閑話休題─ディートのなんちゃって語り─

 朝の忙しい時間が終わった後の事、

「エーディト、少しだけ時間を貰ってもいいかい?」

 わたしを尋ねてきたのは侍女長のコリンナだ。

「ええ構いませんよ」

「ここじゃちょっとね」

 そう言って連れられたのは侍女らが休憩する部屋だった。

 そこでコリンナは、「良かったら」と前置いて少々込み入った奥様絡みの話を振って来た。







 月曜日と木曜日はお昼ご飯が終わると礼儀作法の先生がやって来る。

 とても厳しい先生だから月曜日と木曜日は嫌い。


 でも他の曜日は屋敷から出なければ・・・・・好きに過ごしていいから好き!


 お昼ご飯を終えてとある部屋を目指して歩く。

 そして部屋の中にお目当ての少女を見つけて私は走り寄った。

「ねぇディート遊びに行きましょうよ」

「ごめんねベリー、今日は駄目なの」

「そうなんだ」

「ベリー姉ちゃん僕は~?」

「ベルハルトは泣き虫だから嫌よ」

「うっ……」

 言われた傍から目に涙を溜めるエーベルハルト。しかし彼はグイと袖で涙を拭い、

「今日は絶対泣かないもん!!」と食って掛かった。

「じゃあいいわ、特別に連れて行ってあげる」

「やったー」

 本心ではそんなことは全く思っていない。

 私一人では屋敷から出ることは出来ないのだから、こんなのは儀式の様な物だ。



 ドレスを汚さないようにエーディトから服を借りて市民の服に着替える。

 そしていつもの通り、屋敷の裏手からエーベルハルトが使用人らの気を引いている間にこそっと走り抜けた。

 一人で走り、裏手にある子供一人が通れる程度の植木の隙間を這い出す。

 町を離れて大きな樹の側で待っていると、遅れてエーベルハルトがやって来る。

「ベリー姉ちゃん~お待たせ~」

「じゃあ行きましょうか」

「僕ね、川で泳ぎたい!」

 泳ぎたい気分ではないけど、この季節に川に生えるお花は綺麗だからディートのお土産には丁度いいかな?

「まあいいわ、付き合ってあげる」

「やったー」


 街道でもなんでもない野原を横切る。

 ほんの二〇分ほど歩いたところに木々が生えた秘密の場所があるのだ。

 綺麗な小川が流れて、お花が一杯。木々のどこかからは鳥の鳴き声が聞こえて、お花の生えた草の上に着衣が汚れるのも気にせずに転がるととても気持ちが良い。


 エーベルハルトは笑顔で小川の方へ走っていく。

「あんた泳げないんだから深いところに入っちゃダメよ」

「うん大丈夫!」

 何が大丈夫なのか、エーベルハルトは相変わらず笑顔だ。



 お花の冠を二つ作る。当然一つは自分の、もう一つはディートの分だ。

 形が少しいびつなのは自分のにしようかしら?

 でもまだ時間はあるわよね……

 だったら、

「ベルハルト、そろそろ上がりなさいな」

「えーまだ遊ぶー」

「ダメよ上がって。それでお花を摘みなさい」

「えー……」

「ほらこの冠上げるから、もう一つ作るのよ早く手伝って」

 無造作にエーベルハルトの頭にポンといびつなお花の冠を乗せた。

「うー分かったよぉ」


 エーベルハルトが摘んだお花を私がせっせと編み込んでいく。

 そしてほどなくお花の冠が完成した。


 今度の出来栄えは……

 うん満足!

 しかし少し時間をかけ過ぎたらしく、陽が完全に傾いていた。


「不味いわね。ベルハルト帰るわよ」

「はあい」

 慌てて二人で駆け戻る。

 まぁ二〇分駆け続けるなんて出来る訳もなく、戻る頃にはすっかり夕日になっていた。



 出てきたとおりこっそりと町に入るために町の裏手へ回ると、そこには大勢の鎧を着た兵士が白い天幕を張って陣取っていた。

「なにこれ?」


 天幕の建ち並ぶ中では、鎧を着た大きな兵士たちがガチャガチャと鎧を鳴らして歩き回っている。

 これでは秘密の通路に入れそうもない……


「ベリー姉ちゃん。表に回ろうよ」

 エーベルハルトだけならそれでも良いけれど、私は……

 クラハト領は田舎領地だ、領主の町と言ってもそんなに大きな町でもないからきっと顔も知れているだろう。そしてバレたら確実に叱られる。


 呆然と立ち尽くしていると、私たちに気付いた兵士が不審そうに近づいて来た。

「君たちはここの住人かな?」

 たぶん声色を優しくしてくれていたのだと思う。

 しかし見知らぬ、金属の鎧を着て槍を持った大きな兵に話しかけられた私は気圧されて後さずった。

 声が出ない……

 何も言わない私たちに兵士は苦笑し、また一歩近づいてきた。

「ここは危ないからね、近づいちゃいけないよ」

 槍を立て掛け、両手をこちらに向けて迫ってくる。

 怖くて足が動かない。



「おい! 何をやっている!?」

 鋭い声が聞こえた。

 兵士に向かってズンズンと歩み寄って来たのは、目の前の兵士よりも一回り大きな体の男性だ。周りの兵士は鎧に身を包んでいるのに、彼だけは濃紺ネイビーの軍服を着ていた。

 軍服の男性がやってくると、私を追いたてようとしていた兵士はスクッと立ち上がって、彼に向かって敬礼をした。

「ハッ! 町の子供が紛れ込んできましたので注意しておりました!」

「子供?」

 そう言って軍服の彼はこちらを見た。

 とても綺麗な、穏やかな瞳の男性で、私とばっちり目が合った。

「ひっ……」

 最初から私の後ろに隠れていたエーベルハルトから短い悲鳴が上がった。

 何を悲鳴を上げているのかしら?

 彼の瞳はこんなに綺麗なんだもの、絶対に悪い人じゃないわ。

「分かったお前は持ち場に戻れ、後は俺がやる」

「ハッ! 畏まりました! 持ち場に戻ります」


「ありがとうございます見知らぬ軍人さん。

 とても助かりましたわ」

 私は覚えたての礼儀作法を披露して精一杯のお礼を言った。

「ほお驚いた。これは丁寧な礼をするお嬢さんだな。

 先ほどの兵も申したようにここは危ない、悪いが表の方に回ってくれるか?」

「あのぉ私は町の裏手に用事があるのです。

 ですからどうしてもここを通りたいのです」

「ふむ……

 どういう用事かは分からんが。お嬢さんには譲れない事情があるようだ、分かった俺がそこまで案内してやる」

 そう言うと彼は私たちを裏手の秘密の場所まで連れて行ってくれた。


 まずはエーベルハルトが、逃げるように隙間を這いずって抜けていく。

 それを見て軍人さんは「なるほどな」と苦笑した。

 そして私に顔を向けて、「お嬢さんは行かないのか?」と問うてきた。


「お礼をまだ言っていませんから、それに……

 淑女レディとして、そんなみっともない姿を殿方にお見せできませんわ」

 エーディトから借りた服はスカートで、這うように進めば、彼にあられもない姿が見られてしまうのだ。

「ああこれは失礼した。小さな淑女レディ

 そう言って彼は恭しく膝をついて礼を取る。

「ええ貴方はいまとても失礼だったわよ。

 でもここまで連れてきてくれたことに感謝するわ。だから貴方にこれを授けます!」

 私は自分が被っていたお花の冠を外して、彼の頭の上に乗せた。

 彼の頭の位置は、跪いていたけれどまだ高く、私はちょっぴり背伸びが必要だった。

「ありがとうございます。大切にいたします」

 ではこれでと、彼は立ち上がって去って行った。



 その後、遅れて帰った私は大目玉を喰らった。

 いつもならご飯抜きでお折檻のはずが、本日はお客様が来るそうで屋敷でささやかな宴会パーティーが開かれるそうだ。

 そしてそこでは私も挨拶をする必要があるらしい。

 助かったわ!


 その宴に入って来たのはあの濃紺ネイビーの軍服を着た軍人さん。

 参加者の誰よりも大きい、とてもとても逞しくてお優しい瞳の綺麗な殿方。

 そして私を一人前の淑女レディ扱いしてくれた初めてのお方。


 祖父にならって一緒に挨拶をしたが残念ながら彼とは話す機会はなかった。そしてまだ幼い私は早い時間で挨拶を終えて、会場を出ることになる。

 とその時、部屋のドアを護る兵士さんに、

「ねえ兵士さん、あのとても逞しい濃紺ネイビーの軍服の方のお名前を教えて下さる?」

「ええもちろんですお嬢様。あのお方はフィリベルト=グレーザー閣下と申します。

 お若いですがすでに騎士の称号を持っていらっしゃる今回の指揮官でございますよ」

「フィリベルト様ね……、ありがとう兵士さん」

「どういたしましてお嬢様」







「と、言うのが奥様の初恋のお話でございます」

「あのお坊ちゃまが、へぇ~」


 これは旦那様二十歳、奥様八歳の話である。

 あの後、『とてもお優しくてカッコいい騎士様を見つけたのよ!』と何度も何度も話を聞いたお陰で、今ではすっかりベリーの心情まで言えるようになってしまった。

 多少美化されているとは言え、本人の談なのできっと間違いはないと思いたい。



「ちょっとディート? どこにいるの~」

 わたしの大切な奥様の声が聞こえてきた。

「あっ奥様こちらですわ」

「ああ居た居た~って、ディートとコリンナ? こんな所で何やってんのよ」

「世間話ですよ」

「え、ええそうです」

 ちょっとコリンナが言い淀みベリーが訝しい視線を向けた。

「ふぅん。まあいいわ。

 庭に新しいお花が咲いているそうなの、一緒に見に行かない?」

「はい畏まりました。

 でしたらぜひお花の冠を作って旦那様に差し上げては……

 いえ冗談です奥様、だから睨まないでください」

 このようにしてわたしの生活は華やかに過ぎていく。

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