03:伯爵の褒賞品
石で補強されていない野道を一台の馬車がガラガラと音を立てて走っていた。速度はそれほど速くはなく、のんびりとした旅に見える。
しかしそれがただの旅路ではないことはすぐに判るだろう。何故ならその馬車の周りには、馬車を護るように武装した騎兵が数騎付き従っているからだ。
その馬車に貴人が乗っていることは明白。しかしこれだけ厳重に護られていれば、まともな野盗ならば決して手を出してくることは無い。
やや広々とした馬車の中。
「お嬢様そろそろお時間です」
「あらそう、分かったわ。馬車を停めて頂戴」
「畏まりました。
エーベルハルト、休憩です。馬車を停めなさい!」
侍女のエーディトがそう叫ぶと、御者席の方から『はいよ』と声が聞こえて、徐々に馬車の速度が落ちていった。
すると馬車の窓枠に一騎の騎兵が寄り添ってくる。
「シュリンゲンジーフ伯爵夫人、馬上から失礼します。
如何されましたか?」
「定期休憩です」
その質問にはエーディトが答えた。
本当はあまり頓着する性質ではないのだけど、身分の違いにより私が直接口を利くわけにはいかず、彼らとは侍女のエーディトを通して話すのが決まりだ。
わずらわしいとは思うが、最初から逸脱するわけにはいかないので、この旅路はエーディトに任せると伝えてあった。
「了解しました。皆に伝えます」
略式の敬礼をし騎兵が窓の側から去っていく。
それを見送りながら、
「ところでディート、そろそろお嬢様は止めて頂戴ね」
「失礼しました、奥様」
〝奥様〟なんと良い響きかしら~と私は満足げに噛みしめた。
私が向かっているシュリンゲンジーフ伯爵が賜った土地は西部の国境付近である。
王都からならば馬車で三週間ほどの旅路だろうか?
私は訳あって王都には住んでおらず、ペーリヒ侯爵家の持つ飛び地の小さな領地クラハト領で暮らしていた。そんな訳で王都よりはマシな距離にあるその飛び地から直接向かっているが、それでも馬車で二週間掛かると事前にエーベルハルトに確認した。
二週間も張りつめたまま進める訳はないから、一刻ごとにエーディトに教えて貰って休憩を挟んでいた。
馬車がすっかり止まると、エーディトは馬車を降りてお茶の準備を始めた。それを手伝っているのは御者兼護衛のエーベルハルト。
二人は実の姉弟である。
この度、シュリンゲンジーフ伯爵家に嫁ぐにあたって、私が屋敷から連れてきた従者はこの二人だけ。私と年が近くて仲が良く、二人の両親がすでに他界しており、身の自由が利くこともあって快くついて来てくれた。
私は馬車の外に設置された簡易のテーブルと椅子に腰かけて待つ。
ほどなくして沸いたお湯でエーディトがお茶を淹れてくれた。一番疲れていない私が一番にお茶を貰うのは心苦しいが、主人と言う立場もあるので仕方がない。
淹れたてのお茶を飲むと、思わずほぅと安堵の溜息が漏れた。
私がこれだ、彼らの疲労は相当よね。
でも旅はまだ始まったばかり、先は長いわ。
※
道中に天候が崩れたことで馬車は大回りし予定より多く掛かったが、私は無事にシュリンゲンジーフ伯爵領に入ることが出来た。
護衛の騎士により領内に入ったことが告げられると、興味深々のエーディトが小窓を開けて窓の外に視線を向けていた。
「これは……」
初めて見るシュリンゲンジーフ伯爵領の景色。
向かい合う席で絶句しているエーディトの表情が可笑しくて私はクスクスと笑った。
「お笑いになるなんて」
ぷぅと頬を膨らませるエーディト。
「あははは、ごめんなさい。
ディートの
「だって仕方がないじゃないですか。
わたしたちの故郷のクラハト領よりも田舎な場所があるなんて、わたしは知りませんでしたよ」
「あら国境の側の街なんてこんなものだわ。
あとクラハト領は田舎じゃないわよ」
「確かにお嬢様が領主になられてから二年、随分と栄えましたね」
「ふふっもっと褒めてくれてもいいわよ」
「残念ですがそれは先代様の下地があってのことですわ」
「確かに下地があったのは助かったけれど、こんな時くらい素直に褒めてくれてもいいじゃない」
「ふふふっ先代様からお嬢様には厳しく接するようにと申し付かっておりますので」
「ぶぅ、もういいわ。それよりもディート、奥様よ」
「これは失礼しました奥様。
ううぅ~やっとお嬢様に慣れてきたと思ったのに、もう呼び名が変わってしまうなんて~」
「別に私は昔のまんまベリーでもいいのだけど、ごめんなさいね」
「いえ謝罪すべきなのはわたしです。
申し訳ございません奥様」
エーディトとその弟のエーベルハルトは私を挟んで全員一つ違いだ。
貴族のお嬢様と言っても小さな田舎の領地でのこと。年が近い私たちは三人、実の姉弟の様に仲よく過ごしてきた。
だから互いに愛称で呼び合っていたのだが、年頃になりそれぞれの自覚が出始めた頃にその関係は少しずつ変わっていった。
ほんの二~三年前まで私を愛称のベリー、ベリー姉と呼んでいた二人。しかし気付いた時にはお嬢様に変わっていた。
当時は別にベリーでいいのにと言ったのだが、「二人だけを特別扱いするのは、二人の為になりませんよ」と、彼女らの親代わりを務めた侍女長に言われてしまった。
二人の為と言われれば私から反論できることは無くて、以後、私は三姉弟から外れてたった一人〝お嬢様〟となった。
そんな私も結婚したので、〝お嬢様〟改め〝奥様〟。
賢い二人の事だ、きっとすぐに慣れるでしょうね。
殺風景な場所を馬車は走っていく。
私が来たことは先んじて走って行った一騎により伝えられていた。
ほどなくしてシュリンゲンジーフ伯爵領を護る兵が現れて、馬車の護衛を開始した。たった一人に使うには過剰で過分な護衛の数だ。
なんと勿体ない事だろう。
いやそれだけ愛されている……訳はないか。だったら義務感からかしら?
考え事をしているうちに馬車の窓に騎馬が近づいていた。ここ二週間ずっと同じ顔で、護衛の隊長だ
「シュリンゲンジーフ伯爵夫人。
前方にシュリンゲンジーフ伯爵邸が見えてまいりました」
どれどれと向かいに座るエーディトが振り返り、馬車の前方に設置された小さな木戸を開けた。
ガラッと音を立てて木戸が開き、その景色を見てエーディトがぽつりと、「まるでお城の様だわ」と漏らした。
そう、前方に見えるのは確かにお城だった。
それほど高くはないが周囲には城壁があり、その城壁の周りはお堀が掘られているらしく、門に跳ね橋が見えている。
小さいながらも堅牢な城を囲むのは、閑散とした寂れた町。町に対して無駄に堅牢な城は随分と不釣り合いで滑稽に見えたのだが、
「ええ小さな古城ですが、隣国との境を護るにふさわしい構えです」
騎士の言葉はそこはかとなく満足げに聞こえた。
旅の終わり頃に知ったのだが、彼らはそのまま伯爵家の私兵としてこの城に留まるそうだ。だからこそ、そのような感想を持ったのだろう。
私はと言うと、前途多難な領地だわ……、と大きなため息が漏れた。
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