ろの方の役目を今日はやって貰おう。

「分かりました。でしたらわたしもご一緒します」

 実の弟ではないから私とエーベルハルトは一緒の部屋では寝られない。それを察してエーディトが声を掛けてくれた。

「じゃあ久しぶりに一緒のベッドで寝ましょうか?」

「ええ構いませんよ。でもエーベルハルトはソファでお願いします」

「くすくす、酷いお姉ちゃんね」




 お爺様と私は約十日ほど掛かって帳簿との突合せを終えた。

 叩けば出てくる物で、ロッホスは食料や備品の仕入から使用人へのお給料まで、細かい金額をチョコチョコと手広い範囲で横領していた。

 当然だが仕入に関わるところなどはロッホスだけの裁量で足りることではない。

 つまり共犯者がいたと言うことで、その後の調査により、フィリベルト様の命で幾人かの使用人の解雇が言い渡された。

 その数はなんと二割ほどに及んだ。

 どうやら私の予想以上に、この屋敷の使用人は程度が低かったらしい。


 これらの始末を終え、私はやっと安心して眠れるようになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る