15:日常の変わり目

 私に朝食のあとは馬に乗るという新たな習慣が加わった。

 スカンツ─スカートに見えるズポン─を履き、横乗りではなく跨って馬に乗る。きっと王都の貴族女性と言うか、私の母や姉が見れば卒倒するような姿であろう。


 許可を頂いてあれから数日経った。

 私は今日も馬房から、軍馬ゲルルフを引いて中庭にやってきた。

 すると、

「ベアトリクス、俺も一緒に周っても良いだろうか?」

 声を聴いて振り返れば、訓練や視察に行くための服ではなく、身軽な服に着替えたフィリベルト様が立っていた。

 いったいどういう風の吹き回しだろう?

 しかしその後ろ、お付きの侍女として控えていたコリンナが意味深な笑顔で会釈をしたことで合点がいった。

 コリンナの計らいね、有難く頂戴するわ。

「はいもちろんですわ。

 旦那様がご一緒されるのでしたら、私は別の馬を引いてまいりますね」

「いやそれには及ばない。俺が自分の馬を引いてこよう」

 そう言うとフィリベルト様は笑みを浮かべて馬屋の方へ歩いていく。連れてきたのは訓練を受けていない普段使いしている普通いつもの馬だった。

 やはり頑なに乗ろうとはしないのね。


 その日からこの行いは新しい習慣に変わった。馬を走らせることもなく、二人で並んでのんびりと中庭をパカパカと数周する。その間、私はとても綺麗で穏やかな瞳を堪能しつつ、朝のお茶会の様にたわいもない話をするのだ。

 エーベルハルトの頼みから始まったことだけど、案外良い感じじゃないかしら?




 私は自室に置いてあるテーブルでペンを走らせていた。

「奥様お茶が入りましたよ」

「うん、後で貰うわ」

「いったい何をやっていらっしゃるのです?」

「ん~。

 ねぇディート。最近の旦那様ってかなり暇そうじゃないかしら?」

「……そうでしょうか?」

「朝はゆっくり出て行かれるし、そもそも出て行かない日も増えていない?」

「コリンナの計らいで、奥様とのお時間を大切になさっているのではないでしょうか」

 ディートの言う通り、私も最初は乗馬の件の様に、コリンナが手を回しているのかと思っていた。しかし不器用で生真面目なフィリベルト様が、コリンナに言われたからと言って、安易に自らの責務を放ってまで私との時間を割くとは思えない。

 言ってて悲しいけど妻の為に責務を放って、家を傾ける旦那に比べれば私好みだ。

「う~ん。あっそうだわ。

 この前旦那様が不在にされていてから何日経った?」

「そうですね……、今日で九日目でしょうか」

「ふぅん。ねぇディート、ライナーを呼んで頂戴な」

 彼はすっかり私専用の護衛に位置付いているので、このような時間になっても訓練や視察には行かず、城に居てくれるのだ。

「はい畏まりました。

 でもよろしいのですか?」

 ライナーばかりを呼べば、ロッホスがまた誤解しないかと言う意味だろうね。

「ディートはそんなこと気にしなくていいのよ」

 それを聞くと少し嬉しそうにエーディトはライナーを呼びに部屋を出て行った。

 のああいう態度を見ると、応援したくなるから、またライナーを呼んでしまうのよね~



 ほどなくして扉がノックされる。

 返事を返すとドアが開き、エーディトとライナーが入ってきた。

「失礼します。

 わたしをお呼びだとお聞きしましたが、どうかされましたか?」

「ねえライナー。先日に話した野盗討伐の作戦についてだけど、旦那様にはもうお話ししたかしら?」

「ええお戻りになった翌日にお話ししておりますが、もしや何か不都合がございましたか?」

「いいえ違うわ。それよりも旦那様はそれを実行したのかしら」

「お伝えした時、閣下はとても興奮されており、すぐにでも実行するようなことを仰っておられましたが……

 済みません自分の配置が変わってしまい、結果を確認するには至っておりません」

「あぁそうか。私の護衛になっちゃったのよね」

「ええそうです、最近は全員参加の全体の訓練以外ではあちらの方には参加しておりませんので、詳しくは分かりかねます」

「最近は旦那様の時間に余裕が出ているように思うのよ。

 もしかしたら作戦が功を奏したのかなと思ってね。分かったらまた教えて頂戴な」

「はい、後ほど同僚に確認して置きます」

 ではと言ってライナーは退室した。


「本当に効果があったのでしょうか?」

「これはムスタファの案だから、きっとどこかの国で実際にやって効果があったことだと思うわ」

 ただしそれがこの領地に当てはまるかは分からない。

「つまり前例はあると言うことですね」

「ええそうね。

 前例と言えば、侍女と騎士の恋物語と言うのは捨てるほどあるそうよ」

「何が仰りたいのですか、奥様?」

 エーディトの声色が一つ下がった。

「旦那様のお話によるとライナーは旦那様の五つ下だそうよ」

 つまりライナーは二十四歳でエーディトは十八歳。二人はお似合いだ。

「ですから!」

「最近はずっと目で追ってるわよね?」

「……いつからお気づきに」

「妹ですもの、お姉ちゃんには幸せになって欲しいわ~

 そうだ! 私からライナーにそれとなく伝えようか?」

「ベリー、そこまで頼んでませんよ」

 さらにひとつ声色が落ちた。

 どうやらここらが限界らしいわね。

「ごめんなさい。言い過ぎたわ」

「……まったく引き際だけは相変わらず見事ですね」

 フフッと口から苦笑が漏れたのでこの話はおしまいだ。




 昼下がり。

 自室のドアがノックされてロッホスが入ってきた。

「奥様にお手紙がございました」

「あらありがとう」

 お互いに快く思っていないが、日常会話でギスギスするほどどちらも子供ではない。


 盆に載せられた手紙。

 領地に引きこもっていた私に手紙を送るような人物はそれほど多くはない。時期を見れば差出人はムスタファだろうか? ならばきっと報告書であろう。

 私は差し出された封書を手に取り、すぐにロッホスをキッと睨みつけた。

「この手紙は何!?」

「何か不都合がございましたか?」

「当たり前でしょう。誰に断りを入れて封書を開けたの!」

「不審な手紙が無いか確認するのも執事の勤めでございます」

「私に来た手紙に不審な物があるとでもいうのかしら!」

「いいえ、以前よりの風習でございます。

 恐れながら旦那様宛のお手紙も・・・・・・・・・執事のわたしが中を確認しております」

 またそれか!

 相変わらずこの執事はフィリベルト様の威を借りて無理を通す。


「私の手紙は不要です。

 今後は触らぬようになさい!」

「畏まりました。

 旦那様からそのようにご指示がありましたら、そのようにいたします。

 では失礼いたします」

 つまり止めて欲しければフィリベルト様に直接許可を取れと言い捨てて帰って行ったのだ。私がそれを言えば、きっと『何故だ?』と言う話に発展するだろう。

 そしてあの男ならそこから不実の疑惑を言うくらいはやりそうだ。

 くっ!

「とっておきのお茶を淹れますわ。ですから少し落ち着いてください」

「ありがとうディート。

 でもお茶は良いわ、それよりベルハルトを教会へ使いに出してくれるかしら」

 そう言いながら私はたったいま受け取った手紙をディートに渡した。


 差出人は予想通りムスタファ。

『先日ご注文頂いた銀のロザリオ・・・・は無事に入荷しました』

 文面はたったこれだけ。

 簡単な隠語だが、教会に本物の手紙報告書が届いていると言うことだ。



 エーベルハルトが教会から持ち帰った封書を開けて中を見る。そこにはびっしりと、過去に遡り、フィリベルト様が寄付した場所と金額が書かれていた。

 その場所と金額を見てがっかり落胆した。

 なお一緒に添えられていたムスタファの見解も、先ほど私が感じた物と同じ。残念ながらこれらは私が期待した情報ではなかった。

 どうやらフィリベルト様は、自らが行ったことのある領地の教会へ均等に寄付を行っていた様だ。一回に貰う褒賞がいくら多かろうが、従軍したことのあるすべての領地に配れば金額は減る。

 その中には私の暮らしたクラハト領の名前も何度か上がっている。クラハト領は近隣の領地に比べて随分と豊かだったのだが……

 まぁフィリベルト様らしいと言えばらしいわね。


 残念な結果ではあるが、私の男性を見る目は間違っていなかったから、ちょっぴり誇らしかった。

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